最初の任務、神との冒険

1話

 ここに来るのは何年振りだろうか。

 四百メートル程度の高さがある爺ちゃんが管理していた山の頂上、少し辺りを見渡せば近くの森であったり、街を一望だって出来る。そういえば幼い時は爺ちゃんに連れられて山菜採りとかもしていたっけ。まぁ……中学に上がる頃には来るのも止めてしまったけど。


 だって……嫌な思い出があるんだ。

 頂上に置かれた小さな祠、そこで俺は確かに美しい女性と知り合った。だけど、その姿を俺以外が認識してくれなくて……多くの人に気味悪がられて怖がられたよ。まぁ、それも本が幻では無かったと教えてくれたけど。そう、今となっては悩むだけ損だったんだ。なぜなら……。






「俺が新しい主となった存在だ。嫌でなければその姿を見せてくれ。……力を失った神よ」

「───ふむ、随分と勝手に大きくなったものじゃな」




 美しい鈴のような声が聞こえた。

 あの時は何度も聞いた……俺が初めて恋をした女性の声だ。本音を言えば今だって、既に止まっていたと思っていた心臓がドクンと跳ねたのを確認している。でも、その声が俺を求めてはいないという事も今の一瞬で分かった。


「久し振りに顔を見せたのに酷い言いようだとは思わないか。だから、信仰心すら失われて山に閉じ込められるんだよ」

「ふはは、それならそれでよいわ。妾は救いたいものを救うと決めておるからのぅ。……なんじゃ、ここでは話をするのも難しいじゃろう」


 その声と共に俺の視界が一瞬で変化する。

 いや、視界に映るものはあまり変わっていないのかもしれない。ただ、明確に空気が変わった。俺の肌を日本では味わえなかった何かが突き刺してくるんだ。そして……久方振りに見た初恋の女性は確かに今も美しいままでいた。


「綺麗なままですね、ミッチェルさん」

「反対に主は随分と薄汚れたのぅ。あの頃は希望に満ち溢れていたというのに……今では泥に塗れた野良犬と何ら変わらんわ」

「そうですよね……分かってました。俺はどうも社会という存在に適応出来ませんでしたから。どうにも……俺は他人を好きになれない性分だったみたいです」

「そうじゃな。……じゃが、妾の顔を見て昔に戻った今の主なら少しは愛らしく思えるがのぅ。妾が嫌いじゃったのは精神ばかりがすり減っておった主じゃ。妾の事を愛しておるのは変わっておらんようで良かったのじゃよ」


 頬が赤くなったのが自分でも分かった。

 愛しているって……いや、好きなのは変わりないけどさ。それでも今となっては俺の最後の家族である唯が最愛だ。……別に愛していないとは言い切れないけど天秤が傾くのは確実に後者だよ、うん。


「はは、別に言い訳をする必要など無いとは思わんかね。妾は知っておったのじゃ、主が次の管理者になるとな。とはいえ、主が妾の好みの男子であった事は間違いでは無いのじゃ。好みでも無い男子に優しくなど出来はせぬ」

「それは……今でもですか」

「ふふん、自分の姿を見てみるのじゃよ」


 指が弾かれ、一つの氷の鏡が作られた。

 自分の姿……確かに少し違和感があるな。視線が明らかに低くなっている。それに自分の声だって高くなっていないか。……いや、鏡を見ればすぐに分かる事だった。そこに映っていたのは金色の短髪を靡かせた一人の少年だ。


「主は自分の姿にコンプレックスを抱いておった。それは見た目にではなく、歳を重ねる事によって自分の稀有さに気が付いてしまった故に起こった違和感じゃろう。そして、妾は昔の主の姿を好んでおった。つまり」

「ミッチェルさんはショタコンだと」

「誰がショタコンじゃ! だ! れ! がっ!」


 少し声を荒らげはしたが……やっぱり、あの時から何も変わってはいなかったんだな。いや、彼女が本物の神だと言うのであれば俺が生きた十年程度は呼吸をするのと少しも変わりないのかもしれない。だけど……それが不思議と嬉しかった。


「妾は主を愛しておる。幼いなどというのは好きになる一つの要素でしかない。妾は主を愛しておるからここに招いたのじゃよ。そして主が大切にしている妹、唯の事じゃってな。主だって本から認められたという事は全てを知ったはずじゃ」

