第7話

 放課後の音楽準備室で、窓を叩きつける大雨が暫く聞いていた。ずっと聞いているとそれがヘヴィメタルみたいな重いドラムスみたいに思えてくる。僕の気分を代弁しているみたいだ。

 重症である。

 理由は分かっている。僕は今、信じられない程に苛立っていた。

 寝不足であるとか、授業がとかどうでもいい。どうして今、この手に僕のベースが握られていないのだろうか。どうして今、エレキギターを握った悠が隣に居ないのだろうか。

 答えは簡単で、今が昼だからだ。

 夜の展望台でのみ、僕は悠と話す機会が得られる。つまりはそれ以外の朝も昼も夕も、僕はお預けを喰らったままと言う事である。

 それだけならまだしも、今は大雨が降っていた。

 その夜すらも奪われてしまっているから、苛立って仕方がない。


「幸谷くんなんか最近顔が般若よろしくって感じだよ?」

「もう何一つとして意味わかんないですけど」


 ギターの返却をしながら、僕は答える。


「今日はいつにもまして怖い顔してる」

「……そんな感じですか?」

「うん。とっても」


 態度には出さないようにと意識していたけれど、思っているよりも上手く言ってなかったらしい。クラスメイトとは普通に話していた筈なのだが。

 白森先生はティーカップの入った紅茶を飲み干して立ち上がる。


「悩んでいる事、あったら言ってね!」

「雨がやんで欲しいなって」

「あ、低気圧。ちょっと無理かも」


 肩を落として、ギターのカバーを手に取って片付けを手伝い始めた。

 別に片頭痛持ちじゃないけどそう言う事にしておこう。

 しかし、ちゃんとしたギターは音が良いなとは、昨日のセッションで改めてそう感じた。僕のベースじゃ、逆立ちしたって追い付けない差が生まれていて、ちょっと辛かった。

 買い換えたいけど……。


「あれ、エフェクターは?」

「あ、これですか?」

「それもだけど、歪み系の。音変えるやつ」


 カバーを逆さまにして振りながら、白森先生は首を傾げる。何してんだ。

 そうじゃなくて、ええと確か使おうかなと思ってもっていったのは覚えている。一日目と言う事で変に音を変えても良くないかと結局あの日は使わなかった筈だ。

 確か、いつでも使えるように展望台の下ある椅子に纏めて置いてた筈で……。


「あっ」

「お、あった?」


 いや、それから取った覚えがないのだ。

 悠に心を奪われ過ぎて、半分放心状態で帰った記憶だけが残っていて、つまりは、


「忘れました……」

「えぇ! 音楽馬鹿の君が!?」


 白森先生は口元を手の平で隠して、大口空けて驚いた。

 そろそろちゃんと怒った方が良いかもしれない。今回は僕に非があるので怒らないけど次音楽馬鹿とか言ったら怒ってやろう。

 絶対に。絶対にだ。


「明日、取ってもってきます」

「うん、それでお願いするね。今日使う訳でもないから」


 助かった、と安堵する。

 今日、展望台に行くつもりはなかったけど行くしかなくなっちゃったな。悠は居ないし、夜を待つ必要は無い。帰り道に寄って行こう。


「そう言えば、上手く教えられてますか?」

「え?」


 並べられた楽器たちを見ていて、ふと軽音部の事を思い出した。


「僕の代わりに教えるって言ってくれたじゃないですか」

「あっ、ああ。えっと……うん、大丈夫だよ!」


 全然大丈夫じゃないみたいだ。

 やった事はあるって言っていたけどあの二人も、もう二、三ヶ月はやっている訳で、どれくらいかは分からないけど多分白森先生は二人に抜かされている筈だ。

 まぁ、元々ピアノメインなのに上手く出来るとは思ってなかった。 

 僕は窓の外を見る。外に出るのが億劫な程に大雨だ。


「ちょっと手伝いますよ」

「良いの!?」


 露骨に嬉しそうにして、白森先生は僕の手を掴んでぶんぶんと振ってきた。

 代わると言ってくれた日の頼もしかった……かはまた別として、教師のようだった白森先生は多分気の所為だったんだろう。


「ありがとう! 昨日すっごくぐだぐだになっちゃってね、皆に呆れられちゃって。飛騨くん教えるの上手かったんだな、ってまで言われちゃって!」

「えぇ……」

「私要らない子になっちゃったんだよ~!」


 そんなに駄目だったの?


