03-2.寵愛の噂

 ……姉上の仇を泣かせるくらいは問題ないだろう。


 地獄に突き落とされるような恐怖を味合わせても、まだ物足りない。


 命を失った者は帰ってこない。


 それを心底から詫びさせなければ気が済まなかった。


 ……後宮は女の園。女ばかりが集められていれば、僻み妬みで呪いたくもなるだろう。


 香月は後宮がどのような場所なのか、把握しつつあった。


 女性ばかりが集められた花の園。それは僻みと妬みの温床であり、強すぎる感情は不幸を引き付ける呪いを生んでいてもおかしくはない。


 それは李帝国を守る結界に悪影響を及ぼす。


 賢妃として香月が後宮入りをしたのにもかかわらず、結界の亀裂が増え続けているのは、確実に悪影響を受けているからだろう。


 ……元凶を炙り出さなければならない。


 今回、玄武宮に壺を置いた者は道術の心得を持つ道士ではない。


 それならば、香月の敵ではない。


 翠蘭の死の真相に近づける可能性ではあったが、犯人ではないだろう。


「黄昭媛の宮に投げ入れろ」


 香月は蟲毒を行うことを指示した侍女が出入りをしている居場所を特定した。


 九嬪の一人であるホァン 藍洙ランズは後ろ盾がない。


 黄家は名門とは呼べず、その日暮らしを強いられている平民とほとんど変わらない。その為、藍洙は後宮の下女として後宮入りをしたのだが、運悪く、俊熙のお手付きとなり九嬪の一人である昭媛の位を与えられたと言われている。


 どこまでが真実か、不明である。


 藍洙が昭媛の位を手に入れた際、後宮を駆け巡った噂ではあるが、その噂の出所は藍洙本人だった。その為、事実とは違うことを噂として流しているのではないかとも言われている。


 そのことが大きな闇を生んだ。


 闇に魅入られた藍洙を利用するのは容易いことだっただろう。


 藍洙は皇帝の寵愛を欲した。


 それさえ手に入れることができれば、今までのように下女として虐げられながら働くこともなく、実家にいる家族を苦労せずに養うことができると知ってしまったからだ。


 だからこそ、四夫人を妬んだのだろう。


 寵愛を得ずとも幸福そうに見えたのだろう。


「黄昭媛ですか?」


 梓晴は意外そうな声をあげた。


 黄家の後ろ盾がないのは後宮では有名な話だ。娘が昭媛の位を得たのにもかかわらず、父親も兄も政治に関わる才能が皆無だった。


 その為、九嬪の利用価値を正しく理解できなかった。


 藍洙が定期的に家に渡している金子があれば生活ができる。それ以上のことを望まず、藍洙だけが家族の為に働いている構図に違和感を抱くこともない。


 その姿に俊熙は同情をしたのだろう。


「九嬪とはいえ粗末な宮ですよ」


 梓晴は断言した。


 実際、後宮の見回りをしながら各宮の様子を確認してきたのだ。後宮内の建物の場所を正確に把握するのも、侍女の役目である。


 そのついでに後宮で出回っている噂を収集していた。


 翠蘭が関わる噂がないか、確認をしていたのだ。


「家具は最低限の飾り気のないものだと聞いたことがあります。侍女も黄家の者ではなく、適当な下女を雇い入れたとか。噂では払い下げも近いみたいですね」


 梓晴はかき集めた噂を口にする。


 ……払い下げ?


 皇帝のお手付きにもならない妃候補を褒美として家臣に渡すことを意味する言葉だ。一度、手を付けられた者が該当することはほとんどない。


「お手付きがあったのではないのか?」


「そういう噂はありますけど。実際は虐げられた下女に同情した陛下が昭媛の位を与えて保護をしただけらしいです。一度も夜枷はなかったらしいです」


「そのようなことがありえるのか?」


 香月は首を傾げた。


 俊熙が情の深い性格だということは知っている。しかし、九嬪の席が空いていたからといって同情だけで座らせてもいいものなのだろうか。


 ……同情と愛情の区別がつかない相手だったのだろうな。


 藍洙は皇帝の寵愛を受けられると信じて疑わなかったのだろう。


 その心を踏み弄った自覚は俊熙にない。


 皇帝の行動を非難する者もなく、後宮で好き勝手なことをしても問題視されることもなかった。


 その結果、翠蘭は一方的な恨みを抱かれることになったのだろう。


「陛下のお考えは下民にはわかりかねます」


 梓晴は迷いなく返事をした。


「気が乗らなければ、夜枷を中断するようなこともあるのでしょう? それなら、同情で妃に迎え入れることもあるのではないですか?」


 梓晴は俊熙の性格を知らない。


 だからこそ、噂を頼りに皇帝の性格を想像することにしたのだろう。


 ……ありえなくもないな。


 香月は心の中で同調した。


 俊熙は優しすぎるのだ。その優しさを他人に向けることに戸惑いはなく、その優しさの見返りを求めることもしない。一方的に与え、やる気が削がれてしまえばその施しを止めてしまう。


 ……やはり、翠蘭姉上は呪われたのかもしれない。


 それは一種の毒のようでもあった。


 後宮の花は毒を持つ。その毒に餌を与えてしまったと俊熙は気づいてもいない。


「その可能性は否定はできない」


 香月は俊熙の考えを理解できずにいた。


 ……確認をしなければ。


 一方的な優しさは毒にもなる。ということを俊熙は知らない可能性がある。


 皇帝の施しは民の人生を狂わせる。それを知ろうともしないだろう。


「だが、どちらにしても玄家に喧嘩を売ったのは事実だ」


 香月は藍洙に同情をすることはない。


 玄家は藍洙の思い込みによる一方的な恨みの被害者だ。それならば、香月は藍洙を敵と判断し、迷うことなく行動を開始する。


「それをさっさと放り投げてこい」


 香月の判断を誰も止めることはない。


 玄家は喧嘩を売られても大人しくしているような性質の人間はいない。


「はい。お任せください」


 梓晴は迷うことなく返事をした。


 それから壺を抱え直し、速やかに退室する。


 向かうのは藍洙の住んでいる昭媛の宮だ。その周辺に立ち並んでいる他の九嬪の宮と間違えないようにしなくてはならない。気を付けるのはそれだけだ。


「賢妃様。あの蟲毒は完成しないのでしょうか?」


 雲婷は不安そうな声をあげる。


 蟲毒は呪術を扱う道士ではなくとも、名を知られているほどの有名な呪いだ。正しいやり方と凄まじい恨み、それから蟲毒を飢えさせない適切な餌を確保できる状況であれば、蟲毒は中途半端な力を持つ者でも作れてしまう。


 それほどに恐ろしい呪いではあることを雲婷は知っていた。

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