我思う、ゆえに我あり

人生は思ったよりも短いものだ。10代前半の出来事が昨日のことのように感じられる。きっと30歳になったとき、20歳の自分のこともつい最近のことに思えるだろう。そして老いた頃には、人生全体がまるで1週間のように過ぎ去ったと感じるに違いない。


まるで1週間のギフトのような人生。その短い贈り物をどう生きるか、この世界では自ら選べるようだ。


この世界の歴史は、元いた世界と同じように争いが絶えないものだったと聞いた。しかし、今自分の目に映るこの世界は「理想」に近い。まるで、人生の最適解が与えられるような世界だ。


審判の部屋――この世界の人々はそこで人生の指針を受け取る。まるで、自分に適したレールを引かれるかのように。前の世界ではそんなものは誰にも与えられなかった。与えられないどころか、幸福と不幸の落差が激しすぎて、それぞれの価値すら曖昧だった。


だが、ふと考える。もし、人は意図的に不幸を選び、その底から幸せを見出せるのだとしたら? それは初めから幸福に浸る人生よりも価値があるのだろうか? 人間は慣れる生き物だ。人生の長さにすら慣れてしまう。もし、不幸を楽しむことで幸せの質が高まるなら、それはもはや不幸とは呼べないのではないか。


そんな取り留めのない思考に、私は突然支配されていた。


そして気づく――「俺の人生のレールはどこだ?」


笑いがこみ上げる。自分でもおかしくなってくる。審判の部屋で私に告げられたのは、ただ「何を望むか?」という問いだけだった。そして、心の声を一方的に読み取られて、そのまま部屋が壊れたのだ。


適正を教えてもらうどころか、勝手に願望を探られて挙句の果てに壊れるなんて。いっそクレーマーになってやりたいところだ。


与えられたのは大量の魔力。それはまるで、前の世界で宝くじに当たったかのようだ。宝の持ち腐れと言えるかもしれない。魔力の使い方も知らないのに、どうやって活用しろというのだろう。


しかし、昨日の身体の重さが嘘のように今日は異常なほど元気だった。その変化に、自分が躁鬱患者のように思えてしまい、少し不快だったが――まぁ誰かに見られているわけでもないからいいだろう、と自分に言い聞かせた。


私はベッドから起き上がり、昨日と同じように机を見た。だが、今日は古紙に加えてビー玉ほどの水晶、そして食事が置かれている。


まずは古紙に触れてみる。


「お前さんは今有名だから、外に出歩くのは控えたほうがいいぞ!とりあえず飯と移動用の水晶を置いておく。水晶には魔力を吹き込むと指定の場所まで飛べる仕組みになっておる。その吹き込み方を今日の課題にする!夕方までにできなければワシが迎えに行くから、それまで頑張れよ。ガッハッハ!」


脳内に直接響く肉声のようなメッセージに、思わず笑ってしまった。何度聞いても新鮮で、妙に愉快だ。


まるでスカイツリーの頂上に登った観光客が光を放ってタワーをぶっ壊したような出来事に思える。もしこれが前の世界で起きたなら、YouTubeで一躍有名になるだろう。まるで、客寄せパンダのような存在だ。


そんなことを考えながらも、私は水晶を手に取る。そして、この課題をどうクリアしようかと頭を巡らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る