俺の心臓

水野酒魚。

俺の心臓

 この、やり場の無い、凶暴な獣のほうこうにも似た、純粋で、研ぎ澄まされた、俺の真心を、お前は気付きはしないだろう。

 こんなにも、こんなにも、俺の心臓はお前でいっぱいで、鼓動する度に、俺はお前を求めて震えているのに。

 結婚を決めた。と、お前は言った。街コンで出会った女だ。と、お前は言った。

 俺たちももう、いいとしだろ? だから、身を固めることにしたんだ。事も無げに。照れ臭そうに笑って、お前は言った。

 誰だ。その女は誰だ。そのた笑みを浮かべるばいは何だ。その一昔前にった薄化粧をした、尻軽女は何だ。

 写真を見せられて、俺は危うく叫び出すところだった。心臓を直接つかまれて、冷たいてのひらで握り潰されるのかと思った。

 おさなみの、親友のお前に、一番に知らせたくて。お前は言った。子供の頃から右ほおにだけ現れるくぼ。お前は顔面をそうはくにした俺がただ驚いているのだと、無邪気に信じて疑わない。

 いつもの、日本酒のうまい居酒屋。お前に呼び出されて、俺はのこのこ浮き足立ったのに。

 こんな仕打ちはあんまりだ。こんな、むごい裏切りは、あんまりだ。

 お前は誰かいい人がいないのか? よくも、そんな残酷な台詞せりふを、平然と吐ける物だ。絶望のふちをのぞき込んでいる俺に、お前は気付いていないのか。

 初めて、小学四年生の時から、お前と同じクラスになった時から、初めてお前を認識した時から、俺の心臓には二十年以上お前しか住んでいないというのに。

 親もうるさくてな。孫の顔が見たいってさ。

 言い訳のように、苦笑いでお前は言った。お前もそうだろう? とでも言いたげに、コップをあおったお前を、俺はぼうぜんと見つめることしか出来なかった。

 祝福してくれないのか? 不安気味の眉が、俺をとがめるように、さらに寄せられる。

 おめでとうとでも言えば良いのか。俺はうめくことしか出来ずに、ぐいみを握りしめた。

 きっとその時にはもう、俺の心は決まっていた。


 結婚祝いに、独身さよなら飲み会でもしようぜ。送ったLINEにはすぐに既読が付いた。

 お前は疑いもせずに返答を寄こす。

 会場はどうする?

 俺んちはどうだ?

 良い地酒を手に入れたんだ。

 そりゃいいねえ。じゃあお前んちな。

 勝手知ったる幼馴染みの家。お前はツマミをぱんぱんに詰めたビニール袋片手に、玄関を上がった。

 すでに準備は出来ている。テーブル代わりのたつには、地酒の一升瓶と適当なコップ。

 今日は冷えるな。炬燵に潜り込んで、お前はコートを脱いだ。


 一升瓶の半分を二人で空けた。お前はほんのりと頬を赤くして、い美味いと酒をあおっていた。頃合いだ。俺が勧める、チェイサー代わりの緑茶を、お前は喉を鳴らして飲んだ。ああ。そうだ。良く味わって飲んでくれ。そいつは特製なんだ。

 薬が効いてくるまでは、そう長くかからなかった。うつらうつらと舟をこぎ出したお前を、ベッドに運んだ。

 疲れてたのかな。すごく眠い。ごめん、ベッド借りる……

 何も知らずに、お前は無防備にたいを投げ出す。薬が招く、深い眠りの淵に沈んでいくお前。ああ。ああ。お前はまだ、俺を信頼しているんだな。俺が無害だと、ただの幼馴染みだと、錯覚しているんだな。なあ。あの女とはもうヤったのか? 俺の問いかけに、お前はいぶかしげなうめごえを上げるだけ。

 初めての夜。お前は深く眠っていて、わめくことも無かった。


 時間をかけてわからせる。そのためには暴力だって、薬だって、セックスだって、どんな手段でも使わなければならない。

 思い知らせなければならない。では、俺が全てだと。俺の許可無く話すことも、食べることも、くそをすることも許されないのだと。

 どうして、どうして。と、お前は泣いた。

 俺が、お前に何をした? 俺たち、幼馴染みだったろう? 親友だったろう?

