第3話 緋色の狼
――記憶は過去へと遡る。
「ふふふ、ドクダミ、ドクダミ」
自身の背を雄に超える大きさの葉をつけたドグダミの茎を、手に持った小刀で切り落としていく。
「今日も大漁、大漁」
年中温暖な気候のアルスター王国では、いつでもドクダミを採ることが出来るのだが、なんせ力の弱い兎獣人である。危険な森へ来るのは出来るだけ避けたいと思うのが本能というものだ。今日も両手で抱えられる量の葉の茎を紐で縛り背負う。これで、数ヶ月分のお茶とアルコールチンキは作ることが出来るだろう。
本当にドクダミは万能薬だ。飲んで良し、塗って良し、貼って良しと、薬としてとても重宝する。しかし、獣人にとってあの独特な匂いはキツすぎるらしく、厄介な植物としての認識が強い。だからこそ、外敵避けにもなるのだ。
背負ったドクダミのおかげで、無法地帯に生息する大抵の危険動物は寄って来ない。しかし、あの時はその油断が、足元をすくう結果を招いた。
「おいおい、これは珍しい。兎じゃねぇか!」
突然かけられた声に、とっさに背後を振り返ると、そこには数人の男達が立っていた。これはまずい状況になった。耳の形を見る限りでは狐獣人に、猫獣人、犬獣人など中型の獣人共だが、兎獣人である自分よりは遥かに力も強く、攻撃的だ。戦っても勝ち目が無いのは目に見えている。ただ、このまま何もせずに、奴らのオモチャにされる訳には行かない。
さて、どうしたものか。
「おぉ、こりゃ上玉じゃねえか。酔狂なお貴族様に売り飛ばしたら高く売れるぜ」
下卑た笑いをこぼしながら、ゆっくりと近づいてくる男達を見つめ、嫌な予感が的中した事を悟る。こいつらは、人攫いだ。草食獣人街でも注意喚起がされていた誘拐犯の可能性が高い。何しろ、草食獣人が闇で肉食獣人に売られる事件は後をたたない。もちろん喰うためでは無い。高い金を払って草食獣人を喰いたいと思う酔狂な貴族もいるかもしれないが、食糧にするには割りに合わない。そんな物にするよりも、もっと重要な価値が草食獣人にはあるのだ。
『草食獣人と肉食獣人との子は、異種交配の結果、桁外れの力を持って生まれてくる事が多い』
力が物を言うアルスター王国では、己の種族の力を、強いては自身の子孫の力を強くすることに重きが置かれている。その結果、草食獣人の伴侶を得ようとする貴族が多い。しかし、種族間の力をコントロールするため、草食獣人との婚姻は、王家が管理し、ある特定の貴族家でなければ、娶ることが出来ない仕組みとなっているのだ。だからこそ、草食獣人を秘密裏に手に入れるため、闇売買が行われている。そして、運が悪いことに、目の前の奴らは人攫いだ。捕まれば、間違いなく売り飛ばされてしまう。
ゆっくりと後ろへ下がって行くが、徐々に男達との間合いが詰まってくる。
目の前の奴らは獣人の中では比較的嗅覚が鋭い種族だ。背負ったドクダミが使えるかもしれない。近づいた所で、ドクダミを振り回して、怯んだ隙に逃げる。これしか助かる手は無い様に思えた。
小刀を片手に握り直し、構える。
「おいおい、うさぎちゃん。俺たちに勝とうってのか?」
ゲラゲラと笑い出した男達もまた、それぞれの手に武器を構える。
「大人しく捕まってくんねぇかな。傷つけると値が下がるんだわ」
男達の足が地面を蹴ると同時に、背負っていたドクダミを渾身の力を込め投げつけると、一目散に逃げ出す。
道に迷おうと今はそれどころではない。人攫いに捕まるならのたれ死んだ方がマシだ。酔狂な肉食獣人にでも売られたら最後、悲惨な監禁生活が待っている。
全速力で走り続け、どれくらいの時間が経っただろうか、とうに足は限界を迎えていた。
ゆっくりとスピードが落ちて行き、足が止まりかけた時、強い力で長い耳を後方へと引っ張られた。
「あぁぁ、痛い……」
「へへへ、捕まえた」
「おいおい、手荒に扱うなよ。大事な商品だ」
なぜだ。なぜ、奴らが此処にいる。あのドクダミの匂いで数分は悶えているはずではないか。嗅覚も当分は使い物にならないと踏んでいたのに。
「残念だったな。あの厄介な草を投げつけたまでは良かったが、俺達には効かないんだよ。森での生活が長いもんでな。そこら辺は対策済みだ」
その言葉通り、男達の顔を見ると、鼻までを大きな布で覆っていた。それだけでは、あの匂いを完全に防ぐ事が出来なくとも、森での生活が長ければ、普通の獣人よりは耐性があってもおかしくはない。始めから作戦は失敗に終わっていたのだ。
今更、自分の浅はかさを悔やんだところで後の祭りだ。ただ、ここで諦めれば私の第二の人生は死んだも同然だ。だったら、最期に死ぬ気で抵抗してやる。それで死ぬなら本望だ!
「わぁぁぁぁぁ!!!!」
小刀を握った手を闇雲に振り回す。
「コイツっ……」
ダンっという衝撃とともに、身体が悲鳴をあげる。
「――かはっ……」
地面に叩きつけられた衝撃に上手く呼吸が出来ない。
「……よくもやりやがったな!!」
血走った目をして近づく男の頬からは血が滴っている。どうやら、振り回した小刀が運良く、男の顔を傷つけたようだ。一矢報いてやったと思う反面、状況はさらに悪化している。
小刀の先を男達へと向け後ずさるが、興奮した男達の動きは早かった。
――万事急須か……
襲いくる痛みを予想し、咄嗟に目を瞑る。しかし、待てど暮らせど痛みが襲って来ることはなかった。
そっと目を開け、見た光景に息をのむ。
男達を下敷きに立つ、緋色の狼の姿に――
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