変数はとうに死んでいる

ぐらたんのすけ

第一話

 海風の薫は僕の眼の前で揺らいでいる。

 運ばれてくる潮風は海沿いの線路をじわじわと錆びさせていて。


「ねぇ、君。この辺の子じゃないよね?」


 ベンチに座って電車を待つ君は、僕を見下ろしながら言った。

 右目には眼帯をしていた。目を怪我したときにつけるようなパッチ。

 白いワンピースに麦わら帽子は、如何にも夏の少女という雰囲気を醸し出している。

 

「そういう君は、この辺の子?」

「まぁね。そんなとこ」


 彼女は何でもないように言った。

 だから僕も彼女の目隠しに対して言及はしなかった。


 誰もいない寂れた無人駅。そこから見える水平線は毎度の事ながら見事と思わざるを得ない。


「何しに来たの?」


 その声色は排他的なものではなくて、ただ純粋に僕が何故こんな場所にいるのかを聞いているようだった。


「おばあちゃんの手伝い。毎年来るんだ」

「……そう」


 目線の動きが眼帯で遮られているから、彼女がどんな表情をしているのか分からない。


「なんで眼帯してるの?」


 内なる好奇心を抑えられず彼女に問う。

 すると待ってましたと言わんばかりの笑顔で答えるのだった。


「闇の力を抑えてるのさ」

「ふーん……大変だね」


 線路脇に咲くひまわりを眺めながら、聞いたことを少し後悔した。

 こんな田舎にも所謂厨二病的な子はいるのだなと、少し可笑しくなる。

 いや、逆に閉鎖的な田舎だからこそこんな子が生まれるのだろうか。

 

 「なに、興味ないの?」


 ニヤニヤしながら彼女は僕の隣りに座った。少し良い香りが熱を持って鼻腔をくすぐる。


「別に、僕の知り合いにもいたからさ。闇の力を持ってる子達」

「えっ!そうなの?」


 驚いた表情をしながら口元を抑えるその仕草が、何だか少し可愛らしかった。


 ――列車が一番線に参ります。お客様は白線の内側に下がって……。


「電車、来るみたい」


 地面に置いていた荷物をまとめ立ち上がる。

 

 「じゃあね。また来年も来るよ」


 そう言って彼女に別れを告げたのだ。彼女は何も言わずにただ座っていた。

 夏風を切って電車がホームに滑り込んでくる。

 今どき珍しいディーゼル車。ほんのり香る排気ガスの匂いが心地よい。

 一歩車内に足を踏み入れると、クーラーが強く効いていた。

 車内には誰も居なかったのが影響しているのかも知れない。

 寒暖差に思わず身震いしながら席に座る。

 暫く発進を待つと、もう一人誰かが乗り込んできた。

 先程の少女だった。目隠しはしたままで。


「あれ、君も電車待ってたんだ」


 僕が言うと少女は軽く頷いて、また僕の隣りに座った。

 変なのに懐かれちゃったかなとイヤホンを嵌めながら思う。

 ゆっくりと電車が動き出し、ガタゴトとたまに大きな揺れに揺さぶられながら目を瞑る。

 数駅止まったが、やはり人の乗ってくる気配はしなかった。

 そのまま揺られて目的地で眠る予定だったのだが、ふと少女が肩を叩いてきて目が覚める。

 

「ねぇ、君はどこに住んでるの?」


 少し見上げる形で彼女は僕に訪ねた。

 わざと渋々とした様子を見せながらイヤホンを外し、彼女に答える。


「練馬だよ。東京の」

「ネリマ…………野菜が美味しいとこだっけ?」

「ん……半分合ってる」

「一人暮らし?」

「そう。貧乏大学生だよ」

「へ〜、大変だね……」


 彼女は天井を向いていた。何が見えているのだろうか、空中をただ見つめていた。

 その横顔にどこか思慮深いものを感じて、ついこちらから喋りかける。

 

「君はなにか用事でもあるの?」

「私はね、家出するんだ」


 そのまま淡々とした様子で彼女は言った。

 彼女には荷物という荷物が見当たらなかった。

 手ぶらで家出なのだろうか。大した度胸だ。

 

「どうして家出するの?」

「うーん。あの世界は私には狭すぎるんだ」

「ふっ……なんだそれ」


 やっぱり変な子だなと思った。

 

「ま、気が済んだらすぐに帰りなよ。親も心配するよ」

「そうだね」


 頭をポリポリと掻きながら、彼女は再び目を落とした。

 その姿がなんだか寂しそうで。

 