――


 家に帰ってようやくと一息ついた。

 結局最後まで僕は軽音部の練習に付き合っていて、大分帰るのが遅くなった。

 今までは僕も演奏する側に居たけど、今回は教える事に尽力したからかスムーズに進んだと思う。どっちかっていうと白森先生への説明が増えた。

 不安は増えたけど、何だかんだで責任感はある人だし、僕はもう手伝わなくても良いだろう。頼まれたらまぁ、僕の責任だしやるけど。

 まぁ、でも今日は悠とのセッションがないからというのもあれだけど、随分と時間に余裕がある。

 新曲はほとんど完成したも同然だ。次回には悠に完成したものを聞かせる事が出来る筈だ。


「あ」


 ……歪みエフェクターの事を思い出したのは、十時を半分は過ぎたあたりの時間だった。

 まだ雨は降っている窓を眺めて、僕は大きくため息を吐く。この雨は明日も続くらしいと予報されている。明日で良いや、とは思えなかった。

 そもそも学校への道はそこそこだるい。大回りしたくない。

 僕は立ち上がって、鞄だけ抱えて家を出た。

 しかし、元々足元が良かった訳じゃないけど雨が降ると一層に展望台への道のりが険しくなった。ぬかるんだ土や草葉が靴やズボンの裾に纏わりついてこの先に行くのを躊躇わせる。 


「幸谷!」


 そんな道だから、僕はまず名前を呼ばれるなんて思わなかった。

 階段を登り切って、展望デッキをまず確認するなんて事もしなかった。だって居る筈がないのだから。いや、寧ろ居ないで欲しかった。

 けれど、悠は確かに展望デッキから僕に手を振っていた。

 傘も差さず。


「なっ、悠!」

「交信、雨だと、届きにくい?」


 何でもなさそうな顔をして、僕の前にやってくる。雨が目に入ったのか時折擦る程度で、まるで濡れている事には何にも思っていないみたいだった。

 ……何で。


「傘くらい差そうよ! と言うか、何でわざわざ外に」


 僕は悠を連れて展望台の中へと向かう。何かがある訳ではないが、天井があるから雨宿りは出来る。

 そう、わざわざ濡れない場所があるにも関わらず悠は外に出ていた。だからこそますます僕は困惑する。

 一体、何を考えているんだ。


「幸谷、待ってた」

「僕を?」

「うん。それが、どうしたの?」


 当たり前みたいに言う。寧ろ、僕が今おかしいみたいに訝し気に目を細め、首を傾げてすら居た。


「どうして」

「交信、したいから?」

「雨が降ってれば、出来ないよ」

「確かに。届きにくい、みたいだね。でも届いたから、幸谷、来てくれた。でしょ?」


 会話がズレている事を、僕は指摘できる程冷静じゃなかった。

 その時、悠はくしゃみをした。同時に体を震わせていて、やっぱり体を冷やしていた。

 何なんだ。天才じゃなかったのか。

 何でこんな当たり前の事も分からないんだ。


「今日は帰ろう」

「それは、嫌だ」


 初めて、悠は僕の言葉を否定した。

 嫌だって、なんでなんだ。


「いや、寒いでしょ。風邪引いたらまずいよ。明日には止むし」

「大丈夫。宇宙人、風邪、引かない。今までも」


 そんなの今時小学生だって言わないぞ。

 それに風邪は怖いし辛い。それこそ僕らの時間が長く失われるし、咳をするというのは喉にダメージが入ると言う事でもある。

 今日一日だけだ。大切にすべきなんだ。

 どうして分からないんだ。


「幸谷も、大丈夫」

「宇宙人だから……?」

「うん」


 僕は、どうしてこんなにもイラついているんだ。

 朝からこうだった。理由はそれぞれ別だけど、ずっと続いていて、冷静な振りが出来ていただけで、だから、


「宇宙人って……そんな訳ないだろ!」


 僕はついに声を荒げた。

 その時の悠の変化はよく分かった。

 僕の言葉にに目を見開いてから、ゆっくりと意味を理解していくように視線を、深い失望に沈むみたいに落としていく。

 僕は、自分が何を言ったのかまだ理解していなかった。


「そっか」


 それだけ言って、悠は僕の横を通り抜けた。

 何かを間違えたのだけは分かった。けど、僕にはまだ何を間違えたのかは分からなくて、手を伸ばす事は出来ても掴むことも出来ず、声を掛ける事は当然出来なかった。

 なんで、そんな顔をするんだ。

 今、おかしいのは悠で、今、何を間違えた。

 考えろ。考えろ。

 そして、悠が居なくなって十分もした頃にようやく、僕は悠が今までずっと言い続けていた宇宙人というものを否定したのだと気付いた。

 だけど、どうしてそんな事を言ってしまったのかは分からなかった。

 ただ、立ち尽くしていた。

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