第28話 鉄の処女イゾルデとの戦い(3)

 広場で起こっているブラウンの最期の姿を、大聖堂の尖塔から眺める人影があった。『死亡フラグの死神』こと、ギガデスである。

 彼は尖塔の鐘が吊り下げられた吹き抜けのアーチ部分にたたずみ、足元まですっぽり隠した黒いマントを風にはためかせながら、ブラウンの死を見届けようとしていた。


 その彼の背後に光の扉が開くと、本のサロメを抱えた黒いフロックコート姿のロックが現れる。

 ギガデスは訪れた彼らに勝利宣言を告げた。


「今更来ても、もう『どんでん返し』は起こせませんよ。見てくれましたか、僕の美しい死亡フラグの回収を。

 ブラウンさんの死にはバルザックの『あらかわ』の死亡フラグを参考にさせてもらいました。『あら革』は、『主人公が何でも願いを叶えてくれるあら革を手に入れ、願いを叶えるたびにあら革が小さくなり、ラストは愛する人のために最期の願いを叶えて死を迎えるという展開』ですよ。

 ブラウンさんの火傷痕と『あら革』を重ね合わせさせてもらっています。

 おまけに最後はシラノ・ド・ベルジュラックよろしく『愛する人の腕の中で真実を告白して亡くなる』と段取りしてたんですけど、ブラウンさんはそれだけは取り入れず最後まで嘘を貫いたみたいですね。せっかくの美しい最期が、ちょっとだけ無駄になりました……」


 まるで美しい絵画を描く最後のひと筆が失敗したかような発言だった。物語の登場人物とは言え、人の命を軽んじているその言葉に、ロックは怒りをあらわにする。


「お前は本当に人の気持ちなど考えていないんだな。俺は軽蔑するよ。だが、ここから俺とシーザーで、『どんでん返し』を起こさせてもらう」


「ははは、ここからどうやって逆転するっていうんですか? あなたに勝ち目はないですよ」


 あからさまに馬鹿にした口調で問うギガデスに、ロックは宣言する。


「確かに俺は、お前の『死亡フラグ』の『物語改変』能力に勝てないだろうさ。だが、お前はシーザーという勇者の覚悟を甘く見すぎだ。勝つのはあいつだ!」


◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇


 大聖堂前の広場、女騎士ジャンヌは死にゆくブラウンを抱きしめていた。

 ジャンヌは利き腕と脚を失い、左腕も砕けて満身創痍。アン王女も生きてはいたが、下半身を斬られて倒れたままだ。

 そしてブラウンも『封竜門ドラゴン・ロック』の領主チェスターの予言通り、「光の見えない暗闇の中」での死に近づいていた。彼は自ら目をえぐり、脚を斬られ、心臓も傷つき、呪いによる火傷痕が全身に回り、もはや残っているのは額の一部のみで、いよいよ最期の時を迎えようとしていた。


 勝利した『鉄の処女』イゾルデの暴走を、もはや誰も止めることはできそうもなかった。


 そんな中、衛兵たちの人垣からゆっくりと勇者シーザーが現れ出る。青いマントをひるがえし、腰には「獄炎姫」から手に入れた魔剣「祝福殺し」のみをいている。この惨状を見て取ると、悲痛な面持ちで、ひとり呟く。


「死亡フラグはへし折った。今度は僕が覚悟を見せる番だ……」


 彼は胸元から、ロックより授けられた光り輝く一枚のページを取り出し封印を解く。そしてさらにブラウンたちに向かって大声で伝えた。


「遅れてすまない。だが、誰も死なせやしない、この戦いも勝つ!」


 そう言われ、赤いドレス姿に鉄仮面という異形の姿のイゾルデが、赤い双眸そうぼうを光らせながらわらった。


「随分遅いお出ましだな。だがどうやって勝つつもりだ? 貴様の持つ超目標も脆弱――貴様の弱さは知っている。さらに聖剣から拒絶されていることもな。

 ついでに言うなら貴様は聖剣すら持っていないではないか……いったい聖剣はどこに置いてきた?」


 しかしながらシーザーはその質問には答えず、代わりに願い出る。


「戦う前に少しだけ時間をくれ……」


 そう言うとシーザーは震えるアンに近寄り「すまない」と謝ると、彼女のあらわとなっている顔に仮面を付け直して隠してあげるのだった。彼女は声にならない嗚咽おえつを上げて、シーザーにしがみついた。