「ねぇ、君。名前は何て言うの?」

 

 僕は尋ねた。すると彼女は少し嬉しそうにしながら答えるのだった。


「ココナ、心に和むで心和。あなたは?」

「隆二だよ、隆二のリュウに、隆二のジ」


 空中に文字を書きながら教えると、彼女はくすぐったく笑った。


「もう、それ馬鹿にしてるでしょ?」

「そんなことないよ。本当のことだもの」


 隣からはふすーっと鼻息を強く吐く音が聞こえてきそうだった。

 電車の窓から見える景色は、遠くまで続く海沿いを走っている。

 蝉の鳴き声を聞きながら冷房に当たっていても、車窓には夏の暑さと潮風の心地よさだけが鮮明に映っていた。

 心和は足をブラブラと大きく振りながら、上目遣いでこちらを見ながら言った。

 

「ねぇリュウジ。私達、もうお友達じゃない?」

「うーん。まだ早いと思うよ」


 ワイヤレスイヤホンをケースに仕舞いながら答える。


「そんなことないよ。もうマブダチじゃない」

「そう……そう思うのならそれでもいいよ」

「やった!」


 彼女は手をブンブンと振りながら喜んだ。そこまで嬉しいものだろうか。

 彼女は立ち上がって、車内の端から端まで歩いた後再び正面に戻ってきた。

 大きく息を吸って、口を開く。


「じゃあね、えぇと。少し頼みたいことがあるのよ。マブダチとして」

「はぁ……」


 面倒事を押し付けるために友達だと言い出したのか。

 別に僕のことを好いて友だちになろとしたわけじゃないのかと、心の何処かで落胆する音が聞こえるようだった。

 そんな僕をよそに、彼女は俄然嬉しそうに言う。

 

「あのね、リュウジの家に、少しの間だけ泊まらせて欲しいの!」

「駄目だよ。犯罪になっちゃう」


 少しため息交じりにそう返す。やはり面倒臭そうな人に構うべきでは無かった。


「大丈夫だよ!3日だけ!一人暮らしなんでしょ?」


 手を合わせて懇願するしてる素振りを見せながら地団駄を踏む。

 そういうのはどちらか一方だけでないと効果がないと思うのだが。

 

「貧乏大学生だって言ったじゃん。人を泊めるお金なんてないよ」

「お金は出す、寝る場所だけ貸して欲しいの」

「お金があるならホテルでいいじゃん」

「うっ……ホテルは高いじゃない……観光する分のお金がなくなっちゃう」

「はぁ……家出って言ってたじゃないか」

 

 図々しい人間だな。

 それでも段々と涙目になる彼女を見ていると、こちらまで悲しくなってくる。最初からこうやって泣き落としするつもりで付いてきたのだろうか。


「でも私、帰れないのよ。帰ったら死んじゃうわ。これが最後のチャンスなの」

「嘘ばっかり付いてると鬼が来るんだぞ」

「嘘じゃないよ!……嘘じゃないけど……」


 冷房の風でひんやりとした車内は、どこか現実離れした空間のようだった。


 ――次はxx駅〜、xx駅〜。東京方面へお乗り換えの方はご降車し…………。


 タイミングよく、車内アナウンスが響く。

 波の音が遠ざかり、車輪がレールの上を走る振動も段々と大人しくなる。

 僕は今にも爆発してしまいそうな彼女に言った。

 

「ほら、もう俺降りなきゃ。気を付けて帰ってね」


 そこで初めて、彼女が眼帯を外していることに気が付いた。

 

「リュウジは立ち上がって私の肩を叩く」


 僕は立ち上がって彼女の肩を叩いた。

 

「驚いて、私のことを見る。そして”えっ”て驚くんだよ」

「えっ……?」

「思わずカバンを落として、中からはアニメキャラが待ち受けのスマホが出てくるんだ」

 

 僕は驚いて、思わず持っていたカバンを落とす。

 その拍子にカバンからはスマホがこぼれ落ちて、光る画面には好きなアニメキャラが微笑んでいた。

 僕は恐ろしくなって彼女の目を見る。

 左目は普通の目だった。黒く、うるうるとしていて吸い込まれそうな。

 右目には赤い星が瞬いていた。その瞳孔はどこまでも深くこちらを見つめていた。

 何だかこの子を、そのまま放っておいていいのだろうかと思って。

 

「最後にリュウジは私の手を取って、自分の家まで連れて帰るんだ」


 その言葉が聞こえる前に、僕は彼女の手を取って電車から降りた。

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