第10話 アグリシアの森--復讐の花が開くとき--

アグリシアは、いつも春の温もりに包まれた国で、その名は「アグリ」(農業や土地)および「春」を連想させる言葉から来ている。豊かな作物が実り、国民は穏やかな日々を送っていた。温暖な気候は農業の繁栄を促し、国全体の経済的な基盤を支えていた。


この国では、春の温もりの中で、特に花が咲き誇る時期を祝う祭りや行事が盛んに行われている。表面的には平和で幸福な状態を保っていたが、その裏には「ことなかれ主義」という均衡を保つことへの執着が渦巻いていた。


国王と皇后は傀儡として存在し、実質的な権力は宰相が握っていた。彼らは華やかなパーティーや楽しげな行事に夢中で、現実の問題を見ようとはしなかった。宰相は国政を動かす実権を持ちながら、国王や皇后の存在を利用して、自身の立場を確固たるものにするために、貴族たちとのつながりを深めていた。


そんな穏やかな夜、森の近くにあるシャンブル家の異常事態が王宮に報告された。本来なら宰相がこの事態を取り仕切るべき立場であったが、あいにく宰相もシャンブル家のパーティーに出席していて、貴族たちとの関係を深めることに没頭していた。


パーティーの最中、華やかな音楽と笑い声の中、突然、大地が揺れ始めた。テーブルが音を立てて横にずれ、豪華な料理が次々と落ちていった。グラスの割れる音が響き渡った。美しい皿や装飾品も同じように横滑りし、部屋は混乱の渦に飲み込まれていった。


貴族たちは驚きと恐怖に包まれ、一瞬の静けさの後、逃げ惑う声があちこちから聞こえた。外では、ツタが屋敷全体に絡みつき、まるでこの華やかなパーティーを嘲笑うかのように自然の力がその存在感を誇示していた。


「何が起こっているのだ?」と、一人の貴族が声を震わせながら言った。彼の言葉に、他の者たちも互いの顔を見合わせた。


「数年前にも同じことがあった!」


「大地の怒りに触れたのだと皆が言っていた!」と騒ぎ始める貴族たち。


「これは呪いなのか?それとも他の家からの攻撃かもしれない!」と、冷静さを失った者が叫んだ。彼の言葉に、他の貴族たちも少なからず、覚えがあるために不安を抱き始めた。


「何事だ!」と宰相が叫んだ。貴族たちは恐怖で顔を引きつらせ、宰相の叫びもかき消すほどの混乱が広がっていた。煌びやかな衣装の裾を引きずりながら、我先にと出口へ殺到する者たち。しかし、扉は、いつの間にか絡みついたツタによって閉ざされ、びくともしなかった。


「魔法か?誰の仕業だ!」と宰相の怒声が響いたが、誰も答えられない。むしろ彼の問いが恐怖を煽り、ざわつきは一層強まる。


突然、広間の中央に置かれた巨大なシャンデリアが「カランカラン」と揺れた後、「ズドーン!」という重い衝撃音が響き、続けて「ガシャーン!」と地面に落ちて割れる音がした。静寂が訪れ、驚きと恐怖が広がる。


「何が起こっているの?」と令嬢が声を震わせ、他の貴族もわけがわからず令嬢を見つめ返した。彼らの不安は増すばかりで、混乱はさらに広がっていった。


この信じられない騒動の報告を聞いた国王は側近に言った。「宰相はどうした?私は知らん。宰相に任せる。」そう言うやいなや、国王は私室に籠もってしまった。側近が「宰相は居ません」と答える間もなく、国王は姿を消した。


近衛兵が動き出し、「様子を見てこよう。何が起こっているのか確認しなければ。」と急ぎシャンブル家の屋敷へと向かった。国王の頭の中には、混乱が増して収集がつかなくなるという考えはなかった。


近衛兵たちは緊張した面持ちで屋敷に接近した。揺れる大地の音や、貴族たちの悲鳴が耳に入る。彼らの目の前には、華やかなドレスをまとった貴族たちが恐怖に満ちた顔で逃げ惑う様子が広がっていた。


近衛兵の指揮官は冷静さを保ちながら、仲間たちに指示を出した。「まずは貴族たちを安全な場所へ誘導する。次に、屋敷の内部を調査し、何が起こっているのかを突き止めるのだ。」


突然、空が暗くなり、何かが屋敷を包み込むように現れた。ツタが屋敷全体に絡みつき、貴族たちの恐怖は頂点に達した。誰もが逃げ出そうとするが、外へ出る道はすべて封じられていた。まるで自然の力が彼らを捕らえて離さないかのようだった。