 その姿を見て、イゾルデは声高にわらう。


「ははははは、その醜い髑髏顔の小娘に、わざわざ仮面を被せて何の意味がある?」


うるさい、黙っていろ! これ以上、アンを一言でも愚弄ぐろうしてみろ。お前の口から下を叩き斬ってやる! お前だけは、絶対に許さない!」


 シーザーはどんな時でも紳士的な態度をとり、魔王軍相手にも慈悲を掛ける優しい男のはずだったが、アンはここまで口汚く激昂する彼を初めて見た。


 口を開こうとしたイゾルデを制して、シーザーは手を挙げて衛兵たちに合図すると、その人垣から一台の荷馬車が進み出てくる。

 その荷台には一人の幼い少女と、大きな木箱が山積みに乗っていた。アンもジャンヌも少女とは初対面のはずだが、どこかブラウンに似ている気がした。

 シーザーは荷馬車に近寄り飛び乗ると、木箱を蹴飛ばし地面に転がす。するとそこから大量の金貨が吐き出され地面に巻き散らされた。


「ブラウン、見えないだろうが、聞こえてるか? 大量の金貨を用意した。この荷馬車にあるのはほんの一部さ。君の妹さんもここにいる。この金があれば、妹さんを救うことができる。ブラウン、君の望みは叶うんだ!」


「い、いったいどこからこんな金を用意したんだ!?」


 ブラウンの当然の疑問に、シーザーは自信満々に大きな声で答えた。


「聖剣を売ってきた!」


「はあああぁ~!? てめぇは馬鹿か!」

「あんた、何やってんのよ!?」


 あまりのことにブラウンもアンも唖然として思わず驚きの声を上げた。前代未聞の勇者の行動に、離れて見守る衛兵や街人たちからも、ざわざわと騒がしい声が聞こえてくる。


「聖剣は売れば国一つ買える宝剣さ。もちろん急な買取で安売りしてしまったけれども、これで国の大司教や魔術師を幾らでも雇って君の妹さんを治療することができる。国が総出で妹さんを治すために働くんだ。妹さんも必死で『反英雄病』の病気と戦う、だから君も生き残るんだ! 死ぬんじゃない!」


「お兄ちゃん、死なないで……」と妹カーマインのか細いが、想いのこもった声も続く。


「馬鹿野郎、聖剣は魔王退治に必須のものだったはずだ。聖剣なくして、どうやって魔王を倒すつもりだよ!?」


 ブラウンの問いかけに、シーザーは苦渋に満ちた表情で告白する。


「聖剣は僕には絶対に使うことができない。始めから僕にとっては無用の長物なんだよ。

 君たちにはずっと黙っていてすまなかったが、告白しなきゃいけないことがある――

 僕は唯一『呪い』を持たない英雄なんかじゃないんだ……。むしろ逆、『祝福』を持ってない。

 『祝福も呪いも効かない』という『呪い』だけをもつ『反人間カースド』なんだ……!」


 驚きとともに人々から騒がしい声が上がった。中には「騙していたのか!?」「裏切り者!」という怒気荒い声や糾弾も聞こえてくる。

 ジャンヌもブラウンも呆気あっけに取られ茫然としている。

 アンは驚きつつも、なぜか納得するところもあった。確かにアンの持つ癒やしの「祝福」さえ効かないのは、「呪い」にすら思えた。それにシーザーは「呪い」を持つ「反人間カースド」と呼ばれる人々に対し、憐憫ではなく窮愁きゅうしゅうの感情を抱いているように見えたからだ。


