三十一話 不安

 一日のカリキュラムを終了させ、学園内から外へと足を向ける。

 数刻ぶりに暗翔を出迎えたのは薄い赤で塗られた夕陽。

 吹く風には、微かなしょっぱさを感じさせる。


「さて……夕食はどこで済ませるかな」


 街方面へと身を進ませながら、デバイス片手に操作する。

 あらかじめ、紅舞と夜雪の二人から知らされたこと。 

 本日は女子会を打ち上げるらしい。

 ゆえに、残された暗翔は一人で夕食を済ませなければならないのだ。


「夜雪らしくないよな。なんなら、俺も誘って欲しかったんだが」


 生物的分類はオスだが、精神はメスだと主張すれば女子会にだって参加できるのではないか。

 

「……まぁ、二人っきりで話したい時もあるかもな」


 お茶の場に水を刺すほど、暗翔は空気を読めない性格ではない。

 学園専用サイトを通じて、生徒たちの評判が良さげな店に目的地を定める。

 

「たまには静かな時間も必要か」


 軽く一呼吸。

 暗翔は吹かれる潮風に全身を包まれながら、緩やかに歩みを進めた。




■□■□



「……今、何時だ?」


 外で夕飯を済ませ、夜雪の自宅に合鍵で帰宅。

 暗翔は、家に上がって一番にシャワーを頭から浴びた。

 理由は簡単で、塩分を含んだ海風に長時間当たったため、服や髪がベタついて気になったから。

 汗水流し、タオルで拭き取ったあとに。

 リビングの壁にある時計の針へと目をやる。


「九時半過ぎか。まだ二人は帰っていないっぽいな……」


 耳元に届いてくるのは、風で窓が揺れる音や虫たちのざわめき声。

 足音の一つも感じない。

 

「連絡も送っていないとすると、盛り上がっているってことでいいのかな」


 一応、夜雪に今はどこにいるかのメールだけデバイスで送信する。

 

「これじゃあ、心配性の兄だって紅舞にからかわれるか」


 暗翔の投げ置いたデバイスは、テーブルの上に円を描きながらやがて静止。

 一旦、腕を天井に向かって組み、つま先から肩まで力強く伸びを行う。

 それから、時刻を示す針が三周した所で。

 暗翔は、暗く静まった寝室に移動した。

 ベッドに倒れ込むと、クッションが衝撃を緩和してくれる。

 

「……寝ている間に、帰ってくるんだよな?」


 独り言にも、疑問形が付いてしまう。

 それもそうだろう。

 暗翔が連絡を飛ばしてから、一度もデバイスが振動することがない。

 返信すら送られて来ないということだ。

 ……あまり、良い予感がしない。


「どうするか……」


 とつぶやくも、深夜帯の現時刻に外をぶらつくのはなにかと制限がかかる。

 加えて、無駄に探し回るのも得策とは言えないだろう。

 

「デバイスの充電が切れているってこともあるかもな」


 希望的観測に過ぎない。

 だが、今はそれに頼る以外の代案が思い浮かばないのも事実。

 最後にもう一度、暗翔は連絡を入れてから電源をシャットダウンする。

 

「……紅舞、夜雪」


 闇色に染まったデバイスの画面に視線を落とす。

 心配げに細まっている自らの眉毛。

 それから、寝室に言葉が出されることはなかった。




■□■□




 良いから連絡が付かないまま、一晩過ぎた早朝。

 焼き目が浮かぶトーストを口元に運びながら、暗翔は考え込むように一点を見つめていた。


「紅舞にもメールを送ったが、返事はなし。一体どうなっているんだ……?」


 パリッ、と黒く焦げた部分を口にした矢先、ほろ苦さが舌を刺激する。 

 上空を自在に飛ぶ小鳥たちの鳴き声が、妙に鼓膜へと伝わっていく。


「今日は団体戦と個人戦二つのランク戦も控えているってのに」


 個人戦は置いとくとして、多人数の団体戦には一人で参加しなければならない。

 不利な戦闘を強いられるが、暗翔ならば勝利への道も難しくはないだろう。

 ただ、やはり心配なのは。


「事件にでも巻き込まれていなければいいんだが」


 もしかしたら、これも相手チームの計画なのかもしれない。

 ランク戦にわざと負けるように、卑怯な手回しを行う戦法。

 いいや、と思考する間もなく首を横に振る。

 そんなことをしてまで、勝ちを取ろうとするランク帯ではないと思えるのだ。

 あくまでランク一。

 処罰もあり得る手口を最低ランクで使うにふさわしいメリットが小さ過ぎる。


「とにかく、頭を切り替えていかないとな」


 洗面台の鏡で髪型をチェック。

 身支度を整えた暗翔は、手にした合鍵をドアノブに差し込み捻った。

 足を向ける先は、競技場。

 会場内に到着すると、既に溢れかえっている熱気と騒めき声が鼓膜に伝わってくる。

 準決勝まで勝ち進んだ団体戦は、本日で一番目の出番。


「……ん、来たですにゃね」


 えぇ、と猫先生に相槌あいずちを打ちながら舞台に上がった。

 否応なく見回す限りの方向から無数の視線を感じる。

 予選では、ここまで観客席が埋まることはなかったはず。

 

「猫先生の人気度が観客の数にも影響しているんですかね」


「ふふん、そうですにゃ。もっと褒めてもいいですにゃよ?」


「まぁ、独身ってのが一番大きい点っぽいですけど」


「ほ、褒めているのか馬鹿にしているのか分からないですにゃ……」


 猫先生はトーンを落としながら、ガクリと肩からうな垂れる。

 本気で捉えてしまったようだ。

 別に、軽い冗談で言ったのだが。

 わざとらしくため息を吐くと、猫先生はこちらに視線を戻し、首をかしげる。


「あとの二人はどうしたですにゃ?」


 果たして、どう答えたら良いのだろう。

 

「あぁ……二人とも家出しています」


「にゃにゃ!? なら、この【実践戦闘ゲーム】はどうするにゃ?」


 驚きの声を上げる猫先生に、暗翔はさも当たり前のように自らを指差して。


「俺だけで十分です」


 端的に述べた。

 奥側で待機している対戦相手のチームからは、舐めたような目つきを飛ばされる。

 だが、事実は事実なんだから仕方がない。

 見たところ、五人の姿が視認できるが誰も手応えはなさそうである。

 紅舞と夜雪のことは心配であったが、頭の片隅に押しやり目の前のことに意識を向ける。


「さっさと終わらせて、二人を探さないとな」

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