第三章

四十六話 実験台

 あれから音沙汰もなく、二ヶ月が過ぎようとしていた。

 朝日が顔面を覆う。暗翔は、眩しさのあまり寝相を変えようと左に転がった瞬間。

 ガタッ、と足元から物音がした。薄らと開いた瞼。視線を向けると、すらっとした銀髪ヘアーがシーツに広がっているではないか。

 目を見開らくと、肌けたパジャマの胸元から、乳白色の膨らみがのぞく。


「お、おい夜雪……っ」


 しばらく夜雪の身体をゆさっていると、一人でに扉が開かれてしまう。

 暗翔が、頓狂な声色を上げたことに起因するのだろう。紅舞が、目を擦りながら様子を伺いに来たらしい。

 丸くなっていた紅舞の瞳が、一瞬にして鋭く尖った睨みに変わった。


「……暗翔? なにをしていたのか訊ねても良いかしら?」


 両手に燃え盛る火を宿し、その顔面には微笑みを貼り付けていた。だが、瞳は明らかに侮蔑色へと染められている。


「誤解だ、紅舞――」


 暗翔が動こうとした矢先。夜雪に足を掴まれ、姿勢を崩してしまう。 

 次の瞬間、夜雪の胸元を鷲掴みにした。ずぷりとした感触。指先が双丘に沈み、心臓の鼓動が飛び跳ねる。


「殺されたいの? それとも死にたいの? 選択肢だけはあげる」


「こ、これはその……ただの遊びだ。ほら、夜雪のいたずら的な」


「遊びだって? 最低ね。地獄の炎に焼かれて堕ちなさいッ」

 

 夜雪を庇った暗翔は、何度も飛来する火玉を直接受け止める。攻撃の手が収まった時には、既にパジャマを丸々焦がしていた。

 身支度を整えた暗翔がデバイスを手に取ると、着信履歴が。どうやら、早朝の騒動時に電話があったらしい。不在着信になる訳だ。通話を押すと、聞き慣れた男の声が返って来た。

 

「何度もすまないね。今回は緊急でさ」


「計画的なあんたかが? また珍しいな」


「あんたじゃなくてさ……いい加減に『サクト』って呼んでくれないかな?」


「……なんの用なんだ、サクト?」


 満足げに鼻を鳴らした男――サクトが、普段の口調で返答してきた。


「一ノ瀬紅舞君に関してさ。上から命令が下された。暗翔君は――彼女を暗殺したまえ」


「……は?」


「うん、分かるよ。気持ちは痛いほど分かる。でも、これは決定事項だ」


 頭の中が疑問符で溢れる。回路が焼き切れたかのように、熱を帯びた頭痛が襲う。

 しばらくして漏れた言葉は、小声で弱々しかった。


「いや……紅舞を? なぜだ。組織の情報は一切知らないはずだ」


「違うよ。彼女は元々、君に基づいた実験台としてアルカディア国が作った検体なのさ。人為的に【ヴラーク】を埋め込んだ、ね」 


「そんな……紅舞が実験台だと?」


「そうさ。【ヴラーク】の適合体が彼女しか居なかったとも言い換えられるね」


「待て。状況は飲み込めないが……それと紅舞暗殺の件はどう結びつく?」


 サクトは、教師が生徒に教えを与えるよう軽やかに説明した。


能力ギフトの暴走さ。彼女は一度、身体の所有権を奪われ学園の生徒に危害を加えた」


 暗翔が紅舞と初めて接触した際に、本人が悩んでいた、人殺しの一件。続けて、


「非常に彼女の能力ギフトは不安定だ。あとは、【ヴラーク】を人為的に埋め込むという実験に、生産性を見出せなかったのだろうね。コストパフォーマンスってやつさ」


「……」

 

「情が湧いているかも知れないけど……暗翔君、この一件引き受けてくれるよね?」


 即座に返事が出ない。喉元から言葉が吐けない。まるで、発声方法を忘れたかのように。

 

「……嫌だと言ったら?」


「それは有り得ないよ。君が大人しく組織の命令に逆らうとは思えないさ」


「……了解した」


「物分かりが良くて助かるよ。時期はランク争奪戦が終わるまでで構わないさ」


 電話口からサクトの声が消える。激しい耳鳴りと頭痛が全身に重くのしかかる。

 組織の命令は絶対。暗翔の人生とは、そうである。否――そうでなければならない。生きるために、殺しをする必要がある。

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