第36話 アン王女と最後のハッピーエンダー

 『呪いの四将軍カースド・フォー』の「人間爆弾」ダークの自爆によって、大聖堂は半壊した。爆発に巻き込まれた勇者シーザーは、尖塔から折れた十字架が胸に突き刺さって倒れており、今まさに最期の時を迎えようとしていたのだ。

 仮面の王女アンは、そのシーザーの胸に顔をうずめて、大声で泣き続けていた。


 シーザーはずっとアンのことを大切に守ってくれていた。大切だからこそ、時には遠ざけようとまでしたのだ。

 それなのにアンはそのシーザーの想いに気づくことなく、自分の想いばかりを優先していたことを後悔した。シーザーのことをもっと大切に考えていたなら、本当に信じることができていたら、違った結末があったのではないのか……。

 そんなことを考えても今更遅いことはわかっているけれど、後悔の念にし潰されそうになるのをとどめることができず、後から後から大粒の涙があふれてくるのだ。


 自分の命に替えても、シーザーに生きて欲しい。何としてでもこの結末を変えたい――そう心の底から訴えたとき、不思議なことにアンの心に問いかける声が聞こえてきたのだ。


「お前は物語を改変する覚悟があるのか」と。


 その瞬間、アンには全てのことが理解できた。記憶喪失の人間が再び記憶を取り戻すかのように、この世界のことわりが、アンの記憶に怒涛どとうの勢いで流れ込んでくる。

 自分が「物語の登場人物」であるということ。たった一つだけ、危険な賭けではあるが、「ハッピーエンダー」という物語の精霊により「物語改変」の可能性があること――


 そしてアンの目の前に、彼女だけが見ることができる光の扉が現れると、彼女は覚悟を決めてその扉をくぐるのだった。


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 アンが飛び込んだ扉の先にあったのは、どこまでも続く本棚が並ぶ図書館だった。その目の前の広間には長椅子が置いてあり、本を抱えた一人の青年が座っている。

 彼女に気づいた青年は、まるでアンがここにやってくることを待ち望んでいたように、驚きと喜びが入り混じった表情を浮かべて立ち上がった。


「まさか……こんな展開になるとは……。まだ希望は残っていたのか――

 俺はハッピーエンダーのロック。こちらは相棒の本のサロメだ。お前さんの来るのを待っていた。これでシーザーを救える可能性が出てきた……!」


 ロックのその言葉を聞いたアンは、先ほどまでの気落ちした様子から、一瞬にしてわずかな希望に目を輝かせる。


「シーザーを生き返らす可能性があるの⁉ お願い、私はどうなってもいいから、シーザーを救って……!」


「わかっているさ。俺にとっても、もはやあいつは戦友みたいなもんだからな」


「でも、この状態からシーザーを救うのは、そんな簡単な話ではなくてよ」


 安請け合いをするロックに対し、サロメが忠告する。サロメはアンにもわかるように説明を続けた。


 一度確定した物語は改変することができない。もし無理矢理そんなことをすれば、〈物語精霊界〉の大罪を犯すこととなり、ハッピーエンダーや登場人物までもが永遠に続く罰を与えられることになる――ということを。


 「サロメの忠告は百も承知だ。一度確定した物語を改変するわけにはいかない」


 静かにロックたちの話を聞いていたアンは、ぎゅっと握った拳を震わせながら苦しげに尋ねる。


「それじゃあ、もう……シーザーは救えないってことなの?」


「いや、お前さんが来るまで、ただ指をくわえて待っていたわけじゃない。俺なりにシーザーを救う方法をずっと考えていたんだ。限りなく可能性は低いが、たった一つだけ……この状態からシーザーを救う方法がある……!

 ただ、その『物語改変』は、俺の『どんでん返し』の力だけでは不可能なんだ。他のハッピーエンダーの協力が必要だ」


「ロック、言っては悪いけれど、こんな状況から物語改変を行えるハッピーエンダーなんて聞いたことなくてよ。なんの伏線もない状態から、物語を破綻はたんさせることなく、死者を生き返らせることができるなんて……」


「いいや、たった一人だけ、その難題をクリアできるハッピーエンダーがいる。ヤツの能力ならできるはずなんだ。サロメもよく知ってる女性だよ……」


 ロックの返答に、珍しくサロメは怒りをあらわに反対する。


「ま、まさかあの女のことを言っているの……? 彼女が協力するわけなくてよ。ましてや私の姿を本に変えた張本人なのよ……。彼女の助けを借りるなんて、御免だわ……」


「だがそれしか方法はないんだ。この状況からシーザーを救うためには、俺たちも自らの魂を賭けなければならないんだよ……」


 ロックは覚悟の表情でそう呟くのだった。


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 結局ロックたちは、もう一人のハッピーエンダーの力を借りることにするのだった。


 ロックたち三名が〈物語精霊界〉の魔法の扉を通って訪れたその部屋は、窓一つなく、壁や床、天井どころか家具までも真っ黒に塗りつくされた、あまりに殺風景な空間だった。無機質でなんの装飾もない、ただただ仕事をするためだけに存在しているような部屋だ。

