此方タルミナ星立公園管理棟

何もかんもダルい

第一話 神殺しと、祟りの隔離

「嗚呼口惜しや、口惜しや。よもや子供一人喰うこと能わぬとは」


 狼が呪いを吐き散らす。その口から漏れるのはひゅうひゅうという空気の音だけだというのに、思惟だけが脳へ――――否、魂とでも呼ぶべき場所へと響いてくる。それは明らかな異常でありながら、これならば仕方がないと諦観と共に吐き出したくなる納得があった。


 何せ、眼前の狼は生首なのだから。


 2mはある頭部に連なっているのは、胴ではなく背骨。

 心臓も、肺も、内臓の一つもなく。唯一の頭部からは目も鼻も耳も削り落とされた腐乱死体の有様。

 腐りゆくのみというのに、ソレには虫の一つも沸いていない。滴る体液もなく、肉だけが塵へと還っては湧き、還っては湧く。

 枯れ果てた巨木がその淵から枝葉を伸ばすが如く、朽ち往くを待ちながら死に抗う巨狼の大蛇。そうとしか表現できない、絶大な存在がそこにいた。


 狼蛇の眉間には小さな鉄杭が刺さり、それは赤黒く発光している。ソレの巨躯を思えば骨から先には届かぬ程度のものでありながら、しかし確かに異形の怪物へ致命傷を刻み込んでいた。


「お前に力は無かろうに。お前に庇護は無かろうに。お前はただの人であろうに。なにゆえ、なにゆえ抗えた」


 まるで諳んじるかのように、即興で詩を詠うかのように、それは疑問を投げかける。眼前の、今まさしく神殺しを成した少年へと。

 しかし、当の少年は既に限界を迎えつつあった。加護も庇護もなく、そういう力もない故に大業を成した今も溢れ出る呪いと祟りに命を擂り潰されている。外見的な傷が無いまま、身体はどんどんと死へ向かっている。

 

 「神」を害するとはそういうことだ。路傍の草とて迂闊に触れれば毒で体がやられる。物質的なそれと隔絶した存在であってもその原理は変わらない。魂を蝕む猛毒は、その性質故に血清の役を担うものがない。


 常識的に考えて自分を殺したものを救う理由はない。恨み、怒り、呪い、無念を抱えるのが常。

 ゆえに、少年はここで死ぬ。


 ――――そのはずだった。



「知らねぇ」

「ほう、口を開けるか。もはや身じろぎはおろか心の臓を動かすのも苦痛であろうに」


 少年は立ち上がる。理屈など無く、魂という不明が齎す激痛を怒りでねじ伏せて、眼前の古木へとか細い声で吠え掛かる。


「何で抗えたかってそんなの知るかよ。お前の事情も知ったこっちゃねぇ。ムカつくんだよ、死ねよ。お前のせいでこんな目に遭ってるんだよ、死ねよ。逃げても諦めても殺す癖にべらべら喋んな、死ねよ!」


 死ね、殺す、殺す、死ねと、毒に侵された腹の底から沸き立つ殺意の呪詛。殺す、殺す、命に代えてもと、生きながら死後の怨念に匹敵する密度で放たれるそれを眼球のない目で見つめて、狼蛇は破顔した。


「ふふ、はははははは――――!!! 嗚呼そうであった! そうであったな若人!! 命を狙うものは憎い! 恨めしい! 殺すから死ねと叫ぶが世の常! それこそ命の本懐!!」

「何が可笑しいんだよ、死ねよ糞が」

「くくく、いや何、己が本心を思い起こしたまでよ」


 少年から注がれる憎悪を直視しながら、狼蛇は笑う。嘲るでもなく、弄ぶでもなく。ただただ真っ直ぐに意思を返してくる。

 呪わしいのだ、恨めしいのだ。何もかもを嚙み砕いて踏み躙って、己を害そうとする全てを滅ぼしてしまいたい。俺が生きるのに邪魔だから死ねよと、傲慢な悪意が炸裂する姿。

 と同情し、共感して懐かしさすら覚えながら狼蛇は少年へと飛び掛かる。


「気に入ったぞ、若人。毒で蝕んでおいて何だがな、お前を生かしてやろう」


 ――――そう、神に魅入られるとは、そういうこと。

 祟りは契りへと変わり、はふりを以てのろいを成す。


 ぞぶりとおぞましい音を立てながら、腐肉に塗れた牙が首を貫く。骨折を直すボルトを正常な骨へ捩じ込むが如く、へし折り砕きながら一体化していく。

 ばきりべきりと聞きたくもない不快な音が狼蛇の全身から溢れ、その形を大きく変えながら波打ち、そして癒着した。


「神を殺せ、星を喰らえ。それこそお前の本性よ」


 全ての役目を終えた狼蛇の体が崩れていく。同時に少年へ流れ込んだ祟りはあまりの密度故に質量すら獲得しながら、衰弱した体と魂を悪意と殺意で補強していく。


「歓迎しよう、祟り人。お前の末路を見届けようぞ」


 ――――ここに、生きた災害は産み落とされた。







 

 神様に見初められたら、幸せだろうか。

 その神様が悪意そのものだったらどうなるだろうか。あるいは、人を害することをこそ至上とする厄災であったのなら? そもそもように作られた人造であったら?


