代償

山谷麻也

第1話 街道今昔


 なぜ、学校に鎌などを持って行ったのか、六〇年も前のことなので、すっかり忘れてしまった。学校行事として、通学路の草刈りでもしたのだろうか。


 下校時、山道の脇に植えられていた杉の若木を、鎌で伐ってしまった。幹の先端が切られていた。


 隆がやったのか、それともほかの子供がやったのか。これも定かではない。


             ◆

 年々、杉は育った。難を逃れた杉は上へ上へと伸びていく。先を伐られたものは、多くの枝が横に張り出す。いくら生育しても、木材としては使い物にならないことは、子供たちにも分かった。


 隆は登下校時、その杉を見るたびに、心が痛んだ。

 杉は身近にあった。どの杉も春先に枝に触れると、黄色い粉が飛散した。

 子供たちは面白がって、枝を叩いたり、揺すったりした。もちろん、くしゃみをしたり、目を腫らしたりするような子はいなかった。


             ◆

 隆の生まれた村は、四国の中央部にある。 暴れ川として名高かった「四国三郎」吉野川。支流・祖谷いや川には、松尾川を初めとして大小の川や谷が注ぎ込む。そのひとつ、千足せんぞく谷の南北に家々が点在していた。


 祖谷川の川音を聞きながら、なだらかな山道をしばらく登ると、大きく右折する。代わって、ゴーゴーという千足谷の渓流の音が耳に入る。

 やがて目の前に、集落が広がる。 家々は山肌にへばりつくように建てられ、周囲に畑が拓かれていた。千足谷の中流域には水田もあり、稲作が行われていた。


             ◆

 ひっそりとした仙境のような村だった。だが、千足村は人々が往来した時代が、長く続いた。


 祖谷川と吉野川の合流地点から、祖谷川の西岸に街道が抜かれ、千足村の奥を経て、秘境・祖谷地方へと通じていた。


 この街道は一九二〇年(大正九)祖谷川沿いに延長五一キロに及ぶ「祖谷街道」が開通することによって、歴史的使命を終える。

 村の奥の道が「馬道」と呼ばれていたことを聞かされて、隆は育った。人馬が通行した名残りである。

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