 扉の真正面には大きな事務机があり、そこに一人の女性が座り、黒い本を開いて物書き作業をしている。ロックたちの来訪に気づいた彼女は、驚くことなく冷たい声で言い放った。


「大罪人のお前たちが一体この部屋に何の用だ?」


 全身黒ずくめのスーツを着た、黒髪黒眼の氷の彫刻のような女裁定者。ロックの犯した「物語改変」の大罪に対して、身代わりとなったサロメを本に変え罰を与えた張本人である。

 彼女は〈物語精霊界〉の裁定者ではあるが、元々はロックやギガデスと同じハッピーエンダーであったのだ。


「端的に言おう。アイスマン、お前さんの力を借りにきた」


 それまで冷然と構えていた女裁定者のアイスマンは、ロックの依頼を聞くと眉をぴくりと動かして驚いたように聞き返した。


「私の力をだと? 前代未聞だな……」


 女裁定者はあきれた口調で話を続ける。


「私の能力と同じ展開の作品はこの世にごまんとあれど、私が物語改変能力を使う機会はほとんど無いと言っていい。なぜなら私の改変能力が、後付けで使われることは無いからだ。それは作者自身が初めから考えついており、私の能力と同じ展開を自らで作り出すからだ。

 そうでなければ、計算されたプロットで作品を作り上げることなど不可能だ。後付けで私の能力を使おうとするお前の依頼は、ただ物語を破綻はたんさせるだけだ」


「こっちはそれも承知の上で、お前さんにお願いしに来ているんだ。じゃなければ、わざわざお前さんの部屋にやってくることもないさ」


「暴挙と言わざるを得ないな……。

 ――仮にだ、私がお前たちの物語改変に力を貸したとして――

 その結果、物語が破綻し〈物語精霊界〉の規約ルールに反して罪となった場合に、お前はそれをあがなうことができるのか?

 今度はサロメに肩代わりしてもらうことはできないのだぞ」


 裁定者アイスマンの脅すような言葉にもひるむことなく、ロックはきっぱりと言い切った。


「今度は俺が罰を受ける。俺を本にでもなんでもすればいいさ。

 もし今回もここで逃げるようなら、俺はハッピーエンダーとして大切な心を失っちまう気がするのさ。だから今回ばかりは、絶対に引くことはできない」


 サロメも、アンもそのロックの言葉を黙って聞いていた。もちろんサロメはロックが罰を受けることなど望んではいないし、その身を案じていたが、それ以上にロックの気概を叶えてあげたいと思っていたのだ。

 しかし納得のいかない女裁定者は、射抜くような眼差しで、ロックをさらに問いただす。


「覚悟は決まっているようだな……。

 しかしなぜお前はそこまでする? たかが物語の登場人物のために、なぜ危険な賭けに出るのだ?」


「俺にとってシーザーは、『たかが物語の登場人物』じゃないんだよ。あいつは生きていて、一緒に戦ってきた俺の友人だ。それを見殺しにできるわけがない。

 そしてシーザーを助けにきたアンの依頼を、彼女の涙を黙って見過ごすことなどできるわけがない」


 女裁定者は、話の通じぬ愚か者を前に全てをあきらめたかのように、深く溜息を吐いた。


「――いいだろう、私の改変能力のページを一枚くれてやろう。だが私が関与するのはそれだけだ。お前たちが〈物語精霊界〉の規約に反したときには、容赦なく裁きを下す。そのことを決して忘れるな」


 ロックは、なんとかアイスマンの協力を得られたことに思わず胸を撫でおろす。まずは一縷いちるの望みが繋がったことに、それまで黙っていたアン王女も涙ながらに感謝した。


「ありがとうございます!」


 そう深々とお辞儀する。

 たかが一介の物語の登場人物にお礼を言われたことで、女裁定者は少し戸惑っているようだった。彼女は眉根を寄せると咳払いをする。


「感謝されるわれはない。そんな物語改変の一ページだけで、シーザーとやらを救えるわけではないのだからな。

 ロックの狙いは予想が付いている。アンよ、お前にとってはむしろこれからが難局なのだ。簡単に幸せな結末など手に入らないと心するのだな」


「あら、冷徹な裁定者のアイスマンが、たかが物語の登場人物にエールを送るなんて、珍しいことがあるものね。明日は雨が降るのかしら」


 因縁の相手を揶揄やゆするサロメに対し、女裁定者は初めてわずかながらも感情を表し、顔をしかめて反論する。


「私も元はハッピーエンダーだ。物語の主人公たちが不幸せになるよりは、幸せになってもらった方がよいというだけの話だ……それ以上でもそれ以下でもない」


 もしかしたら、この女裁定者のアイスマンもシーザーとアンの物語を見ていて、物語改変を手伝いたいと思ってくれたのかもしれない。だからこそ、想定よりあっさりと協力してくれたのかもしれないと、そうロックは思うのだった。

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