 ただ単に優しい勇者というには、あまりに共感し過ぎていた。それはシーザー自身が「反人間カースド」としてさげすまれ差別されてきたからに他ならないのだろう。

 偽勇者にせゆうしゃとして戦う人生、そしてこの告白を考えると、アンは自分の心がぎゅううと締め付けられるのを感じた。

 シーザーはどんな想いで彼のことを差別してきた「人間」を救うために戦ってきたんだろう。「反人間カースド」を差別する人々をどんな気持ちで眺めてきたんだろう。アンは考える。もし自分が「呪い」しか持たなかったら、自分のことを罵る人々のために戦うことができるだろうか……。いや、とてもできないに違いない。それどころか、生きていく勇気さえ無かった。


 黙って聞いていたイゾルデが、ようやく口を開く。


「なるほどな、貴様は『反人間カースド』だったと言うわけか。ならばなぜ『人間』のために戦う必要がある? どうせお前がこれ以上戦っても、誰からも賞賛されず、逆にさげすまれるだけだぞ。

 本当はお前と魔王は知り合いだと聞いている。ならば余計にこちら側へくみした方が幸せではないのか?」


「僕は魔王を止めるために戦っている。それに誰かのためじゃない、自分自身の弱さゆえに戦うんだ」


 アンはシーザーの言葉を覚えていた。「見殺しにした人たちや、救えなかった人たちの姿を思い出すだけで苦しくなる」と。普通の人はそういう苦しみを見なかったことにしたり、逃げ出したり、都合よく忘れようとしたりするものだ。

 けれどシーザーは違った。彼は自分のことを弱い弱いと言うけれど、彼ほど何もかも背負って戦う、強い人をアンは見たことが無かった。


「ならばあかしてみるしかなかろう。ただ貴様のそんな弱々しい超目標で私を超えられるはずも無いがな。

 大体『祝福も呪い』も効かない貴様にとっては、この剣の一撃は身体を切り離される『呪い』ではなく、ただの死そのもの。一撃で殺してやろう!」


 鉄仮面のイゾルデはそう言うと大剣を悠々と構えた。

 確かに彼女の言う通りであり、しかもまともに戦えば剣技においてシーザーが彼女に勝つことは不可能だった。

 それでもシーザーは剣を抜き放つ。彼の手にするのは魔剣『祝福殺し』。

 たった一撃で勝負は決まるだろう。


 シーザーはマントをがすとイゾルデに向かって投げつけた。勇者らしからぬ卑怯なからめ手に見えたが、イゾルデにはそのような小賢しい騙し討ちなど効かない。

 彼女は一閃でマントを切り裂くと、シーザーに向かって飛び込み、一撃で心臓を貫いた。


 勝負は決したのだ。

 しかし、敗北したのはイゾルデだった――


 シーザーは自らの心臓を貫いている、イゾルデの手にする魔剣の柄に手を添えると、彼女の魔剣の力を引き出したのだ。

 するとごぼりとイゾルデの口から血が吹き出す。


 シーザーがマントをイゾルデに投げ捨てたのは牽制フェイントのためではなく、彼女の視線を隠し、自らの心臓を魔剣『祝福殺し』で貫くためだったのだ。

 自身の祝福も呪いも効かない『呪い』を一時的に解除し、さらには自らの心臓を傷つける。その傷ついた心臓をイゾルデの魔剣の力によって入れ替えさせたのである。


 傷付いた心臓を入れ替えられ、胸を激しく押さえゆっくりと倒れていくイゾルデ。シーザーはその倒れた彼女を強く抱きしめると、一言「すまない」と謝るのだった。

 生まれて初めて優しく抱擁されたイゾルデは、鉄仮面の下で満足そうな表情を浮かべて最期を遂げた――

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