第38話 死神卿とアンの戦い(2)

 「聖牧杖セントバルクス大聖堂街」の旧劇場で、アン王女と兄である死神卿ロイドの二人は相対した。


 敵である死神卿は、魔剣アンデッドメイカーを持つ歴戦の戦士である。アンにとって勝算は無いに等しい。だが勇者一行の一員として、そして妹として、この兄の蛮行を止めねばならないと決意するのだった。


 アンの「祝福」の力は、なにも人を治すためだけのものではない。魔を払い、不死の化物アンデッドを浄化する、光の魔法を使うこともできるのだ。

 いま彼女はその力を使うため、意識を両のてのひらに集中する。広げた両手から白く光り輝く魔力がほとばしると、彼女の目の前に人の背丈ほどもある巨大な魔力の球体が生まれる。アンは両手を突き出すと、ばちばちと雷のような音と光を発するその球体を、死神卿に向かって放った。


 しかし襲いかかる聖なる光の魔法を、死神卿は避けるどころか真正面から受け止め、魔剣アンデッドメイカーで一閃する。漆黒の刃に斬られた魔力の球体は、空中で雲散霧消うさんむしょうするのだった。


「そ、そんな……」


 アンの命を削り全身全霊を込めた光の魔法を、死神卿はたったの一振りで消し去ってしまったのだ。まさかここまで実力差があるとは――焦るアンの額には一筋の汗が流れ落ちる。


「力の差は歴然だな。おまけにアンの『祝福』の力では、この光の魔法はあと二発しか撃てないだろうよ。このような苦しまぎれの攻撃で挑もうなどとは……、みすみす命を捨てるようなものだ」


 死神卿に魔力まで読み切られたアンは、図星をつかれ成す術もない。だが残りその二発の魔法で、彼を倒すしかないのだ。彼女は再び右の掌で魔力を集中させ、同じように光の球体を作り出すと、死神卿に向かって啖呵たんかを切った。


「次は倒して見せるわ。いつまでも静観してないで、さっさと掛かってきなさいよ!」


「何度やっても無駄だ。妹とはいえ、歯向かう者はみな同じように、この魔剣アンデッドメイカーの生贄いけにえと成ってもらうぞ」


 死神卿はそう言って舞台から跳躍すると、一気にアンの目の前まで飛び込み、着地寸前に魔剣を振り下ろした。光の玉を切り裂くと同時に、アンの肩口から心臓付近まで刃が達する。

 ごぼりと血を吐きながら、それでもアンは仮面の下で笑いながら呟くのだった。


「掛かったわね」


「なんだと⁉」


 すると、アンの背中から光の魔法の玉が、アンごと死神卿を巻き込むように襲い掛かるのだった。

 実はアンは右手で光の球を作るのと同時に、背中側に回した左手でも、隠すように二つ目の光の球を作り出していたのだ。

 その二つ目の光の魔法で、自分ごと巻き込んで捨て身の攻撃を繰り出したのだ。


 アンの身体に深く食い込んだアンデッドメイカーは抜くこともできず、死神卿は防御すらできずに光の魔法の直撃を食らう。聖なる光の魔力にじゅうじゅうと焼かれながら、死神卿は苦しそうにうめき声を漏らす。

 だがその聖なる光は、元々半分骸骨姿のアンも、同じように焼き尽くしていたのだ。おまけに魔剣アンデッドメイカーの食い込んだ刃が、彼女をさらにアンデッド化させていく。残っていた人間の姿が、両足、両手とみるみる骸骨化していくのだった。

 けれど彼女は死神卿と違い、うめき声を上げる代わりに微笑んでいた。


「兄さん、死なばもろともよ。兄さんと魔王の野望も止める。そしてシーザーも救うのよ!」


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 例の図書館にいるロックは、いてもたってもいられず、アンの戦いをのぞいていた。

 本のサロメの力で幾つもの魔法のページを空中に浮かべ、まるで絵画のように広げると、アンと死神卿の最後の戦いを映して見守る。


 ロックの描いたどんでん返しはこうだ――聖なる魔法の攻撃で死神卿の裏をかいたアンが、自らの身体を犠牲にアンデッドメイカーに刺されて、それを強引に奪い取るという力業だった。

 結局最後はアンと死神卿の我慢比べ。だが、今アンはその我慢比べに勝とうとしていた。


 ここまでは全てロックの物語改変通りだった。そのはずだったのだ――


 しかし、アンに渡した光のページが彼女の胸元から逃れるように宙に浮きあがると、その光のページが破れて、爆発するかのように光を巻き散らし、跡形もなく散り散りに消え去るのだった。


「馬鹿な……⁉ こんなことは初めてだ……。『物語改変』のページが自ら破れて消え去るなんて……」


 驚愕するロックに対し、サロメが悲痛な声で呟いた。


「作者に拒絶されたのよ……。物語改変が効かなかったのよ――」


 その言葉通り、アンと死神卿を包み込む聖なる球体の魔法は、光を巻き散らして破裂する。

 不死の化物アンデッドに対し「生きている」と言うのは奇妙な表現だが、死神卿はまだ生きて動いていた。逆にアンデッドメイカーに刺されたままのアンは、そのまま急速にアンデッド化していくのだった。