 そこに生まれるのは、きっと悲劇と絶望だけだろう。

 悲しいかな、彼らとて生まれようと思って生まれてくるわけでは断じてない。偶然この世で自己を確立しながら、在り方ありきの存在故に衝動に逆らえず、最期には幸せにしたい誰かを呪ってしまう。その果てに、無関係のどこかの誰かすら捩じって潰す災害と化してしまう。


 故に、それは“祟り”と呼ばれるのだ。

 あまねく想いははふりからのろいへ転じ、そして祟りとなる。


 世界のすべては偶然で、悲劇もまた同じ。

 ゆえに、全ての悲劇を止めたいのなら、そもそも悲劇の原因が存在しない世界にする必要がある。


「……とまぁ、我々の職務はそんなとこです。無限に沸き立つ奈落の底を監視し、外へと出ないよう見張り続ける。これから行くところはそういう……なんといえば良いのか。霊地とかパワースポットとか、まぁそんなとこです」

「はぁ」

「いやぁ、此方としても人員不足は深刻でして。貴方のようなバッチリで意欲もバリバリな子ってのは願ったり叶ったりなんですよ」

「安易に死にたいとか困るみたいですしね」

「ええ、ええ。我々には死ぬ気で生きて遂行しなければならない仕事ってものもあります。ですので貴方のような『死ぬぐらいなら殺して生き延びる』って気概は大歓迎なんです」


 黒塗りにスモークガラスの車が曲がりくねった山道を走っていく。

 すれ違う車もない鬱蒼と茂った道は、路面こそしっかりと整備されているが木陰で日が届かない為に湿っており、どこか異界のような気配すら醸し出す。

 その不安感を紛らわすためか、運転手を務めている金髪の男性は休む暇もないマシンガントークを展開していた。それは彼自身と言うよりも今助手席に乗っている少年を案じてのもの。


 だが、当の少年は……

 

「……本当に暗いですね」

「ええ、木が無茶苦茶に生い茂ってジャングル状態なので昼間でも薄暗いんです。大概の人って言うのはここに来るとすごく怯えるんですよね。“良くないものがこの先にある”って本能的に察しちゃうせいなのか体調を崩す人がホントに多くて。……君は平気みたいですね、柊介しゅうすけ君」

「……まぁ、に比べればそよ風みたいなものなので」

「うーん頼もしい。馴致訓練は抜かしても全然イケそう」


 少年――――柊介にとって、ただ気味が悪い程度の空間は感知はしても何らかのアクションを起こすには至らないもの。彼の裡で今も尚渦を巻く弩級の悪意が原因であり、端的に言えば強い毒素に常に触れている状態のために体が慣れてしまっている。裏を返せば刺激に対して鈍化しているということでもあり、本来は矯正すべき事柄だ。


「殺すだけなら、いくらでもできます」

「ほう?」

「今も分かりますから。吐き気がするほどイライラするモノがいる場所」

「なーるほど。殺意のレーダーとはまた物騒な」 


 狼蛇の悪意は、ただ感覚を慣らすだけに留まらない。殺したい、潰したい、噛んで砕いて滅ぼしたい。何処だ何処だ何処にいる、殺してやるから死ねばいい……そんな意思が伝播した結果、不安感への鈍化と引き換えに不快感が発されている位置を割り出す嗅覚的な第六感が発達していた。


「まぁ好都合ですね。どうしても人員がスカスカになりがちな所に期待の新人放り込めるので」

「……そんなに大したことは出来そうもないですけど」

「そこはほら、訓練と経験を積まないと誰だって最初は足手まといですよ。私だって新人の頃は大迷惑かけまくったので」


 はっはっはと軽快に笑いながらアクセルを踏み込んでいく男性。柊介の方はといえば、身体を思い切り振り回されるような慣性の暴力を味わいながらも平静を保ち、自身を見定めるようなぶしつけな視線へと気を配り続けていた。


 それから数時間後。山道を爆走していた車はとある建物の前で止まることとなる。

 そこは古い診療所のようにも見える場所。中は綺麗に片付けられてこそいるものの、長いこと使われていないためか埃が目立つ。エアコンなどの現代的な機器は見当たらず、どこか前時代的な風景だった。


「家電、ほとんど無いんですね」

「まぁ地形が地形なので。この後説明しますけど使える電力に限りがある上に使い道もほぼ決まってるので、どうしても色々制限せざるを得ないんですよね」

 

 そのまま青年に連れられて柊介は二階へと上がる。「関係者専用」と書かれた分厚い鉄扉を開けば、そこはいくつかの機材が置かれた机に資料を置いておくのであろう空の棚、そして新品のベッドが置かれている部屋。ビジネスホテルの一室ほどの最低限人が寝泊まりする程度の環境が整えられたその部屋は、机の正面と左横の大窓から全景を見渡せるようになっていた。

