02-6.後宮には怨霊がいる

「……賢妃様、どうされますか?」


 梓晴は槍を片手に香月に問いかける。


 先延ばしにするわけにはいかない。これ以上に後宮の被害が出る前に食い止めなくてはならない。


 ……消滅しそうな気もするが。


 怨霊の黒い靄が時々天に上がっていくのが見える。天に帰れるわけではなく、少しずつ消滅していっているのだろう。


「ア、アア、アアアア!」


 声にもならない藍洙の声が響く。


 ぺたん、ぺたんと人ではありえない音を立てながら玄武宮の壁を登っていき、ついに結界の上まで辿り着いた。玄武宮の中を覗き込む目は酷く濁っており、結界を壊そうと叩く手の指はすべてなかった。


「ひゃあああああっ!? 賢妃様! に、逃げましょう!?」


「明明! 賢妃様はお逃げにはならない!」


「姉上! でも、あれ、あれ! 化け物ですよぉ!」


 明明は取り乱していた。


 混乱して声をあげている明明に対し、梓晴は槍の柄の部分で軽く殴った。その痛みに悶絶し、静かになっている間に再び槍を構える。


「一突きにして抑え込みましょうか」


 梓晴は香月に提案をする。


「……梓晴は皆を守ってくれ。私が氷叡剣で退治する」


 香月は上を見上げる。


 髪を振り乱しながら、結界を叩き続ける怨霊の形は少しずつ獣のようなものに変わっていく。


 ……戦いたくないな。


 逃げ出してしまいたいほどに恐ろしい。


 雲嵐は気功が扱えない為、戦力外だ。槍を構えているものの、腰が抜けそうになってしまっている。対照的に嘉瑞は今にも飛び出しそうだが、怨霊を退治するほどに強いわけではない。


 雲婷は清めの塩を用意しており、香月が勝つと疑ってすらいなかった。


 怨霊には武器が通じない。


 仙人が残した宝貝の力を借りなければ、怨霊には武器が通らない。


 ……しかし、私が引くわけにはいかない。


 恐ろしさは変わりはない。


 それどころか、悍ましさが増しているような気がした。


「氷叡剣」


 香月は氷叡剣を手に取る。


 結界と共鳴しているのか、敵対するべき相手がいることを喜んでいるのか、氷叡剣はいつも以上に冷たさを増していた。


「結界を凍らせろ」


 氷叡剣に命令を口にしながら、結界を断ち切るように剣を振るう。


 玄武宮を守っている結界は一瞬で凍り付く。藍洙はとっさに逃げようとしたが、既に遅く、手足が凍ってしまい身動きが取れない。


 香月は地面を蹴り上げる。


 玄武宮を守るように作られている壁の上に立ち、藍洙と対峙する。


「あ、あああああああああ」


 咆哮するように藍洙は声をあげた。


 威嚇している獣のようでもあり、やはり、人ではないものに変わってしまっていた。目を見開き、今にも零れ落ちそうだ。口は耳の近くまで避けており、人とは思えない牙が見えている。


 食らいつこうとするが手足が動けず、もがいている。


「黄藍洙」


 香月は名を呼ぶ。


 翠蘭のように対話が成立するとは思ってもいない。


「罪を償え」


 香月は淡々とした口調で告げた。


 氷叡剣を藍洙に突き刺す。悲鳴もあげなかった。逃げようと必死に顔を動かすものの、黒い靄は徐々に凍り付いていく。


 ……かなり持っていかれるな。


 気功を氷叡剣に込める。


 相当な量を込めているのだが、瞬く間に足りなくなりそうになる。香月はそれでも止めるわけにはいかなかった。


「あ、ああ、あ、あ、あ……」


 藍洙は声をあげながら消滅をしていく。


 その哀れな姿に同情はできなかった。



 黄藍洙は哀れな人だった。



 元々貧しい実家を支える為だけに後宮入りをし、その後、雹華の下女として取り立てられるものの、見た目が気に入らないという理由で杖刑をはじめとして様々な私刑に遭った。


 それは死にたくなるほどの苦痛であったが、家族の為に死ぬわけにはいかなかった。


 それを救ってくれた皇帝にすらも見向きをされない。


 ただ愛されたいだけだった。それすら叶わないと気づいてはいたが、それを叶えるまじないがあると侍女に囁かれて手を出してしまったのが、すべてを壊す原因だった。


 侍女頭となったのは憎くてしかたがない雹華の下女だった。


 その言葉に利用されるのは腹が立った。しかし、他の手段を藍洙は知らなかった。


 ほんの出来心であった。


 なにも苦労をしていないように見えた四夫人が羨ましく、失敗ばかりをしていると嘲笑されている翠蘭が相手ならば、自分も上に立てるのではないかと思ってしまった。


 それがすべてを台無しにした。


 翠蘭は強かな女性だった。呪術に疎く、気功もない。武功もない。それだけで玄武宮の侍女や下女から見下されていたのだが、それでも、翠蘭は負けなかった。


 そんな翠蘭が死んだと聞き、藍洙は酷く驚いた。


 そして、代わりに来た新しい賢妃はすべてを持っていた。嫌がらせをしても通じず、呪術返しをされる始末であった。話し合いを申し込めば応じる肝の座った女性であり、話し合いの場では勝てないと悟るしかなかった。


 もっと早く出会いたかったと藍洙は牢の中で思っていた。


 それを言葉にすることはできずに――。




「――賢妃様!」


 雲婷に呼ばれて我に返る。


 氷叡剣を通して藍洙の過去を垣間見ていたようだ。


「すぐに降りる」


 壁の上から飛び降りる。


 氷叡剣は氷の粒のように消えてしまった。

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