 どんどんと生命力が失われるアンは、悲鳴を上げあらがおうとするが、もはや逃れるすべはなかったのだ。


 完全な敗北――

 アンも、シーザーも、そしてロックも敗北した。これだけの犠牲を払ったのに、一つとして救えなかったのだ。

 瞳の奥からこぼれそうになる涙を抑えながら、ロックは拳で自らの膝を何度も叩きつけて叫んだ。


「なんで、なんでここまで来て、届かないんだ……。俺は何のために『物語改変』してきたんだ……」


 だが、どんなに叫んだところで、物語が作者の筋書きから勝手に変わるわけが無かった。


 ロックたちが全てをあきらめようとしたそのとき――

 アンのいる旧劇場の空から、ぽつりぽつりと雨のような物が降ってきて、地面にかつんかつんと音を立てた。


 それは小さな十字架だった。

 死神卿には見えることのない、けれどアンとロックたちだけが見ることができる、ハッピーエンダーの放つ十字架だった。


 夕暮れに染まる空に黒いオーラを放つ扉が開くと、そこからロックたちのよく知る声が聞こえてくる。


「ロックさん、どうせ見ているんでしょう。僕はキャラクターを殺すことしかできないハッピーエンダーですが、その僕から最後の贈り物です」


 その言葉とともに、黒い扉から、漆黒のオーラを放つ一枚のページが舞い落ちてくるのだった。


「ギガデス⁉ なんでこんな時に……⁉」


「ロックさん、アンさんに生き残ってもらおうなんて生易しい物語改変するから、作者から拒絶されるんです。

 アンさんには本当に死んでもらいます。死ぬことでしか、得られないハッピーエンドもあるんです。僕はキャラクターを殺すことにかけては超一流のハッピーエンダーですよ。その僕の超一流の『物語改変』を味わってください」


 驚いているアンに、落ちてきた漆黒のページが触れると、彼女の身体に電撃が走ったように、ギガデスの描く物語改変が伝わるのだった。


 アンはまさしく死ぬ覚悟を決めると、死神卿の魔剣を持つ腕をつかみ、最後に残っていた「祝福」の力を一気に注ぎ込んだ。


「兄さん、勝利の女神ならぬ、勝利の死神が私に微笑んでくれたわ!」


「な、何をするんだ⁉」


 死神卿は思わず驚きの声を上げる。

 倒すべき相手に、しかもアンデッドである死神卿に、「祝福」の癒しの魔力を流し込んでくるなど、狂気の沙汰としか思えない。しかも最後の祝福の力を使えば、アン自身もアンデッド化してしまうのだ。


 アンの治癒の力で死神卿の腕は生命を取り戻し、死神の腕から人間の腕に治ってしまう。魔剣アンデッドメイカーはアンデッド――死神の腕にしか持てない魔剣だ。そのせいで、魔剣に拒絶されるように、柄を持つ手にばちばちと電撃が走り、死神卿は魔剣を取り落とした。


 アンは、自らの祝福の力を使い切ることでアンデッドと化し、逆にアンデッドメイカーによるアンデッド化――死神卿の忠実なアンデッドの下僕となること――を防いだ。そして、見事死神卿からアンデッドメイカーを奪い取ったのだ。


「まさかアンがそこまでの覚悟でのぞんでいたとは……。お前の覚悟に免じて魔剣アンデッドメイカーは預けておこう。だが最終的に勝つのは魔王だ。

 祝福を失い『反人間カースド』となったお前には、この世の地獄が待っていることだろう。ゆめゆめ忘れぬことだ。人間の世界こそが地獄なのだということを」


 死神卿は冷徹な声で捨て台詞を吐くと、口笛を吹き骸骨の馬を呼び寄せ、瞬く間に旧劇場から駆け去るのだった。


 アンデッドとなったアンは、うめき声を上げながら自らの身体に刺さる魔剣を抜くと、力尽き床にくずおれた。だが彼女は勝利の美酒に酔うように、仮面の下で静かに微笑んだ。


「これで、やっとシーザーが救えるわ――」


 本来なら、死んだシーザーを生き返らす物語改変など存在しない。それほどキャラクターの死とは重いものだからだ。もし強引に物語改変したとしても、作者に拒絶され、〈物語精霊界〉の禁忌に触れる大罪となることだろう。

 だがアンは倒れたままで胸元から、女裁定者アイスマンからもらった白く輝く一枚のページを取り出すと、その封を開いた。


 そうするとアンの周りの時空が歪み、まるで世界を消し去るかのように、物語改変のページが光を爆発させて辺り一面を真っ白に包んだ。アンの意識も世界も次元の狭間に吹っ飛ぶ。


 アイスマンの物語改変だけが、唯一シーザーの死を「無かった」ことにできた。


 彼女の物語改変能力は、「叙述トリック」――


 今までアンと死神卿が戦っていた時間は、実は「人間爆弾」のダークと戦っていた時間より前のシーンとなったのである。「叙述トリック」の力によって、物語のシーンの組み換えが行われたのだ。

 当然物語の時間は、シーザーが死ぬ直前まで巻き戻るのだった――

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