01-3.玄家からの贈り物
雲嵐はゆっくりと立ち上がり、香月に深々と頭を下げてから背を向けた。なにも話さないように言い付けられているとはいえ、その姿は寂しいものだった。
「父上は雲嵐になにをした?」
「ご当主様は彼が話せないように舌をお切りになられました。そして、罪人として扱うようにとおっしゃっておられました」
嘉瑞の言葉に香月は目を伏せた。
……父上のやりそうなことだ。
話せないようにと舌を切られていてもおかしくはない。
そこまで徹底する人だと知っていた。
……あの人は妙なところを徹底したがる。
「彼は罪を犯したのです。それを償う為に宦官になりました」
嘉瑞は淡々と語る。
……罪か。
玄家は罪人を徹底的に追い詰め、最後には死に至らせる風習が残っている。情報を抜き取れば用済みだといわんばかりの拷問は死を前提にしたものばかりだ。
……雲嵐がなにをしたというのだ。
賢妃となった香月の幼馴染だった。
幼い頃から香月の付き人だった。
同い年の相手に好意を寄せたところでおかしくはない話だ。二人の身分差がなければ、周囲が祝福されたことだろう。
……父上は身分を重視される傾向が強い。
なにが父をそうさせているのか、香月にはわからなかった。
「そうか」
香月はやっとのことで言葉を口にすることができた。
「玄武宮では宦官を罪人として扱わないと決めている。嘉瑞もそれに従え」
香月の考えは玄武宮の指針となる。
賢妃の考えを否定できる侍女や宦官はいないと知っているからこそ、明言した。
「承知いたしました」
「二人には苦労をかけることになる。すまないな」
「いえ。あなた様にお仕えをする為、宦官になったのです。お気になさらないでください」
嘉瑞は自ら名乗り上げたのだろう。
二人の待遇の差は、元々の身分によるものだ。
「……剣舞の修練を行う」
「承知いたしました。誰も邪魔はできないように見張り役に務めましょう」
「そうか、それは心強い」
香月の言葉の意図を嘉瑞はすぐに理解をする。
自室を出て、階段を降りる。玄武宮の掃除をしていた侍女たちは一斉に頭を下げて敬礼する。
その光景にも慣れてきた。
後宮は玄家とは違う。逞しい声の挨拶が飛び交う場所ではない。
「明明に後宮の案内をさせようか」
「いえ。地図は把握しております」
「そうか。それは頼もしいな」
香月は気を利かせたつもりだったが、既に予習してきたようだ。
後宮は広い。香月もすべての場所を把握しているわけではない。
玄武宮に滞在することが多く、玄武宮以外の宮に立ち入る機会は早々に恵まれなかった。
……明明から四夫人の情報を聞き出さなければな。
貴妃たちの名と顔は知っている。
彼女たちが守護結界に害をもたらすようなことをする愚かな人々ではないことも、法術に優れた道士だということも、香月は知っていた。
だからこそ、近いうちに顔を合わせることになるだろう。
「外は冷えませんか。賢妃様」
「私は平気だ。嘉瑞は寒いか?」
「いいえ。故郷よりも温かいと思います」
嘉瑞は香月の上着を用意するべきか、悩んでいただけのようだ。
その問いかけに対し、香月は静かに頷いた。
……氷叡山とは違う。
故郷である氷叡山にある玄家の屋敷は、年中、雪に覆われている。
それと比べれば、首都の麒麟省にある後宮は雪が積もることは十年に一度程度であり、普段は風花が舞う寒さだ。風の強い麒麟省だからこその現象かもしれない。
「剣舞の修練を行う。嘉瑞は周囲の警戒を頼む」
「かしこまりました」
嘉瑞は敬礼をする。
それに対し、香月は中庭の中央に立ち、目を閉じる。
「氷叡剣」
香月は気功を両手に集中させ、玄家で引き継いだ宝貝の名を呼ぶ。
氷のように透き通った剣が香月の前に現れる。玄家の始祖が仙人に与えられたという宝貝は、仙人になる資格を得た者だけが召喚することができる剣だ。
今生の持ち主は香月が選ばれた。
だからこそ、玄家は香月を後宮に渡すことを拒もうとしていたのだ。
……召喚に成功した。
玄家に伝わる剣舞を行うのは、剣が必要である。
剣があれば剣舞は舞える。しかし、ただ舞うだけでは守護結界の修復には繋がらない。
守護結界は気功を込めた舞を奉納しなければ、修復も現状を維持することもできないだろう。
それは氷叡剣でなければいけない。
香月はそれをわかっていたからこそ、安堵した。玄家を離れ、後宮妃となった香月は、氷叡剣の主人として認められている保証などなかったからだ。
「――ふぅ」
息を吐く。
地面を蹴り上げ、舞を踊る。
剣を振り回し、踊る。
その姿は玄家の守護である玄武のように二面性を秘めたものであり、見る者の視線を奪うほどに洗礼された動きだった。
剣で戦うかのように勇ましく、舞姫のように優雅に足元を動かす。
その動きは修練された者にしかできない。
……翠蘭姉上。
氷叡剣を空に向ける。
思う相手は非業の死を遂げた異母姉だ。
……貴女の無念は少しでも晴れただろうか。
黄藍洙は死んだ。
それは翠蘭を呪った相手が死んだことを意味していた。
……黄妃にはまだ聞かなければいけなかったのに。
死人に口なしとはまさにこのことだった。
無念を踊りに込める。
そうすれば、不思議と守護結界が淡い光を放ち始めた。
法術の才がある者や呪術の心得がある者ならば、その違和感を感じ取っていることだろう。
香月の舞は奉納の価値があった。
守護結界はそれを認めたのだ。
香月を見守る嘉瑞もそれを感じ取っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます