02-3.皇帝の訪問
「朝まで共にいる理由がわかりません。翠蘭姉上を狙った輩を誘き寄せる為ならば、私は陛下の寵愛を受けられてなかったと噂されるべきではありませんか」
香月の言葉は正しい。
これは翠蘭の命を狙った不届き者を誘き出す餌なのだ。
「それはわかっている」
俊熙は足を組み、頬杖を付く。
その姿は皇帝とは思えないほどに粗雑なものだった。
「俺を殺したい連中によるものか、それとも、僻んだ後宮妃の暴走か。それもわかっていない。調べさせても自死だったと答えるばかりだ」
俊熙は若くして皇帝の座に就いた。
先代の急死によるものだ。
先代皇帝の東宮は俊熙であり、それ以外の男児には恵まれていなかった。それだけの理由で皇帝となった俊熙を思い通りに操ろうと企む者は少なくはない。
「俺が帰れば、連中はそなたを狙うだろう」
「かまいません。翠蘭姉上の仇を討ち取れるのならば、後宮にまで足を運んだ甲斐があるというものです」
「そなたはどこまでもまっすぐだな」
俊熙は呆れたようにため息を吐く。
それから、もう一度、隣に座るように催促をした。
……外には声が漏れないとは思うのに。
隣にいてほしいと思っているのだろうか。
香月には理解ができなかった。しかし、二度も催促をされてしまえば断るわけにはいかない。香月は立ち上がり、俊熙の隣に座り直した。
「俺が嫌なだけだ」
俊熙は香月を見ない。
「俺の妃は香月だけでいい。いずれ、時が来れば、そなたを皇后にしてやる」
俊熙の言葉は嘘ではない。
年相応に照れているのか。ほんのりと赤色に染まった頬を隠すこともせず、悪戯を告白するような口調で俊熙の本音を口にする。
俊熙は皇帝だ。皇帝が皇后を決める権限を持っている。
わざわざ、明言をしなくとも、俊熙の好きなようにすればいい。
「なにより、香月が俺の寵妃ではないと噂されるだけでも腹が立つ」
それなのに、なぜ、好意を口にするのか、香月には理解できない。
……どうして?
香月にはわからなかった。そこまで他人に情を寄せられたことはない。
それも俊熙が幼い頃に行われた茶会を口にしなければ、香月はあの時の貴人が俊熙だと気づくことはなかった。
鋭い視線を向けている貴人だと印象に残っているだけの存在だ。
それなのに俊熙は香月を覚えていた。
「その噂を口にしたやつが目の前にいれば、俺は容赦なくそいつの首を跳ね飛ばす。想像しただけでも腹が立つのに、なぜ、それを現実にしなければならんのか理解ができない」
俊熙は今宵の計画を知っている。
計画に乗るふりをして玄武宮に足を運んだのだ。
「今宵は去るつもりだった。事情だけ打ち明け、計画通りに駒を進めるつもりだったが、気が変わった」
「気が変わってしまっては困ります。これでは父上の作戦が台無しになります」
「気にするな。代案を立ててやる」
俊熙はあくびをした。
元々、書類仕事や宮廷の決め事などで忙しいのだ。寝る間も惜しんで動き回っているのにもかかわらず、夜伽の役目を果たせと言われても苦痛なだけだった。
「今宵はここで寝る。香月、共寝をするくらいは問題ないだろう」
俊熙は決めてしまったようだ。
いそいそと寝具の上に寝転がり、その隣に寝るように催促をする。
……本気か。
香月も覚悟を決めなければならない。
「お隣を失礼します」
「気にするな。寝相は悪くはないはずだ」
「はい。私もそれほどには酷くはないと思います」
香月は淡々とした声で答える。
それが俊熙には心地よい声に聞こえているのだろう。
……噂はどちらにしても広がるだろう。
皇帝の寵愛を受けていると噂は広まるはずだ。
皇帝の命を狙う者たちの動向は再び闇の中に消える可能性が高いが、賢妃を妬み犯行に及んだ後宮妃や下女がいるのならば、寵愛されていると聞けば危険を顧みずに動くだろう。
……犯人の特定はできるかもしれない。
後宮妃や下女の妬みによるものならば、犯人は顔を出すはずだ。
「陛下。主犯格の手掛かりは掴めるかもしれません」
「根拠はあるのか?」
「はい。翠蘭姉上を妬んだ者ならば、私が陛下の寵愛を受けていると噂になれば大人しくしていることはできないでしょう」
香月の提案は賭けに等しいものだった。
俊熙の気まぐれにより計画は頓挫した。しかし、それにより翠嵐を死に貶めた犯人の狙いが俊熙であったのか、翠嵐を狙ったものだったのか、どちらかに絞れる可能性が浮上した。
「後宮妃や下女の暴走ならば、香月の命を狙うはずであると?」
俊熙は眉を潜めた。
計画通りに駒が進むのならば、やりやすい。しかし、香月を囮として使う方法は俊熙が望むものではなかった。
……陛下はお優しい人のようだ。
後宮に住まう者は、すべて、皇帝の所有物である。
後宮妃となれば、よほどのことが起きない限り、後宮内で生涯を終えることになる。
だからこそ、後宮入りをした者は誰もが覚悟を決めている。
皇帝の寵愛を望む者もいれば、その対象にならないように息を潜めて年季が明けるのを待つ下女たちもいる。覚悟の仕方はそれぞれではあるが、互いに敵視し、恋敵を蹴落とす為ならば手段を選ばない者も珍しくはない。
「香月を危険な目には遭わせたくはない」
「陛下。ご心配には及びません。私は玄家の武人です。武功も道術も呪術も身に付けてまいりました」
「そなたが妃の中で一番の実力であることは、わかっている。だが、愛しい者を危険な目に遭わせたくない俺の気持ちもわかってはくれないか」
俊熙の言葉に対し、香月は頭を悩ませた。
……どうして?
会話を交わす機会もほとんど恵まれなかった。
今宵は共に過ごす機会に恵まれ、俊熙の考えも知ることができた。しかし、香月を恋い慕っているかのような言葉を口にすることだけが理解できない。
……ここまで慕われる理由がわからない。
誰にでも甘い言葉を口にしているわけではないだろう。
俊熙は色欲に溺れた先々代皇帝とは違う。
皇帝の義務として後宮を維持し、次代を担う御子を産ませる為に複数の妃と夜を過ごす。それさえも、気分が削がれてしまえば途中で中止してしまうほどの気まぐれな青年だが、香月の危険を案じている声は真剣なものだった。
「襲撃者が誰であれ、加減は無用だ。その者の素性さえわかれば、生死は問わない。ただし、可能な限り、けがはしてくれるなよ」
俊熙は妥協した。
夜が明けた以降、襲撃があれば、犯人は後宮妃や下女の単独による可能性が高まる。そうなれば、翠嵐の一件と俊熙の暗殺未遂事件の犯人は一緒ではないと考えるべきだろう。
皇帝暗殺を企んだ者が簡単に姿を見せるとは思えない。
しかし、警戒しておくべきだろう。
「はい。陛下。香月にお任せください」
香月は命令に忠実である。
死と隣り合わせの修練も数えきれないほどに積んできた。常に冷静に状況を判断し、必要となれば相手の命を奪える。冷酷に振る舞う為の訓練も玄家では日常の生活の一部に組み込まれてきた。
明日以降に備え、香月は目を閉じる。
気配には敏感である。たとえ、熟睡中に刺客に襲われたとしても反射的に反撃ができるように鍛えられている。
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