 過去形で言うな。俺たちは今でも幼馴染みで親友だ。

 それに、先に裏切ったのはお前だ。あんな、どこの馬の骨とも解らない女を妻にすると、そう言って、俺の心臓を引き裂いたのはお前だ。

 俺の気持ちをお前に教えてやるつもりは無い。精々困惑しろ。それが、お前が俺にしたことへの罰なのだ。


 一週間。お前が眠っている間に、新しい部屋に移った。用心のためだ。お前は探されている。お前と暮らすようになって十日後に、婚約者と名乗る馬の骨が俺の所にもやって来た。制服警官をともなって。

 俺はシラを切り通した。お前は俺とんだ翌日に、二日酔いでふらつきながら帰って行った、それ以来合っていない。と証言する。

 その言葉を裏付けるために、お前の脱いだコートを着て、わざわざ防犯カメラにも映っておいたのだから。

 二週間。お前はまだ、俺の腕の中から逃げ出せると考えている。泣き落とし、ハンスト、反抗的な態度。どれも長くは続かない。

 なあ。どうして、どうして、こんなこと、するんだ?

 純粋な疑問を浮かべて、少し頬のこけたお前が言った。

 俺のこと、嫌いだったのか? だから、こんなこと、したのか?

 何も解っていない、無邪気なお前が諦めたように笑窪を浮かべる。

 答えの代わりに優しく抱いてやると、お前は縮こまってはらはらと落涙した。

 いくら脳天気で鈍ちんのお前でも、そろそろ解っただろう? 嫌いなら、笑って祝福していた。嫌いなら、お前を閉じこめたりしなかった。こんな風に、お前をひとめしたりはしなかった。

 お前は俺の物だ。その身体も、その心も、そしてその魂も。全部、ぜんぶ俺の物だ。


 二ヶ月がった。

 なあ、そろそろ家に帰してくれよ。お前のことは誰にも何にも言わないから。

 ぼんやりと微笑みながらお前が言う。

 まだ解らないのか。まだ足りないのか。

 お前の居場所は此処にしかないんだよ。此処に居ることだけがお前の価値なんだよ。何度も、何度も、思い知らせる。


 半年が経った。

 お前は次第に、笑窪を見せる回数が多くなった。

 ああ、そっか。お前は俺のことが、好きなんだ。だから、こうして宝箱にしまうみたいに隠しておくのか。そう言って、お前が笑う。

 だって、そうじゃなきゃ、そうじゃ、なきゃ、説明がつかない。

 こんなことをする、意味が無い。訳がわからない。大の大人一人を養うのだって、大変なんだろう?

 ああ、そうか。そうか。

 一人納得するお前に、俺はどうしていいのか解らなくなる。

 静かに、微笑むお前。俺を手招いて抱き寄せるお前。俺は……困惑しながら、それでもこのしあわせをみしめている。


 さらに半年が経った。

 空っぽになった部屋に立ち尽くして、俺はやっぱりお前のことを考えている。

 お前のことだけを考えている。

 俺の心臓はお前でいっぱいだ。

 だから。


 お前は俺の好意がうれしい、と言った。

 お前は俺に触れられるのが楽しい、と言った。

 一人にするな、一緒にいよう、俺だけを見て。

 ああ、でも。もっと早くに言ってくれていたらな。こんな風にはならなかったのにな。

 それが、お前がこの部屋で最後に言った言葉だった。


 お前は出ていった。この部屋から。俺を一人置き去りにして。

 ああ。音が、聞こえる。遠くから近づいてくる。やかましい、デリカシーの無い、耳をつんざく警報音。あれはパトカーのサイレンの音だ。お前が呼んだのか。俺は取り返しの付かないことをしたのか。俺に罪があるのか。お前を愛したことが罪だというのか。お前と一緒にいたいと願ったことが、罪だというのか。

 ああ。俺は、俺はそれでも……




「……ミイラ化した遺体……はい。被疑者はミイラ化した被害者の遺体を抱いて、ベッドに横たわっていたそうです」

「はい。ひどく衰弱していて……病院に運びましたが手遅れでした」

「はい。被害者は早い段階で亡くなっていたそうです。失踪後半年ほどでしょうか。その後、遺体はミイラ化したそうです」

「動機、ですか? 解りません。今となっては……被疑者死亡で書類送検になるでしょうけれど……」

「ええ。そうです。被害者の婚約者には連絡済みです。わいそうに」



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