混乱の中、近衛兵たちも事態に圧倒されるが、指揮官は毅然とした態度を崩さなかった。「冷静に行動しろ!貴族たちを守るために、この植物を切り捨てろ!」彼の声が響き、兵士たちは再び気を引き締めた。


恐怖に駆られた貴族たちの中には、狂乱に陥る者も現れていた。「これは魔法なのか?大地の怒りなのか?」と叫ぶ者がいれば、他の者たちはただ混乱の中で泣き叫ぶばかり。パーティーの華やかさは、一瞬で悪夢へと変わってしまった。


その瞬間、近衛兵の一人が叫んだ。「見ろ!あのツタが動いている!」彼らの目の前で、ツタが生きているかのように巧みに動き回り、抵抗する者を捕らえていく。近衛兵たちは恐れを感じながらも懸命に戦おうとするが、状況は悪化していった。


国王は怒りを隠さず叫んでいた。「うるさい!ここは私の私室だぞ!誰も入るな!」側近たちが「宰相もいません。今指示を出せるのは陛下しかいないのです。緊急事態です!」と訴えるが、国王は耳を貸さない。「宰相がいないなら宰相の息子を呼べ!そうだ!稀に見る天才児と評判だ!宰相の息子に任せる!もうこの部屋には来るでない!それから朝食がまだだ。すぐに支度するように。」そう言い残し、再び私室に籠もった。


彼らは、すでにアリエルの復讐が進行中であり、彼女の魔法植物の力が彼らを捕らえ、孤独と恐怖を与えていたことを知らなかった。


シェルターの中で、アリエルはその状況を見守っていた。彼女は、伯爵家に仕掛けた罠の中で、彼らが自らの罪と向き合う様子を、静かに見つめ心の中に冷たい決意を抱いていた。


(私は、生まれたばかりの赤ん坊だった。何も理解せず、何もできない、ただの赤ん坊だったの。あなたたちは、自分たちが作り出した地獄を、思い知りなさい。命の限り、苦しめばいいわ。)


アリエルの心には、過去の苦しみと新たな決意が交錯していた。その日、アグリシアの穏やかな夜は、恐怖と混乱の中で運命の歯車が回り始めた。


側近と近衛兵たちは、宰相の館に飛んでいった。夜遅くに、国王陛下の側近と近衛兵の訪れに、大騒ぎになった屋敷で、15歳で貴族学校を卒業したばかりの宰相の息子、アルヴィンがその場を取り仕切っていた。


アルヴィンは側近たちから話を聞くと、つかさずこう言った。「まず、その屋敷に連れて行って下さい。」


既にシャンブル家の屋敷は、移動を終えて森の植物に囲まれてしまっていた。アルヴィンは森の植物をよく見ていた。手を伸ばそうとすると、スイカズラのツタがどこからともなく伸びてきて、その手を払った。明らかに意志を持って動いていると確信したところで、近衛兵の一人から報告が上がった。


「シャンブル家の使用人たちを連れて来ました。」


兵士の説明によれば、屋敷の中にいた使用人は全員が外に出されたらしい。詳しく話を聞こうとアルヴィンは使用人たちが保護されているテントに向かった。しかし、使用人たちのテントで話を聞いても、かなり怯えていて、要領を得ずにこの現象の原因は分からなかった。そもそも魔法なのかもわからない。


ただ、古参のメイドが青くなって「呪いよ、呪われているのよ……」と呟いたのをアルヴィンは聞き逃さなかった。


「呪いとは何です?」


アルヴィンの問いかけに、メイドはハッとし口を押さえた。使用人たちは一斉にメイドを見た。


アルヴィンは静かに、言い聞かすように言った。「大丈夫です。心配することはありません。今は緊急事態です。これから先もあなた方を咎める事はありません。」


「そうですよね?」と近衛兵に向かって聞いた。近衛兵が深く頷くのを確認して、アルヴィンはにっこり笑い、再び尋ねた。「それで呪いとはなんですか?」


使用人たちの話を要約すると、シャンブル家の屋敷は呪いにかかっている。その発端は長女の育児放棄だった。


生まれたばかりの赤ん坊に対しての非道ぶりに、アルヴィンも近衛兵も言葉を失った。そして、アルヴィンは父親である宰相もそれに加担していたらしい事に愕然とした。


以前から父親の政務について思うところがあった。決断も早く処理能力にも長けていて尊敬はするが、いささか権力に囚われていた。国王の存在も拍車をかけたのだろう。


ともかく、その呪われた長女が人知れず始末された。そしてその頃から屋敷は呪われていた。


数年前に地滑りで屋敷が崩壊したが、実はあれも呪いで、今のように植物に攻撃されたのだ。アルヴィンは頭を抱えた。


呪い?呪われた子供?アルヴィンは使用人たちに更に詳しく聞いていった。数年前には無差別だった植物攻撃が、今回は使用人だけを保護している。植物が進化したのか?いや、違う。


アルヴィンは誰かが指示を出しているのでは?と考えた。それは何のために?誰が?