 ベッドの上に手に持っていた大きなトランクを置いて、青年は改めて柊介に向き直る。

 

「さて、ここが君がこれから暮らしてもらう場所になります。そして、その生活を送るための仕事をこなす作業場でもある。……では、改めて契約と行きましょうか」

「はい」


 柊介は数少ない手荷物だった書類用のファイルを開き、そこにあるの書類を取り出す。

 書かれている内容は現代的な契約書のそれであり、通常の企業と比べても異様に厳格な機密保持と権利・義務に関する文言が連ねられている。


「契約の一環なので内容を大雑把に復唱しますね。まず、貴方は此処以外に本籍地を移すことは。許可を得た数日の外泊ならともかく、今後一切引っ越しは出来ないと思ってください」

「はい」

 「次いで、貴方にはここで幾らか仕事をこなしていただきます。内容は追々教えますし、サポートもします。そう難しいものではないのでご安心を。我々が一方的に隔離しといて何ですけど、働かざる者食うべからずの精神ですね。無償で養えるほど我々の懐に余裕があるわけでもないので……まぁ、そこはご勘弁を。生活に関しても可能な限りサポートします」

「分かりました」

「ですが、精神的、肉体的に復帰が不可能と判断されたとき……つまり、貴方が植物状態や廃人となったとき、貴方はされます。コレの理由はお分かりですね?」

「俺の中にいるヤツを暴発させないため、ですよね」

「そういうことです」


 男性の口から出てくる契約の内容は、およそ人権というものを無視した響きを持っていた。連れてきた土地が恐ろしく広大であるとはいえ、『これからここでお前を飼い殺しにする』と告げている。

 だが、それを柊介は受け入れる。己の裡に棲み付いてしまった呪詛、悪意の強大さを知ってしまったが故に、そこへ異論反論を挟まない。「平穏無事のためには自分は死ぬべきだ」と理解しながら、死にたくないと突っ撥ねたこと。その意味をよく分かっているから抗わない。


 「一応、分かってはいるつもりです」

「……であれば、こちらも一応告げておきましょう。神の祟り、土着の呪詛を継いだ『祟り憑き』を市井に放つわけにはいきません。まして君が継いだのは文字通りの桁違い。これを放置することは、道端に起爆装置とセットの核兵器を置いておくのと何も変わらないのです」

 

 棄てられた神という名の形ある災害を殺し、その災害を継いでしまった人間。そんなを、ただの一般人として放置するわけにはいかない。

 祟りとはそういうものなのだ。誰でもいい、何でもいい。とにかく目の前にあるモノ全てを呪って腐らせ壊してしまいたい。発生する現象こそ多々あるが、その根底にある猛毒は全く単一のもの。ゆえに、それは人の精神性に収まらない超越存在が持っているべきもの。様々な情動を抱くただの人間が災害を宿してしまえばどんな悲劇が待っているか――――それは、数多の創作物が体現しているだろう。たった一つ、ただ一度、些細な欲望に抗えなければ町一つ消し飛ばす。


 少年が継いだ“祟り”はそのような物質的な破壊こそもたらさないが、一方で生命の虐殺という点においては単なる物理破壊よりもよほど凶悪で最低。だからこそ男性は、ここに君を封じ込めると語る。


「普通はある程度反感を抱いたりするものなのですが……物分かりが良すぎて心配になりますね」

「親にもよく言われました」

「……では、最後に。一生を表舞台から切り離されて生きていく証明として、貴方の名前を剝奪します。そして、今ここで自分の名前を決めていただきたい」


 名前の剥奪。それは、表向きでは彼は死亡したことになるということ。此処に居るのはとなり、どう名乗るのかを改めて決定する。


「じゃあシュウで」

「判断早ァい!? もっとこう悩んだり悲しんだりしないんです!?」


 あっさりと決めて羊皮紙にフリガナごと書き込んでしまった柊介改め柊。青年はこれまでの飄々とした態度を投げ捨てて愕然とするが、それを柊は切って捨てる。


「名前が何であれ、俺が俺なのは変わらないでしょう?」

「えぇ……いやまぁそうなんですけど……落ち着き方が思春期真っ盛り10代のそれじゃないんですよ君。普通は泣いたり戸惑ったりするもんですよ?」


 がっくりとオーバーリアクションぎみに肩を落とした青年。この落ち着きもまた個性かと気を取り直し、署名と判子代わりの血判を押された羊皮紙を丸めて麻紐で縛り、手提げ鞄へと仕舞って真面目な顔をする。


「コホン……改めまして。私はローゼル。此処、『タルミナ星立公園』の総合事務担当兼1級レンジャーです。こちらの都合ありきとはいえ、歓迎しますよ。柊さん」

「よろしくお願いします。ローゼルさん」


 差し出された手を柊は握り返す。


 少年の新しい人生が、祟られた一生が、ここに始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

此方タルミナ星立公園管理棟 何もかんもダルい @Minestar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画