地獄のようなショタおねバッドエンド
ばち公
前
糊のきいた襟のシャツに、艶出しのされた黒の革靴。一目でそれと分かる、品のある出で立ち。
良家の子息然とした格好で、
「また会えたね、おねーさん」
私は浅く息を吐いて、服の下の御守りを握り締める。太陽を模した金属の御守り、その固い感触を、布越しに確かめる。
「そんなに怖い目、しないでよ。折角の綺麗なオレンジ色が台無しじゃない」
やたら明るいブラウンか、黄色味の強いアンバーか。そんな私の目の色を、彼はオレンジ色と評する。
「……久しぶりだね、クリムくん」
「うん。久しぶり――」
クリムくんと呼ばれ、上機嫌に緩む頬を銃弾がかすめる。
不意打ちだ。けれど当たらなかった。理由は分からないが、銃弾は時おり、悪魔を避けることがある(それでもこれ以上に強力かつ手軽な武器もないので、頼らざるを得ない)。
指の腹で頬を撫で、そこに裂傷があるのを確かめてから、彼はわざとらしく退屈そうな顔をする。
「ひどいなぁ。久しぶりの再会なのにこの仕打ち?」
「仕事だからね。今さらでしょ?」
幼い美貌を傷付けたことに罪悪感はない。私達が一言二言交わす間に、彼の頬の傷は治ってしまう。
悪魔は魔法を使う。人間は、銃などの武器を使う。人間は他にも、悪魔に対抗するため、彼等の魔法を真似て生み出した、『疑似魔法』を使うこともある(『触媒』に銀が必要なうえに、悪魔相手にはほぼ通用しないが)。また、人間の方が、数では圧倒的に
それでも、人間の――私達の方が、遥かに劣勢だ。
「……ずいぶん擦れちゃったね、お姉さん。戦争のせいかな? 初めて会ったときはあんなにも優しく、手まで繋いでくれたのに」
「あの時はね。今は違う」
「どうして?」
「うるさいな……!」
苛立ち任せに銃を撃つと、少年は軽々と高く跳んだ。着地音がないのは、彼の爪先が浮いているためだ。
改めて武器を構え直せば、少年は悠々と浮いて私を見下ろしてくる。
「僕は忘れないよ。あの時のお姉さんの、焦りを含んだ、思いつめたような横顔。太陽に照らされた、美しい人間の顔だったからね」
「しつこいってば!」
左腕に仕込んだ小型のボウガンから放った矢は、今度はまっすぐ空気を裂いて、彼の肘から先を吹き飛ばした。しかし喜ぶ間もなく、質量を持った影のような何かが、彼の腕を再生していく。
少年は、傷付けられたことにすら気付いていないかのように、私を見つめる。
「……自分だって忘れてないくせに」
惹き込むような問いかけに、私は答えない。矢の毒が効かないものかと目を光らせながら、腰に下げたナイフに手を伸ばす。
(――私だって、忘れてない)
あの時の少年は、少し大人びているだけの、ただの子どもに見えていた。
目に痛いくらい真っ白なシャツだった。砂埃舞う戦場で、幼い少年が私を振り仰いで立っていた。ルビーみたいな赤い双眸に、あの時の私は、どんな
「ねえ、大丈夫?」
保護しなければならない、と思った。
私は彼――クリムくんの手を引いて、いくつか言葉を交わしながら、避難所への道を進んだ。日差しは砂埃に遮られいやに白く、私は焦るように口を動かしていた。
何を話したか、全てをよく覚えているわけではない。
ただ私の、傷に熱を持った手とは対照的に、クリムくんの手は冷たかった。それが心地よかったことを覚えている。
今思えば何もかもが不自然であった。
恐らく良家の出であろう品の良い少年が、たった一人であったことも。人気の失せた街で、幼い彼が静かに立ち尽くしていたことも。革靴やシャツに汚れのないことも。
だけどそのときの私はただ、彼を保護しなければ、助けなければ、と。
まるで焦るように、そのことだけを考えていたのだった。
