009.お姫様の横顔は

ベイオウルフの部屋からの帰りに、広間から離れたバルコニーに一人の女性が見えた。

とても美しい、その女性は先ほど顔を見る機会があった、第三王女殿下。

普段なら畏れ多くて近寄ろうとは思わない相手。


だけれど彼女の横顔がチラリと見えて、気付けば自然と声をかけていた。


「こんばんは。隣よろしいですか?」

「貴方は?」

「クラン≪星の導き≫のマスターを務めている者です。正式な招待客ですのでご安心ください」

「そうでしたか」


身分を明かしたことでひとまずは警戒を解かれたみたいだ。

彼女のどこか思い詰めたような表情に声をかけてしまっただけで、このあとは完全にノープランなんだけど。

まあいいか。


貴族の立場ならどうやっても利害関係が絡むような相手だけど、庶民からしたら二度と話す機会が訪れないような雲の上の相手だ。

不敬にならない程度の雑談をして邪魔そうにされたらさっさと退散しよう。

あと見えないけれど近くにいるであろう王女殿下の護衛の警戒心で首筋がチリチリするけど気にしない方向で。


「今夜は月が綺麗ですね」

「そうですね」


バルコニーから並んで二人、月を見上げる。

明るく輝く満月は普段よりも黄色が強く感じられて、アストラエア様の金髪が溶け込みそうな色合いをしている。


「これは私の仲間の話なんですが、あの月を斬りたいって言い出した男が昔いたんです」


せっかくなので月にまつわる身内の恥……、もといジョークで和んでもらおう。


「その時は丁度冒険者としての依頼で野営している時でして。結局その男は一人で近くの森で一番高い樹のてっぺんまで駆け上がって、更にそこから上空にジャンプして剣を振ったんです。まあもちろん届かなかったんですが」


そんなあの時の様子を思い出してクスリと笑う。

今じゃさすがにやらないから、若気の至りというやつだけど。


「そして失敗して落ちてきたその男が今度は仲間の魔術師にあの樹よりも高く打ち上げてくれと頼んだんです。実際に仲間が風を起こす魔法を使うと男は樹の天辺より更に高くまで飛び上がりました」


具体的に言うと俺が落ちたらそのまま死ぬくらいの高さまで。


「結局それも失敗したんですけど、姿が見えなくなるような高さまで打ち上げた結果流石に男も大怪我しまして」

「まあ……」

「仲間の治癒術が優秀だったので大事はなかったんですが、流石にこれ以上は危ないと思い俺が言ったんです。そんなに月が斬りたいなら俺が手本を見せてやろうって」


「そんなことが出来るのですか……?」

「ええ、俺には少し変わった能力があるのでそういうことも出来るんです」

「凄いです……! それで、どうなったのでしょう?」


「それはですね……」


俺がオチを語ろうとすると、丁度その時鐘の音が響いた。

それは王都に時刻を知らせる大鐘楼の鐘で、そろそろ帰るべき時間を示している。


「もうこんな時間でしたか。……、今日はこのくらいにしておきましょう」


俺がそう伝えるととアストラエア様は物足りなそうな顔をする。

まあ話のオチだけぶった切られたら当然か。


「話の続きはまた次にお会いした時に」


その言葉に彼女は少し驚いた表情を浮かべたあと、優しい微笑みを浮かべた。


「そうですね。楽しみにしています」


うん、こういうのは次が楽しみになるくらいの方が丁度いい。

彼女の表情も俺が話しかける前よりは明るいものが見えたし、成果は十分だ。


「それでは、失礼いたします」


そう頭を下げて、俺は広間に戻った。




「お待たせしました、リリアーナさん」

「お帰りなさい、クラマス」


予定より時間がかかってホールに戻ると、丁度リリアーナさんが招待客と会話を終えて一人になるところだった。

あとベイオウルフも俺より先に戻ってきていたようで、招待客の相手をしている。

まあ暇そうにしてたとしても、わざわざ話しかけに行ったりはしないけど。


「一人にしてしまってすみません」

「問題ありませんよ。個人で挨拶をする必要のある相手もいましたし」

「その挨拶回りは終わりました?」

「ええ、必要なところは一通りは」


リリアーナさんは大商会の娘ということもあって、俺なんかよりもずっと挨拶をしなきゃいけない相手が多い。

ここでちゃんとノルマをこなさないと失礼にあたるっていうんだから大変だね。

ともあれ、今日の用事はおしまい。


「それじゃあ帰りましょうか」

「クラマスはいいんですか? ここなら男女の出会いを求めている方も沢山居ますけど」

「たしかに」


美人で家も豊かな女性が沢山いるこの場所は、出会いを求めるには最適の場所かもしれない。

実際にそういう目的で来ている人も沢山いるだろうし。


けど、

「華美な格好をして上品に暮らしている人よりも仕事を頑張ってるリリアーナさんの方が魅力的なので、あんまりここにいる方たちに惹かれないのかもしれませんね」


さっきのお姫様だって純粋に困ってそうだから声をかけただし。

別にここにいる彼女たちが楽に暮らしているだけではないのもわかっているし、これは単純に俺の異性の好みの話だけど。


「なら私は一緒に来ない方がよかったかもしれませんね」

「リリアーナさんが一緒に来てくれなきゃ俺はこんなところに来ませんよ」

「ふふっ、冗談です」


リリアーナさんの冗談はたまに難しい。

楽しそうに笑っているか嫌味とかじゃなさそうだけどさ。


「それでは、外までエスコートしてくれますか?」

「もちろん、喜んで」


リリアーナさんが俺の腕を取ると、肘に彼女の柔らかい胸が当たる。

そんな彼女は上品に笑っているので、これは指摘しない方がよさそうかな。

ちょっとの間だけ、役得に浸らせてもらおう。


「それじゃあ帰りましょうか」

「はい、ユーリさん」


腕を組んだまま、並んで二人でホールを抜ける。

そのまま馬車に着くまで、その役得はもうしばらく続いた。

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