「……はい、俺は貴方の使徒として認められたんですよね」

「それは半分過ちで半分正しい話じゃな。主は地球と反対にある異世界アナザーヘイムの守護を行いながら、妾の信仰心を取り戻す事が任務じゃ。妾を守るのが任務なのは間違い無いが、それだけでは全てを解決する事は出来ん」


 軽く眉を顰めてミッチェルは笑った。

 アナザーヘイムの守護……言葉だけ見ても何とも大層な肩書きだ。それこそ、今まで平々凡々と生きてきた俺に、いや、引き籠もりを貫いてきたような俺に頼むなんてどうかしている。剣や人の醜さにしか知識を持たない俺に頼むなんて……本当に意味が分からない。


「……なぜ、俺なんですか」

「それは本が選んだ理由を聞いておるのかのぅ。そうであれば妾が主を求めたからじゃよ。妾は信仰を失ってから億は確実に経っておる。その中で残った全ての力を捧げても良いと思えたのが主だっただけじゃ」

「だから! その理由が!」


 その先の言葉を続ける事は出来なかった。

 優しい感触、それでいて柔らかい……その理由は考えずとも分かる。少し離れた場所にいたはずのミッチェルが目の前にいたからだ。今は失われてしまったけど……それでも忘れられない感触だった。


「黙れ、妾は主に惚れた。それは才能も能力も性格も見た目も全てに惚れたのじゃ。そして見えた光に最後の希望を感じられたから捧げようと思っているのじゃよ。聡明な主なら分からなくはあるまい」

「それ、は……」

「ましてや、妾は主が求めている存在の行き先を知っておる。それこそ……小長聖の行き先を知っていると言ったらどうする」


 小長聖……そうか、知っているのか。

 いや、彼女が聖を知っているという時点でもっと別の考え方をするべきだな。俺は彼女に聖の話はした事が無いし、顔も見た事が無いはずだ。知っているという事実だけに注目すれば神の力とやらで納得出来るが、アイツのいる場所を知っていると口にした。


「いるんだな。アナザーヘイムの中にアイツが」

「積極的なのは好みじゃぞ。……じゃから、妾は主を求めておるのじゃ。主には妾の想いを継ぐ前に行わなければいけない事があるからのぅ」

「……はは、俺は……ミッチェルから褒められるのなら頑張れますよ」

「じゃったら、契約が成り立つ前から顔を見せに来るのじゃな。どうせ、アナザーヘイムにあるべき力を受け継いでしまった主を嫌った存在が、あの腐った世界には多くいたのじゃろう」


 不意に肩を掴んでしまったが怒られなかった。

 いや、彼女の言う通り、やはり、神と人としての考え方の差があるからなのだろう。この程度であればどうとでも出来るから俺を拒否する事すらしなかった。そして、人という存在の幼さだって理解している。だから、こうして笑顔のままなのだろう。


「主は魔力を扱えておる。そこだけならば主の父や祖父と変わらんかったじゃろうな。だが、主には【完全記憶】というスキルがあったとなれば話は一気に変わってしまう」

「……俺にはステータスがあった。自分で確認しなかっただけで持って産まれてしまった。だから、努力だけでは越えられない壁があった……それで合っていますか」

「ふふん、その通りじゃ。それでこそ、妾が幼い頃から唾を付けておいた意味があったというものじゃよ」

「……待て、それって……?」


 唾を付けたが比喩じゃ無ければ……。

 俺がこうして人よりも優れた……いや、一風変わった存在として産まれたのは……確かに俺の記憶が正しかったのならば、何かをする機会なんて幾らでもあっただろうからな。


「さすがに聡いのぅ。そうじゃよ、初めて見た時から主にスキルを与えたのは妾じゃ。ステータスというのは成長期という期間が一番に高めやすいという性質があってのぅ。スキルの獲得という一点においては二十五歳を超えてからでは難しいのじゃ」

「……はぁ、もう、いいですよ」

「愛しい妾からの贈り物となれば恨もうと思っても恨めまい。分かっておったから言ったのじゃよ」

「ええ、貴方が駄女神なのはよく分かりましたから先の事を聞く気はありません。それに……貴方がステータスを与えてくれたおかげで救われた事も確かにありましたからね」


 ミッチェルはただ笑って俺の頭を撫でた。

 駄女神だなんて口にはしたが本人は気にしてもいないみたいだ。「神の力が無くなった妾は確かに駄女神じゃろうな」とか言っていたし……いや、少しは気にして、自分の行動を考え直して欲しいんだけどな。でも……その優しさがどうにも俺にはむず痒く感じた。

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