しかし実際は、彼は悪魔だ。国を挙げて敵対しているとか、そういった事情以前に、人間の私が「保護する」なんて、冗談にもならないくらい、強い。
「……もう終わり?」
つまらなさそうな声が頭上から降ってくる。
私は地面に這いつくばったまま砂利を掻く。グローブが裂けているのか、砂粒が手の皮膚を噛む。
「久しぶりに会えたのに、つまらないなぁ。……お姉さんがもう立てないって言うのなら、あっちの人達と遊んで来ようかな?」
奥歯を噛みしめると、まだ膝に力が入ると確認できる。
「私と遊ぶ方が楽しいでしょ?」
少年はニッと口角を上げる。それが答えだった。
本当は目を閉じて、頭を抱えながらじっとして、何もかもが終わるのを待っていたい。天災が去るのを待つ稲穂みたいに、頭を垂れて俯いて、全てをやり過ごしたい。
だけどそんなことできるはずもない。私は戦士で、彼は敵だ。――彼は私を、痛めつけも嬲りも嘲りもするが、決して殺しはしない。だけど、他の人間に対してはそうではない。
そんな彼を、私という『
――私がこの悪魔と出逢ったとき。
彼とは結局、避難所に着く直前で別れた。本人がそう申し出てきたからだった。
「ここまでで大丈夫だよ。ありがとう、お姉さん。お陰で助かったよ」
確かに既に安全圏だろうが、それでもまだ油断はできない。そう言って反対する私に、彼は苦笑を浮かべ、
「もう大丈夫だから。心配しないで」
と、聞き分けのない子に言いきかせるみたいにして、私を宥めた。
そんな風にされてしまっては、(私も未成年とはいえ)年上の軍人として立つ瀬がない。渋々頷く私に、少年はやわらかく微笑んだ。
「……またね、お姉さん」
その時は、こんな縁を結ぶことになるなんて、私は思いもしなかった。
あのときの彼は、本当に、ただの人間のように見えていた。少し大人びているだけの、子どもみたいに見えていたのだ。
その本性を知った今思い返しても、そう考えてしまうくらいに。
「ん、向こうも静かになったね。そろそろ終わりかな?」
「……」
「またね、お姉さん」
いつもの彼の挨拶だ。最終的に傷一つ残せなかったのも、いつもと同じ。うつ伏せた私には、それに答える気力も、味方の生死を確認する余裕もない。擦れる呼吸が、肺に苦い。
――こんな「またね」が、いつまで続くのだろう。
彼の気配が消えてから、私は目を閉ざす。太陽の御守りに震える手を伸ばし、ちゃちな金属細工の、角ばった感触を確認する。
そして苦痛と恐怖が少しでも落ち着くように、故郷の村のことを考える。きらきらして、明るくて、楽しくて。小さな私が、子どもが、元気いっぱいに笑っている。
私が護っているもの、私がいつか帰るべき場所のことを考えて、私は、少しだけ休む。
別に、あの悪魔の少年にボコボコにされるだけが、私の仕事というわけでもない。こちらから、悪魔を狩るために動くこともある。
人気のない市街地の一角。私は一人、息を潜めてターゲットが姿を現すのをじっと待つ。
どれほどの時間が経ったことだろう。はじめは日陰であった木造家屋の裏も、やがて太陽が昇り日が当たる。
じりじりと暑い太陽に黒髪を焼かれ、汗が頬を伝う。風一つ吹かない乾いた空気に、脳が
――こんな日は、過去の忌まわしい記憶が蘇る。
私は避難しそこねた人間を探し、真夏の市街地を歩き回っている。整然と木造の家屋が並んだ通りを、自分の影だけを供に歩いている。
コンディションは最悪だった。日光に頭のてっぺんから焼かれ、今でこそ慣れた乾燥した大気で、ひどく喉を痛めていた。
やがて私は、親とはぐれて泣きじゃくる、幼い子どもを見つける。
彼女の手は荒れ、指なんてまるで小枝のように細い。恐らく餓えからくる発育不良で、泣き声すらも不安定な有り様。そして私の手を握り返す、その力の弱々しいこと!
「もう、大丈夫だからね」
私にもやっと、なにか、できることがある。それだけの事実が誇らしく嬉しく、私は彼女の手を引いて街を歩いた。
ぱすん。という奇妙に抜けた音がして、私の腕がぐわんと大きく振られた。
手を繋いでいた彼女の
彼女のあまりにも軽い体は、倒れたときでさえ静かだった。糸の切れた人形のようにくったりと倒れて、その亡骸はより小さくなってしまったように見えた。
そのあと引きずり倒した悪魔に聞いた。そいつはただ人間の銃を、試しに使ってみたかったらしい。
どうして私でなく子どもの方を狙ったのって聞いたら、
なんだそれ。
帰還する頃には、すっかり日は傾いていた。目に痛いほど真っ赤な太陽が、遥か遠く、山の向こうに落ちていく。
私は仲間に大いに喚き散らした。「戦争はクソ」とか「私は兵士なのに」とか「子どもが死んだ」とか、恐らくはそんなことを喋り立てた。
支離滅裂だったと思う。それでも、一人煙草をふかしていた班長は、口も挟まず静かに聞いていた。
「本当にこんな戦争があるから、あんなことが起こるんです。あんな、あんな――!」
「……俺たちは、お前の言うそれに、直接、加担している側だぞ」
「え?」
ぞっとして、縋るような視線を向けた。班長は手持無沙汰な様子で、眼帯の上を掻いていた。
「こういう、小さな子どもが死んだり、親がそれを庇ったり、そういうのが――俺たちが敵を殺した結果、向こうの国でも起こってる。お前の知らない世界のどこかで起こっていて、それと同時に、こんな戦争があるからこそ、お前の故郷も護られてるんだぞ。俺達がしていることも、そういうことで。だから、お前は――」
「――はは、」
無口な男性の、珍しく長い言葉に、愛想笑いによく似た笑い声が零れる。
「……それで、『お前は』、なんですか?」
疑問形ではあるが、念押しでもある。それ以上は聞きたくない。
班長は瞑目していたが、やがて首を振った。短くなった煙草から灰が落ちた。
「いや、なんでもない」
「そうですか」
「子どもは早く寝ろ」
「……煙草、何本目ですか、それ」
班長は答えず、私の頭を抑え付けるように撫でつけた。へったくそな撫で方だが、嫌いじゃない。今の私を『子ども』なんて呼ぶのは、班長くらいだ。
銀のライター(班長が『疑似魔法』を使うときの『触媒』でもある)が、新しい煙草に火をつける。暗闇のなか、オレンジの炎が灯って優しく揺れていた。
ターゲットである悪魔を、並び立つ民家の屋根の上で追い詰める。
足を撃って引き摺り倒し、地面に這わせた悪魔の背を踏む。その頭に銃口を押し付け、弾丸を数発撃ち込んだ。それきりだった。
普通はこの程度だ。あのクリムという悪魔が、規格外なだけで。
「――で、なんで現れちゃうかなあ」
背後に立つ存在に、私は肩を落とす。今、彼を相手にできるほどの装備がない。悪魔の死体はあるが、魔法で戦う彼らに装備の期待はできない。
しかし考えあぐねる私をよそに、彼に戦意は無いようだった。ただ愛想よく、にこっと笑いかけてくる。
「久しぶりだね、お姉さん」
最近、こういうことが多い。彼はただ現れて、言葉を交わして去っていく。……殴られるよりはマシだが、ただただ不気味だ。
「言うほど、久しぶりかな」
「名前」
「……クリムくん」
おざなりに呼べば、彼は満足げに笑う。
遭遇したときは名前で呼ぶようにと、そう言ってきたのは彼の方からだった。
なんだそれ、と思わなくもなかったが、別に減るものでもないし、適当に従っている(普段は絶対に呼ばない)。
とにかくこれで少しでも機嫌が良くなって、隙が生まれればいいのに、とこっそり思っているが、今までうまくいった試しはない。
「どうしたの、急に」
「お姉さんが、僕以外の悪魔と戦うのが心配なんだよ。どんなに脆弱な悪魔でも、『獲物』を見つけるとそれに執着してしまうからね」
「よく分かんない習性だよね、それ」
悪魔の習性らしいが、人間の私には、本能でそんなことが行われてしまうということが理解できない。
命懸けで戦うライバルを、自力で見つける、ということだろうか? しかし、彼と私の関係は、ライバルなんかではないだろう。
じゃあ何かと言われたら、困るけど。
「お姉さんは面白いから、絶対気に入られるに決まってる。だから戦った悪魔は、全員ちゃんと殺さないと駄目だよ? ……君は僕の獲物だ」
少年の真紅の双眸が、蛇のように歪む。背筋に、寒気よりももっと冷たい、氷のような感覚が走る。
率直に言って、恐ろしかった。
やめて下さい、関わらないでください、許してください。助けてください。泣き喚いて土下座して、その足に縋っても良かった――それをして、意味があれば、だ。
立ち尽くす私に、美しい悪魔が微笑む。
「お姉さんはきっと、戦争には向いていないんだろうねぇ」
「……私もそう思うよ」
「なぜ軍人になってしまったの? 徴兵で?」
「私は、故郷を守るために来たんだよ」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
私は『太陽の御守り』を胸に、揚々と故郷の村から出てきた。入隊理由を、現在の班長に問われて、私はまっすぐに答えた。
――私の故郷を守るために来ました!