結局はわからない事ばかりだが、この現象は呪いではなく魔法だと確信した。アルヴィンは近衛兵に急いで魔法国、アルカディアに助けを求める使者を出すように指示した。


そして時間がたち、落ち着いただろうと再びアルヴィン家の使用人たちに話を詳しく聞くため、アルヴィンは使用人たちのテントに向かった。


長くいる使用人たちが語ったのは、シャンブル家の暗い過去だった。長女が生まれた時、一族には無い髪や瞳の色に、一時夫人の不貞が疑られた。しかしそれはありえないと夫人の疑念が晴れたが、生まれた子供は「不吉な存在」として家族は忌み嫌い、冷たく扱ったという。


彼女の母親である夫人は、産後すぐに彼女を抱くこともなく、屋敷の隅にある森の小屋へと放り込んだ。そのまま死んでくれることを願って。


メイドによると、確かではないが、この屋敷の執事によって乳母が急いでつけられたが、多分3歳の頃までだとメイドはいった。それからはメイドがついてお嬢様の世話をしなくてはならないはずだったが、ここにいる使用人たちは誰一人お嬢様の世話をした者はいなかったし、新しいメイドは存在すら知らなかった。


近衛兵は「食事も与えなかったのですか?」と少し咎めるように聞いた。古参の使用人たちは、気まずそうに、視線をずらし、小さな声で近づいてはいけないと、強く言われていましたから、使用人たちですら森の小屋に近づく事はしなかったと答えた。


アルヴィンは黙って話を聞いていたが、ふと気がついて、「執事はいますか?」と声をかけた。一人の几帳面そうな初老の男が「私が執事です。」と前に出て来た。


その執事の話によると、この執事はまだ数年しかこの屋敷に勤めていなくて、それ以前の事は全くわからないそうだ。他に子供がいた事も知らなかった。前の執事の事も、ただ急に居なくなったとしかしらないという。


アルヴィンは、他の使用人たちにも聞いていたが、突然居なくなったとしか分からなかった。ただ、居なくなったのは執事だけではなく、メイドたちが数名同じように急に居なくなったらしい。たまたま、運悪くちょうど、前回の屋敷崩壊と重なったために混乱の中で居なくなった執事や使用人たちのことはうやむやになってしまった。


アルヴィンはその話が、妙に気になった。


(たまたま?)アルヴィンは近衛兵に尋ねた。「そのお嬢様は地滑りでお屋敷が崩壊したときにお亡くなりになったとか?どちらで葬儀の式をなされたのですか?」


「いえ、余りにも損傷が酷く他の者に見せるのは忍びないと言われて、身内だけでひっそりとされたようなので。」


「では、ご遺体は見ていないのですね?」


メイドたちにもアルヴィンは聞いてみた。「お嬢様のご遺体はどちらに埋葬なされましたか?」すると先ほど口を滑らせたメイドが、今度はハッキリと言った。


「ご遺体は無かったのです。いえ、ご遺体どころか生活用品もお召し物も何もなかったのです。壊れた小屋が残っているだけでした。」


「何も無かったのですか?本当にそこで生活していたのですか?」


わかりません、とメイドは答えた。けれども伯爵や夫人は確かに、あの小屋に“捨てた“と言っていたのだ。本来ならこんな事が許されるはずも無い。しかし今のこの国ではそれが許されてしまう。父の……宰相の気持ちひとつで。グッと唇を噛んでアルヴィンはやるせない気持ちを抑えた。


お嬢様は逃げたのでは無いのかとふと思った。しかし、まともに生活出来ていない幼子が一人で逃げられるのか?もしかして執事が連れて逃げたのではないかと考えたほうがしっくりいくような気がした。だから忽然と消えたのではないか?では今回の出来事は?魔法には違わない。だとしたら、誰かが植物魔法を使えるのかもしれない。そしてお嬢様ともに復讐をしているのだろうか。


「お嬢様の名前はなんと言うのですか?」


「知りません。むしろ名前なんてあったのですか?」と逆に使用人たちに聞かれてしまった。「無ければ、貴族館に登録できませんよ。分かりました。こちらで調べます」と言い、ため息をついた。とにかく、消えた執事を探す事が急務だなとアルヴィンは考えていた。しかし、まさか、魔法の国の援助の為の使者が自分が探そうとしているシャンブル家の元執事だとは流石のアルヴィンも予想をしていなかった。

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