第2話

1日目


 翌朝、目が覚めると、5月下旬にもかかわらず、汗で服がびっしょりと濡れていた。

 大丈夫か自分? 優人はそう思いながら、時計に目をやると、そこには8:30と表示されていた。

「シャワーでも浴びるか」

 ボソッと独り言を言いながら、自室のドアを開けて、階段を降りた。1階には誰もいなかった。窓から外を覗くと車もなかった。優人は日曜日だし、どこかへ出掛けたのだろうと思い、気にも留めず浴室へ向かった。


 シャワーを浴びていると、明け方に見た夢が脳裏によぎった。それは、余命宣告される夢だった。医者から「余命5日です」と言われた優人は、笑いながら「そんなわけないじゃないですか」と冗談半分で言ったが、医者の顔に笑顔は無かった。優人からも笑顔は消え、「そんなわけないですよね」ともう1度尋ねた。すると、医者から「――――」

 ここで目が覚めた。


 シャワーを浴び終えた優人は、突然恐怖心に襲われた。しかし、夢の内容に恐怖を抱くなんて馬鹿馬鹿しい。お腹もすいたし朝食でも食べよう。そう思ったからなのか、すぐに平常心に戻り、白米とインスタントの味噌汁に箸を付けた。


 朝食を食べ終え、優人は、これからこの日曜日をどう過ごそうかと考えていると、玄関のドアが開くと同時に垂泣(すいきゅう)している母と、目に涙を浮かべながら母の背中をさする父の姿が見えた。


 両親のこんな姿を目の前にして、さすがに無視できず、何より泣いている理由が気になった優人は、思い切って口を開いた。

「お……おかえり。一体……何が……あったの?」

 しかし両親からの反応は無く、母の泣き声だけが家中に響いている。優人は、思い切って口を開いたにもかかわらず無視されたことに対して、若干の苛立ちを感じたが、それを抑えてもう一度尋ねてみた。

「なぁ、何があったん?」そう言いながら、父の肩をトントンと叩こうとすると、優人の手が父の肩をすり抜けた。

「えっ?」

 優人は、目の前で起こっている状況を理解できなかった。

「なぁ……なぁ、なぁってば!」

 しかし両親は優人の存在に気づいていない。

「お願い……こっちを見て……お願い」

 それでも両親は気付かなかった。

 優人は、自分の存在が見えていないことを理解した。


 優人は、自身の思いが現実になったが、両親があれほど悲しむとは思いもしなかった。

「もう……僕なんかの心配……してないと思ったのに」そう言い、涙を浮かべながら、今起きているこの非現実的な事象から目を逸らすかのように、階段を登った。

 そして自室に入ろうとした瞬間に、ある1つの疑問が浮かんだ。優人は、その疑問を晴らすためすぐにキッチンへ向かった。

 キッチンに着いた優人はあるものを探した。そして、見つけるのに時間は要さなかった。

「あっ、あった」

 優人は、見つけた包丁を自身に向けていた。しかし、包丁を持つ手は小刻みに震えていた。優人は死への恐怖を拭いきれなかった。



「ふぅー、大丈夫……大丈夫」

 そう深呼吸をし、自身に言い聞かせた。

「よし……やるぞ……」そうつぶやいた瞬間に、包丁を腹に刺した。が感触が無かった。

「はぁー、良かった」

 包丁を持っていた手ごと自分の体をすり抜けて、自分自身の大量出血を見ずに済んだ。


 優人は、自分は死んでいるのか、まだ生きているのか、という疑問を抱いていたが、さっき行われた自殺未遂によって、さらに疑問は深まった。そして、その疑問を解決するために自分の存在が見える人を探すことにした。

 しかし、外の世界に出るという行為は、優人にとって不安の対象でしかなかった。ただ、それと同時に誰からも見えていないという孤独も感じ始めていた。そして、優人は決心した。