今思えば、あんまり馬鹿な理由だった。別に前線の村でもないくせに。
記憶のなかの班長は、無表情にそれを聞いていた。でも彼の表情が読めるようになった今思い返すと、彼なりに困った顔をしていたように思える。
私はただ、なぜか、あの村を、平和を護りたいという気持ちを持って動いていた。私は本当に、ただそれだけの気持ちで、こんなところまで来てしまったのだった。悪魔を殺し、悪魔に甚振られ、子どもが死に、それに加担するようなところに。
だけど私にはまだ、護るものがある。帰る場所がある。
私の後ろには私の国がある。領土はもちろん、そこに住む皆も含めて、私が護っているものだ。
そのなかにはきっと、私の故郷があるはずだ。一番最初、キラキラしていた頃のきっかけ。私の希望。私にはまだ、帰る場所も目的もある。
私がこの悪魔に甚振られれば、私の大事な仲間だって助かる。仲間が助かれば軍としても助かる。こういう努力はいい結果に連鎖していくはずだ。私の知らない世界のどこかで、可哀想な子どもだって助かっているかもしれない――。
気付けば私は、胸元の御守りを握り締めていた。手が白くなるほど力を込めていて、私はそれを悪魔に指摘されて自覚した。
彼は呆れたように息を吐いた。
「――このまま戦争が続くと、本当に死んでしまいそうだね」
「え?」
「ううん、こっちの話」
にこっと笑う。普通の、明るい笑顔だった。初めて会ったときのことが、私の脳裏をよぎる。
――あのとき私は、本当に嬉しかったのだ。救われたと思った。
私にもできることがあると思った。こうして、助けられる命があると。私達の行動――悪魔を殺すとか、そういったことの先で、何かが護られているのだと。
手を繋いで避難所まで歩き、何事もなく辿り着けたとき。彼が私に助かったと、「ありがとう」と言ってくれたとき。私は本当に、本当に――。
「クリムくん」
「……なに、どうしたの?」
クリムくんはわずかに目を見開き、それから薔薇色の頬をゆるめて優しく微笑む。見たこともないくらい嬉しそうで、声なんて変に甘やかで、私は思わず戸惑った。というか引いた。
(なんだこいつ)
言動の意図が分からない。悪魔に見たことがないタイプの感情だった。新手の魔法の前兆かと思ったが、その様子もない。
「どうしたの、急に黙って」
「な、なんでもない……」
「何か僕に聞きたいんだろう? 君の問いであれば、なんだって答えてあげるよ」
気まぐれに、優しくしたい気分なのだろうか。それならその言葉に甘えてみようか、と思う。
私にはずっと、彼に聞いてみたいことがあった。
彼と出会ったとき。一緒に避難所まで向かって、彼はその途中で私と別れてしまった。
(あのときどうして、あのまま帰ってしまったの?)
私を殺しもせず、避難所の破壊もせず、彼はそのまま姿を消した。普段の彼の言動を考えれば、避難所に私と向かってから正体を現し、避難民を甚振り、彼らのヘイトを私へ向けさせて、私を石打の刑で殺させてもおかしくないくらいなのに。
それとも、これは私の間違ったイメージなのだろうか。彼は、そんな人間(悪魔)ではないのだろうか。
だからこの問いに、いい答えを聞いたら。そうしたら私は――。
(――私は、なんだというんだ?)
彼の内心がどうであっても、今さら関係ないだろう。私が彼を――彼が私に対して時たま見せる、理解しがたい挙動を――内心で、理解したいなどと思っていても、関係がない。
事実として、私は今、彼と顔を合わす度に、彼を殺すつもりで立ち合っている。彼の内面を推し測る以前から、武器を取れば急所を狙うし、どんな軽口を交わしていても、彼の命を取る手段を模索している。何度地面に倒されようと、もがき、足掻いて、どうにかして一矢報いてやろうと、そればかりを考えている。
向こうは私との戦いを、ただのじゃれ合いくらいにしか、捉えていないかもしれない。でも、私は違う。弱い人間として、戦士として、殺意とともに、こういう考え方で動いてきた。
こんな人間が、今さら、何を――。
「ごめん、なんでもない。……呼んでみただけ」
怒られるかと思ったが、彼は「そう」、と微笑んだだけだった。
それでつい、ぽろっと本音が零れた。
「なんか今日、優しいね」
「初めて会ったときから、僕はずっと君に優しくしてきただろう?」
さすがにこれには答えられなかった。私は死にそうな気持ちになりながら無言でやり過ごした。それでもクリムくんは、不気味なくらい上機嫌だった。
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