中学生家庭教師晴香の奮闘記 ~イケメン兄弟と天文観測の夜~

ななくさ ゆう

プロローグ ~中学生家庭教師の晴香とイケメン兄弟~

 さあ、行くわよ、はる


 私こと、ほし晴香は自分のほっぺをパンパンと叩いて気合いを入れた。

 今日こそ絶対にこうくんに勉強させてみせるんだから!


 日曜日の朝九時、私は今日も光太くんの部屋の扉を叩いた。

 すると、部屋の中から光太くんの声が聞こえた。


「だれもいねーよ」


 いるじゃないか。


「光太くん、おはよう」


 私はそう言って扉を開けた。

 彼のお父さんの教育方針で、光太くんの部屋の扉には鍵はついていない。

 ベッドに寝転がって漫画を読んでいた光太くんは、私のことを迷惑そうににらんだ。


「てめぇ、許可無く人の部屋に入ってくるなよ」

「初日に許可をもらおうとしたら、夜になっても部屋に入れてくれなかったじゃない」

「ああ、許可なんて一生出さねーから、二度と入ってくるなよ」


 憎まれ口を叩く光太くんだが、外見は朝日あさひ一族の男子らしく美少年だ。

 まだ、小学四年生だから『かわいい』という評価になるけど、あと数年もすればお兄さんのけんさんみたいに『イケメン』になるだろう。


「なんだよ、オレの顔をジロジロみて。このブス女」


 だが、問題はこの口の悪さである。


「誰がブス女よ!?」


「オメーだよ、晴香」


 別に自分が絶世の美少女だなんて思っていない。

 だがごく普通の中学一年生相当だとは思っている。

 決してブスなんかじゃない……ないよね?


「光太くん、年上の……しかも家庭教師に対する口の利き方じゃないでしょう?」

「はぁ? 何が年上の家庭教師だよ。三歳しか違わないじゃん。晴香こそ雇い主への言葉遣いに気をつけろよ」

「あいにく、私を雇ってくれたのは、光太くんのお父さんで、光太くんじゃないから」

「口の減らない奴」

「その言葉、そっくりそのまま返すわよ」


 言いながら、私は光太くんの読んでいる漫画を取り上げた。


「何すんだよ!?」

「お勉強の時間よ」


 私はそういって、光太くんの勉強机に小学一年生の漢字ドリルをたたき付けた。

 朝日野家次男のこの少年、勉強がまるでできない。

 小学一年生の漢字すら半分も書けず、二桁の足し算引き算も怪しい。

 理科社会などの他の教科も推して知るべしである。


「わかったよ」


 光太くんはベッドから起き上がり、勉強机の前にやってきた。

 おっ、今日はそこそこ素直だ。


 家庭教師に就任して早二週間。彼が素直に勉強机に座ろうとしたのは初めてだ。

 少しは私の教えも身に染みたかな?


 などと油断していた私の顔面に、光太くんはポケットの中から緑色のプニョプニョしたを投げつけてきた。


「きゃっ、何これ? カエル!?」


 私は驚いて座り込んでしまった。すぐにオモチャのカエルだって気づいたけどね。


「へっ、誰が勉強なんてするかよ!」


 光太くんは私がコケたすきに、部屋から飛び出して走り去った。


「こらっ! 光太くん、待ちなさい!」


 私も立ち上がり廊下に出て光太くんを追いかけた。

 朝日野家のお屋敷は広い。半月前まで私が通っていた小学校の校舎よりもでかい。

 そして、光太くんはすばしっこい。

 この一ヶ月、私は毎日光太くんと鬼ごっこやかくれんぼをするハメになっていた。


「どこに行ったのよ、光太くん!」


 部屋から出て叫んでみても、光太くんが出てくるわけもなく。

 代わりに隣の部屋から、朝日野家長男の健希さんが現れた。


「晴香ちゃん、また光太に逃げられたのかい?」


 苦笑いを浮かべる健希さんは、私より一学年上の中学二年生だ。

 だけど、体が弱くて学校にはあまり通えていない。

 光太くんと違って勉強はとてもできるらしいけど。


「すみません……」


「元気だけはありあまっている弟だからね。いつも迷惑をかけて申し訳ない」


 ぺこりと頭を下げた健希さんは、今にも倒れてしまいそうなほど痩せ細っている。

 その儚さがイケメンっぷりをさらに演出しているんだよね。


「いえ、家庭教師である私の力不足です」

「しょうがないよ。大人のプロ家庭教師が十人以上も匙を投げた相手だからね」


 健希さんはそういって慰めてくれたけど、やっぱりこれは私の責任だ。


「私は光太くんの家庭教師です。絶対に諦めません」


 そうだ。諦めてたまるもんか。

 私は自分の力で生きていくって決めたんだから。

 せっかくいただいた家庭教師という仕事、絶対にやり遂げてみせる。


「ありがとう。でも無理しないでね。晴香ちゃんだってまだ中学一年生なんだから」


 そこまで言うと、健希さんは「ゴホゴホ」と咳き込みはじめた。


「大丈夫ですか、健希さん」


 うずくまってしまいそうな健希さんの体を、私はささえた。


「健希さんこそ無理しないでください。お部屋に戻った方がいいです」

「いや、大丈夫……」

「ダメです。昨日みたいに倒れたら大変じゃないですか」


 半ば強引に健希さんをお部屋の中に連れて行き、ベッドに座らせた。

 咳こそ治まったが、とても苦しそうだ。

 どうしよう、私じゃ手に負えないかも。


たもつさんをよびましょうか?」


 保さんというのは、このお屋敷の管理人さんで健希さんの主治医でもある。

 でも、健希さんは私を押しとどめた。


「いや、大丈夫だよ。もう落ち着いたから」


 それから、健希さんは悔しそうな表情を浮かべた。


「自分が情けないよ。本当なら光太の家庭教師なんて、僕がするべきなのに」

「大丈夫です! そのためにご主人様は私をやとってくださったんですから。健希さんはゆっくりお休みください」

「すまないね。いつもありがとう」


 健希さんはそう言って、ベッドに横になった。

 どうやら、症状は治まったらしい。


「光太くんのことは私にまかせてください!」


 私は元気に答えて健希さんの部屋から出た。

 光太くんを探しつつ、念のために保さんに健希さんの体調を知らせておいた。

 それにしても光太くんは、どこまで逃げて、どこに隠れたのか。

 私はお屋敷中を探し回った。


 でも、全然見つからない!


 光太くんってお勉強は苦手だけど、かくれんぼの才能はあるみたいだ。

 あーあ、家庭教師のお仕事ってかくれんぼの鬼じゃないと思うんだけどなぁ。

 光太くんはお昼ご飯の時間になっても出てこなかった。

 お腹すかないのかな。


 それどころか、光太くんを見つけたのは、夕方の十八時をすぎてからだ。使われていない倉庫の隅っこで体育座りをしながらすやすや寝ていた。

 お昼ご飯すら食べずに隠れ続けるなんて、どれだけ勉強が嫌だというのだろう。

 ホント、あきれちゃうよね。


 それでも、私は光太くんの家庭教師だ。

 他の先生みたいに途中で投げ出してたまるかっ。

 絶対、絶対、光太くんに勉強させてみせる!

 将来学校の先生になる夢を叶えるためにも。


『働かざる者食うべからず!』


 お母さんの教えを胸にがんばるんだから!

 私はあらためてそう決意しつつ、お母さんのお葬式の日を思い出した。

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