「大丈夫……大丈夫……絶対に大丈夫」そう自分に言い聞かせながら、ドアノブを握りしめていた。しかし、握る手は震え、足はすくんでいた。汗も額から頬を伝い、顎から地面に滴り落ちている。あとちょっとの勇気が無かった。そんな時、背後から聞こえてくる両親の泣き声。

 泣いている両親を見て、

「自分はまだ死んでなんてない。まだこの世に存在してる。それを証明したい。……待っててね」と言った。

 言ったときに母と目が合った気がしたが、恐らく見えていてほしいという願望が勘違いを引き起こしたのだろう。


 優人は、勇気を振り絞ってドアを押した。優人にとっては約1年ぶりの外の世界だった。気温は26℃。空はどんよりとした雲に覆われていた。湿度も高かったせいか、優人は少しだけクラッとした。


「どこに向かおうか……」

 そんなこと考えながら、目的地も決めず彷徨っているが、当たり前のようにすれ違う人々に僕の存在は見えていない。

「はぁ……本当に見えてないんだなぁ……」

 見えていないという現実を突きつけられ、改めて不安と孤独。そして、疑問が心の中でグチャグチャになっていた。


 ひとまず優人は、なるべく人が多いところへ行き、少しでも自分のことが見える人を探すことにした。


「まずは、駅にでも行ってみようかな……」

 最寄り駅までは徒歩6分。気温と高い湿度のせいで服が汗ばみ、とても煩わしかったが、それでも足は止めなかった。一刻も早く、この不安と孤独を拭い、モヤモヤしている僕の中の疑問を解決したかった。そんなことを考えているうちに、駅前に着いた。しかし、案の定、僕のことが見えている人は一人もいなかった。

「そりゃ、期待してなかったし。さぁ……あそこに行くか」

 こうなることは分かっていた。だから、次の行き先は決めていた。父方の祖父母の家だ。祖父母の家は、高校生の時に居候していた。

 理由は、祖父母の近くの家にある進学校に、どうしても行きたかったからだ。自宅からだと通学に1時間30分かかる。そのため、両親から許可をもらい、祖父母にもそのことを話すと、快く受け入れてくれた。祖父母の家には、夏休みや冬休みの度に泊まっていた。孫の元気な顔を見られることは、祖父母にとって生きがいであり、非常に嬉しいことだったのだろう。

 しかし、僕が引きこもりになってからは1度も会っていない。だから、万が一、僕のことが見えたら……と考えると少しだけ怖かった。

「まぁ、見えるわけないよな……」

 そう言いながら、改札口に着いた。ただ、何も持たずに家を出たため、切符を買うお金など、もちろん持っているはずもなかった。

「駅員さんにも、見えるわけないだろう」

 そうは口にしたものの、少しの不安を感じながら、切符を買わずに改札を通ろうとした次の瞬間、改札のゲートが閉まり、駅員さんが

「切符、持ってる?」そう問いかけてきた。

 確かに僕と目が合っている。僕に言っているに違いない。そう確信して

「すみません、買いわ」

「大丈夫、切符の買い方分かる?」

 駅員さんは僕が話しているのを遮って、そう言いながら駅員室から出てきた。

「あの……僕のこと見えてますか?」と問いかけるも反応は無かった。

 まさか、僕じゃない?そう思って後ろを振り返ってみると、そこには、小学校低学年ぐらいの男の子がいた。駅員さんはその男の子に話しかけていたのだ。

「 ん、待てよ。駅員さんに見えていないのは分かったけれど、改札は何で閉まったんだ? 」

 そう思って改札をよく見ると元から閉まっていた。

「はぁ、何だ……。」と自分が勘違いしたことに対して呆れてしまった。

 そして、見えていないことへの孤独感を持ったまま、改札口をすんなりと通った。

「まぁ、祖父母の家へ行けるからこれはこれでいいか…………。いや、行くことが目的になってる。まずは、僕が見える人を探すことだ。そして……僕自身が生きているのか。それとも……」

 本来の目的を見失えば、疑問の解決から遠のいてしまう。疑問を解決するために最善の行動をしよう。


 そう胸に誓いながら、階段を降りて、ホームで電車を待った。

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