三つのボタン

クロネコ太郎(パンドラの玉手箱)

選択

「起きろ。」


「ん?ここはどこだ?」


 彼は、はっと目を覚ました。


 そして、身に覚えのない暗い空間の中にいることに気が付く。


「ここに三つのボタンがある。」


 困惑している彼に構わず、エッジのかかった声で話し始める。


「あんたは、だれなんだよ?」


 謎の人物の容姿は変わっていた。背筋が曲がり、ぼろきれのような服を身に纏っている。

 顔は薄暗くよく見えない。どこを向いているのかすら判別がつかず、彼に話しかけているのかすら怪しかった。


「それぞれ、左から世界、自身、妻、の滅びる直前の未来を知ることができる。」


「おい、聞こえてないのか?」


「妻の未来、自身の未来を選んだ場合、第一の死の原因を取り除くことができる。世界の未来を選んだ場合、滅びから自分達だけは逃げ延びることができる。どれを押す?」


「どれを押すって、あのなあ……。」


 彼は混乱していた。つい先ほどベッドへ就寝へと付いたばかり。彼は妻と二人暮らしをしている、いたって普通の会社員だ。にも関らず目を覚ますとこのような訳の分からない事態に巻き込まれてしまった。


「まず、この状況を説明してくれって言ってんだけど。」


「……。」


 その後も何度か問いかけるが、反応は無い。


(ボタンを押さない限り、進行しないのか?)


 彼は仕方なく、三つのボタンについて考えてみる。


 まず、一番左。世界が滅びる前の未来を知ることができるとか。

 だが、生きている内に滅びが訪れるとは限らない。

 加えて、滅んだ後の世界では幸せに生きられるのか。

 それなら、おとなしく皆と共に消えてしまった方が楽かもしれない。


 そして、真ん中。

 滅びる前ということはつまり、自分が死ぬ前の未来を知ることができるのだろう。

 彼の言った、最初の死の原因を取り除けるというのは、一度死を回避できるということだ。それは、自分の寿命を延ばすことができるのと同義と言える。


 最後、右のボタン。これは自分の場合と妻の場合が、入れ替わっただけだ。


「俺は……。」


 一度死を回避することができるというのは、魅力的だと思った。未来に対する不安がなくなれば、さらに幸せな人生を送れるかもしれない。


 だが、それは妻が彼の隣にいてこそだ。


 彼は、誰よりも妻を大切にし、尽くしてきた。

 世界の未来を知ったところで、自分が長く生き永らえたところで、

 妻がいなければ意味がない。


 確かに彼には、自分の未来を知ってみたいという誘惑もあった。

 だが、妻の顔を思い浮かべるとその誘惑も消え失せた。


 彼は、一番右のボタンを押した。


 その瞬間、彼の脳裏に妻の姿が駆け巡る。


 彼は、妻の未来を見た。

 彼女は一人で家にいる。今の彼女と容姿もほとんど変わっていない。

 ほんの数年程先の未来のようだ。


 驚くべきことにそこには彼自身の遺影があった。

 どうやら、何らかの要因で既に彼は、死んでしまったらしい。


(マジか……。)


 彼はショックを受けつつも、彼女の未来を見続けた。


 彼女は、テレビニュースを見ている。

 ニュースでは、人を不快にさせる不協和音が鳴り響いていた。

 彼女は恐怖に顔をゆがめている。

 そして、俺の遺影がある仏壇へ、涙を浮かべながら手を合わせた。


 (どうしたんだ?)


 彼が、妻の尋常でない様子を心配していた時だった。

 

 突然、部屋が明るく輝く。


(は?)


 窓の外から、太陽の数十倍もの眩しさの光線が、照り付けてきた。


(な、何が起こってる?)


 光を浴びた妻は、一瞬にして灰塵へと変わり果てる。

 瞬きする間もなく、建物諸共、すべてが無へと帰した。


 その日、東京の町は、焼け野原へと変貌を遂げる。


 「嘘だろ?たった数年にこんなことが、起こるっていうのか?」


 東京は、滅びた。

 せめて隣に夫である彼がいれば、少しは恐ろしさが和らでいたかもしれない。

 だが、妻は一人だった。

 彼は妻を残し、先に死去していた。

 最後、彼女は孤独の中で、どれほどの恐怖を味わうことになるのだろう。


「こんな、救われない未来を誰が望むんだ!俺たちが、何をしたって言うんだよ!」


 彼と妻は真っ当に生きてきただけに、あまりも胸糞が悪かった。

 

「第一の死の原因を取り除くか?」


 謎の人物は、なおも変わらない調子で尋ねてくる。


 彼はその時、気が付いた。

 これが、その救われない未来の救済だと。

 神は、無情ではなかった。

 最後に選択する余地を残してくれた。

 もし、自分、世界、のボタンを押していた場合、世界は滅びていた。

 彼は、試されていたのだ。


「お願いだ、頼む。妻を、助けてくれ……。」


 具体的なことは分からない。ただ、妻を何かとてつもなく不吉なものが襲うということだけは理解した。せめて哀れで孤独な妻を、災いから退けたかった。それだけが、今の彼にできる唯一の救済だ。


「承知した。」


 神は、そう言った。



 数年後。


 彼女は、一人、仏壇に手を合わせていた。

 夫が、彼女の命、そして、世界を救ったことを知らずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三つのボタン クロネコ太郎(パンドラの玉手箱) @ahotarou1024

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画