泣いた烏が
その日は突然の雨だった。
山の天気は変わりやすいからね、そう祖母が言いながらリビングに皆で腰掛けてだらだらとテレビを眺めていた時だった。
流石に祖父母が観たい番組と子供の私の見たい番組は程遠く、早々に飽きてきてしまった頃、外の様子を良く見ようと、何も言わずすっと立ち上がり縁側へと足を運んで行った。
あの黒猫はこの雨でも来てくれないなと、少しの寂しさと共に縁側にすとんと腰掛け、止まない雨を唯何も考えずひたすらに眺めている時、気づけば人1人分間隔を開けて隣に誰かが座っていた。
この家には毎日のように近所の誰かがやって来る。またこの人もその類だろうと思い、祖父母を呼ぼうと立ち上がろうとした時、
「良い、良い。雨が降ってきたのでな、少し雨宿りさせてもらっているだけだ。この雨もその内止むだろう。それまでしばし儂もここにいさせてくれな」
修行僧のようなその男の人は、私に初めて話し掛けてきた。
彼の右手には長い杖のようなものを持ち、どうやら背の高い下駄を履いているようだった。
顔に深く刻まれた皺が少し怖い顔にも見えたが、私の方をニコニコと見つめるその瞳がとても優しく、思わず目線をそらしてしまった。
どこかのお寺の人だろうか。こんな田舎だ。誰かが亡くなったのかもしれない。ふと浮かんだ母の最期の表情を思い出し、少し胸が軋む音に聞こえない振りをして、また私は遠くを見つめた。
「君の父と母はどうしたんだね?」
彼も私に倣うように外を眺めながら、そっと私に話しかけた。
「お父さんはお仕事だからお家にいるよ。お母さんは・・・死んじゃった・・・」
どうしてそんな事を聞いてくるのだろうか、と私の事情を知らない彼にとっては当たり前の疑問でも、まだ母の死を言葉にするとまだ泣いてしまう私は、その言葉と共に込み上げる気持ちを止めるように大きく息を吸ってから、1度だけ瞳をぎゅっと閉じ、「大丈夫」と心で何度も唱えてから再び遠くを眺めた。
「そうか・・・きっと母上も君のことが心配だろうな」
彼は先程と同じように遠くを見つめていた。
「どうかな・・・お母さん、私のこと良く怒ってたし、良い子で待っていれば直ぐに帰って来てくれるって言ったのに、もう、帰って来てくれないから、分かんない」
彼に言っても仕方がないことではある。それでも周りの人には言えなかった母との約束がずっと引っかかっていた。
お父さんをよろしくと言われたのに、私は何もできない。寂しいと思っても弱音を吐くと父が悲しむ。だからひっそりと夜にだけ泣くのだ。誰もいない部屋でこっそり、母と約束した日を思い出して声を押し殺して今夜も泣くのだろう。
「人の命は儚いからな。生まれた瞬間に死が待っている。生死は人生の中で1度だけだが、死とは周りを悲しませ寂しくすらさせる。それでも時は永遠に鳴りやまずに進み続ける。お主はまだまだ幼子だが、大人になろうと必死なのだな」
そうなのだろうか。私は子供のままでいたいとも大人になりたいとも思ったことが無い。
ただ、大人の前で泣けば困った表情をされ、そうして可哀そうだと誰かが呟く声が聞こえてくる。
それが本当に嫌だった、ただそれだけだった。
私は可哀そうな子供なんかじゃない、そう思われるのがとても恥ずかしく感じていた。
彼の言葉に返事をする事が難しく、それがなんだか気まずくなり思わず俯きながら、それでもそこから動けずにいた。
「さて、そろそろ雨がやんでくるだろう。ほら、顔を上げてごらん」
どのくらい経っただろうか。彼の声に導かれるように俯いた顔を上げると、そこには大きな虹が2つ空に掛かっていた。
「うわぁ!」
思わず声を上げて立ち上がった私は、隣に座っていた彼に凄い凄い!と言いながら祖父母にも教えてあげようと1度も振り向かずにリビングへと駆けて行った。
その時に彼がポツリと優しく何かを呟いたが上手く聞き取る事ができなかった。
急いで連れてきた祖父母の手を取り縁側へと連れてきた時には、もう既にそこには彼の姿は無く、1つの真っ黒な羽がぽつんと落ちていた。
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