第2話 兎獣人ユリアス


「ユリアス先生、腹が痛い……」


 先ほどからひっきりなしに扉を開け入ってくる者達を見て、この部屋の主人であるユリアスは盛大なため息を吐いた。


「おい、何を食ったんだ?」


「道端に生えていたキノコを」


「馬鹿者が!! あれほど、得体の知れない物を食うなと言ったのに」


 腹を抱えて、丸椅子に座る狐獣人の耳が下に垂れる。本来であれば、自分よりも遥かに地位の高い狐獣人を最下層の兎獣人である自分が怒鳴りつけるなど、この世界ではあり得ない事なのだが、それを咎める者は此処にはいない。


「だってさ、軍の野外訓練は過酷なんだよ。食糧も現地調達で、しかも一日一食だなんて、あり得ないですって。お腹が空きすぎて、血迷っても仕方ないですって」


「そうは言っても一泊二日の短期訓練ではないか……」


 そうなのだ。この狐獣人の青年は大袈裟な物言いをしているが、所詮一泊二日の新人向けの短期訓練。一日一食だろうと、大してダメージは無い。しかし、貴族階級のお坊ちゃんには、相当堪えるようで、短期訓練明けは、軍の医務室が病人という名のサボりでいっぱいになるのが恒例となっていた。


 仮病と分かっていても、目の前で腹を抑える青年を蹴り出す訳にも行かない。適当に、胃薬でも出しておくかと思いながら立ち上がると、薬棚へと歩いていく。


「これでも飲んで――」


「――ユリアス先生が、腹を撫で撫でしてくれたら、すぐ治ると思うんだよなぁ」


「なっ……。貴様!! 出ていけぇ――」


「あぁぁ、すいません。すいません」


 頭上から降り注いだ怒声に、目の前の青年が椅子をひっくり返し立ち上がると、脱兎のごとく逃げ出す。それを見つめ、大きなため息をつく。


 いつもの事だ。どうせ、軍の先輩に兎獣人を揶揄ってこいとでも言われたのだろう。


 この城で自分だけが異質だと言う事は十分に理解している。獣人の国『アルスター王国』では、青銀の毛並みを持つ狼獣人を頂点に、能力や力の強い獣人から高い地位が与えられている。その結果、貴族と呼ばれる上流階級は、肉食獣人が大半を占め、身体が小さく、力も弱い草食獣人は淘汰されつつあった。それを危惧した数代前の王が、草食獣人の保護を打ち出し、急激な数の減少は避けられたものの、城下町の外れにある草食獣人街に集められ、保護民として慎ましやかな生活を強いられているのが、今の我が国の現状だ。簡単に言うと、上流階級の肉食獣人と最下層の草食獣人という絶対的なヒエラルキーがこの国にはある。


 そんな草食獣人である私が、城で軍医などという役職に就けたのには深い理由があった。アルスター王国の第三王子『アルフレッド殿下』との出会いがきっかけだ。


 燃えるような赤髪を持つアルフレッド殿下。青銀の髪がトレードマークの狼獣人の中にあって異質な存在である彼との出会いは、偶然だった。昔から、薬草に興味があった私は、草食獣人街を抜け出し、数時間歩いた先にある森へと薬草を採りに出掛けることが多かった。兎獣人である私にとって、森は危険そのものだ。合法的に守られている草食獣人街とは違い、森の中は弱肉強食の世界が広がっている。森の中で襲われても、文句は言えない。まさしく無法地帯と化している。だからこそ、草食獣人は森へと入ることを禁止されていたのだが、珍しい薬草が手に入る森は、危険を侵してまで行く価値が私にはあったのだ。あの日も当然、人目を盗んで森へと出かけた。そこで、あんな出会いが待っているとはつゆ知らずに。


 そう……。


 あの日も、薬草という名の例の物を採りに森へと入ったのだ。





「ふふふ、これこれ」


 白い小さな花をつけ、独特な香りを放つ大きな葉を見つめ、ニタリと笑う。これを見つけた時の感動は忘れられない。記憶に残る植物とは大きさがだいぶ違うが、この独特の香りは忘れようもない。嗅覚が異常に発達している獣人達は、絶対に近づきもしない領域に咲く大量の植物、その名を『ドクダミ』古来日本では、毒消しと言われ、万能薬とされた植物だ。


 なぜ、獣人である自分がそんな事を知っているかって?


 それは、私が『桜庭宗次郎』というもう一つの記憶を残したまま『ユリアス』としての生を受けてしまったからだ。


 桜庭宗次郎としての記憶。正確に言うと、天命を全うし、生が尽きた時、次に目が覚めると、あら不思議赤ん坊の姿になっていたと言う訳だ。あの時は、正直驚くと同時に大変困った事態になった。何しろ、頭は死んだ時の爺さんのまま、身体だけ生まれたばかりの赤ん坊となってしまったのだから。感覚的には、死んだ爺さんの魂がそのまま赤ん坊の魂として、輪廻転生してしまったと表現した方が良いだろうか。まぁ、それだけなら時間が解決してくれただろう。身体が成長すれば、年寄りの魂に追いつく。ちょっと年寄りくさい若者が誕生するだけだ。しかし、そうは問屋が卸さなかった。


 生を受けて早々に分かる事実の数々。両親を始め、周りの者達の頭につく獣の耳と尻尾。そして、自分の身体にも同じ物がついているという事実。それを受け入れるのに、少年期の大半を使った事を覚えている。しかし、青年期へと移行するにつれ、第二の人生が獣人としての人生だと言うことを受け入れられるようになってからは、興味の方が勝るようになった。元々、前世では獣医をしていたのだ。動物と人間のハイブリットである獣人という種族に興味を持たない訳がない。しかし、運が悪いことに自分は、この国で一番立場の弱い草食獣人へと転生してしまった。保護という名の制約がとても多い種族だ。保護区という名の牢に囚われているのも同然の生活だ。興味があっても、城下にある国営図書館へ行くことも出来ない。そんな生活に嫌気がさし、自暴自棄になりそうになった時、村の爺さんから保護区外にある森の話を聞いたのだ。無法地帯だが、有用資源が多く眠る森の話を。


 我慢できなかった。血気盛んな青年期を迎えていた私は、後先考えず森へと出かけるようになっていた。そこで、長い付き合いとなる『ドグダミ』を発見することとなるのだが。

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