クロエという悪魔

「はははっ、6属性となるとワシが教えることは難しいのぉ」


 ロームは大げさに肩をすくめてみせる。「明日、6属性の先生を連れてきてやろう」




「属性が違うと教えられないんですか?」




「教えられんことはないが、知識よりも実践のほうが身につくこともある。基本的には同属性の先生が担当につくのが効率的なんじゃよ。アカデミーでは集合授業と個別授業の過程が半々あるから、そこまで気にせんでいいさ」




 確かに理屈より体で覚えたほうが良さそうだと私は納得する。だが、この時はまだ知らなかった。明日出会う「先生」が、いかに苛烈な人物であるかを――。








 翌日、集合場所に急ぎ足で向かった私を待っていたのは、眼鏡をかけた、どこか洗練された青年だった。冷静で洗練された佇まいだが、その目つきは鋭く、どこか威圧感を伴っていた。




「遅いですね。」


 開口一番、低く響く声が私を迎える。「朝に集合とお伝えしたのですが、昼前にいらっしゃるとは思いませんでした。この遅刻については、それ相応の指導が必要なようですね」




 その言葉に、私は思わず足を止めた。




「すみません、急いで来たんですが、待たせてしまったようで…」




「まぁ、構いません。」クロエと名乗ったその男は静かに言葉を続ける。「今日からあなたの担当を務めますクロエと申します。現在は戦闘ランダーではなく、生産系のランダーを務めておりますが、基礎の指導には問題ありません」




「どうも、リュウジです。右も左もわかりませんが、よろしくお願いします」




 クロエはじっと私を見つめ、一瞬だけ微かに頷いた。




「魔力は感知できていますか?」




「自分の周りの魔力は、なんとなくわかるようになりました。」


 昨日の夜遅くまでロームに教えてもらった心法を繰り返した成果だ。




「なるほど、ローム殿に教わったのですね。しかし、まだまだのようですね。」


 クロエは杖を握りながら静かに言葉を続ける。




「今、背後から狙われていることに気付いていますか?」




「え?」




 次の瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走った。




「痛った!」




 クロエは微動だにせず、落ち着いた声で言った。「魔力を感知できると、このような攻撃にも気付けるようになります。しかし、今のあなたの"目"では、それが見えていないようですね」




「じゃあ、そのやり方を教えてくださいよ!今の目ってどういうことですか?」




「少々、焦りすぎですね。」クロエは静かに杖を持ち直した。「昨日、目に魔力を集中させたと伺いましたが、そのやり方は忘れてください」




「は?あれのおかげで周囲の魔力も見えるようになったのに?」




 再び、同じ場所に衝撃が走る。




「痛いって!」




「申し訳ありませんが、覚えるまで繰り返させていただきます。」


 その言葉は穏やかだが、厳しい意思が伝わってくる。




「意図的に目に集中させるのではなく、全身に魔力の膜を張り、漏れを防ぐようにしてください。密度を上げるイメージでも構いませんが、とにかく皮膚の内側に魔力を留めることを意識するのです。」




「こんな感じかな?」




「痛いって!」




 また頭を叩かれた。




「いえ、今回は成功していました。ただ、衝撃を受けた際に膜が消えてしまいましたね。」




「そりゃ殴られたら解けるでしょ!」




「いいえ、解けないようにするのが目標です。無意識のうちに膜を維持できるようにならなければ話になりません。これが"マナエリア"という、あなたの能力を発現させるための重要な基盤となる領域です。」




「マナエリア?」




「簡単に言えば、魔力の制御領域のようなものです。このエリアを使いこなせるようにならなければ、6属性の力を引き出すことは難しいでしょう。」クロエは一息ついて、落ち着いた声で続けた。「入学までの間に、このマナエリアを習得していただきます。」




「生きていけるかな…」




「ご安心ください。死なないギリギリを見極めながら指導いたします。」




 クロエの言葉は一見穏やかだが、その裏にある覚悟と厳しさが、私に重くのしかかっていた。これから先に待つ試練を、私はまだ何も知らなかった。




 あれから数日が経った。私はクロエの助手として雑務をこなしながら、魔力に関する実践指導を受け続けていた。些細な会話の途中や、書類を仕分けている最中、少しでも気を緩めると見えない拳が全身に容赦なく飛んでくる。どこから、いつ殴られるのか全く予測できず、私は常に身を縮めて怯える日々を過ごしていた。




 逃げ出そうと試みても、見えない何かに体を引っ張られ、挙げ句には転倒させられる始末だ。唯一の楽しみだった睡眠も、クロエの笑顔が悪夢となって現れ、気が休まる暇がない。




 そんな中、ある日クロエが淡々と告げた。




「テストを行いましょう。まさかとは思いますが、期待外れな結果にならないことを祈っていますよ。」




「え、いきなりですか?テストってどんな内容ですか?」




「3回、私の魔力の拳をあなたのマナゾーン内で寸止めします。それを感知できれば今回のテストは合格です。」




「今、1回目話しながら寸止めしましたね?」




 クロエは残念そうな表情を浮かべ、静かに一言を告げた。




「正解です。」




「やった!やっと合格か!」


 私は思わず声を上げ、喜びに浸った。




 だがその瞬間、鉄拳が現実に引き戻す。


 バコッ!




「痛っ!なんでですか!?」




「調子に乗るのが早すぎますよ。」


 クロエは冷静に微笑みながら言葉を続けた。


「次はマナエリアの拡張を目指します。皮膚という基準がない状態での練習になりますが、先ほどのテストを合格したあなたなら当然できますよね。」




 その嫌味な口調にも、私は少し慣れてきた。だが、今度はどんな地獄が待っているのか、心の準備が追いつかない。




 さらに数日が経ち、修行とも拷問ともつかない訓練を続けていくうち、ついに私は背後に目ができたかのようにクロエの魔力を感知し、その拳の形まで理解できるようになった。そして、彼が殴る前に魔力で「3」「2」「1」とカウントを表示していることに気づいたとき、私はこれまで他の先生たちに見られていた薄笑いの理由を悟った。




 恥ずかしさに耐えきれず、念のため確認することにした。


「先生、このカウントって初めからずっとしてたんですか?」




 クロエは満面の笑みを浮かべながら頷く。


「ふふっ、やっと気づきましたか。正直、入学まで気づかなかったらどうしようかと思っていましたよ。」




 クロエ。恐るべきドSメガネ。ロームが変態老人なら、クロエは間違いなくドSメガネだ。


 そう心の中で毒づいた直後、またしても感知はできても避けきれない速度で拳が飛んできた。


 バコッ!




「痛い!何でまた殴るんですか!」




「いえ、何やらよからぬことを考えている気がしたので。」


 そうさらりと答えるクロエの冷徹な笑顔に、私はぞっとした。




 それでも、数日間の訓練の末、ようやくマナゾーンの維持を完成させた。


 クロエは満足げに言った。


「これで入学までに必要な基礎は身につきましたね。これからはマナエリアをさらに広げ、実戦に備えた訓練を続けましょう。入学後の授業も期待しています。」




「ありがとうございました。痛い思いばかりでしたけど、入学後もよろしくお願いします。でも、もう少し優しくしてくれると助かるんですけど!」




 私の言葉にクロエは薄く笑いながら返事をした。


「優しくする余裕があればいいですね。では、入学式の日にまたお会いしましょう。」




 その後、私は残り数日間、アカデミー内を探検したり、クロエに教わった技術を反芻したりしながら過ごした。恐怖と達成感が交錯する日々だったが、次の新しい段階への期待も膨らんでいた。

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