第13話 勇者シーザーの依頼(1)

 シーザーが辿たどり着いたのは、永遠に本棚が続くかと思われるほど巨大な図書館だった。本棚には古めかしい革表紙の本もあれば、少なくともシーザーの住む世界では作れないほど精巧な、真新しい本も並んでいる。


 その本棚の並ぶ中央の広間には一つの長椅子があり、一冊の古書を抱える黒いフロックコート姿の青年がたたずんでいた。いや、青年といってよいのだろうか――その鋭い眼光の奥には老いた死刑執行人のような、長い年月多くの絶望を見届けてきた者だけがもつ悲しみをたたえているように見えた。


 シーザーはこの男とは初対面だったが、彼の存在を知っていた。


「はじめまして。あなたが物語を改変する能力を持つ、ハッピーエンダー――その最強の能力を持つロックさんですね?」


 さらに発表済みの作品を無理矢理『物語改変』しようとした大罪人……ということも知っていたが、シーザーはそれを口にはしなかった。


 呼ばれたロックは、衣服が焼け焦げて満身創痍のシーザーを一瞥いちべつするなり、


「帰ってくれ……と言いたいところだが、こっちにも事情ができてね……。お前さんも物語を改変したいと思って扉を開いたのか?」


「そうに決まってるじゃないですか。ハッピーエンダーのあなたなら全てお見通しでしょう?」


 沈んだ面持ちで返すシーザーに、ロックは疑問を差し挟む。


「普通この〈物語精霊界〉の図書館に来るのは、命に替えても物語を改変したいと願う者ばかりだ。ところが、お前さんはそんな『覚悟』のある雰囲気じゃあ無さそうだ。むしろ逆、『僕には困難な選択肢の『覚悟』ができない』って顔に出ちまってるぜ」


 図星を突かれたシーザーは静かに語りだす。


「その通りですよ。

 今の僕は、仲間のうち誰を救い、誰を見殺しにするか選択しなくてはいけない。けれど、そんなのできるわけないじゃないですか。

 僕は勇者と呼ばれているけれど、本当はただの臆病者です。

 僕の師匠は言っていました。『臆病者は本当に死ぬまでに幾度も死ぬが、勇者は一度しか死を経験しない』と。だとしたら、僕はもう何度も死んでいるし、これからもずっと死に続けるでしょう……」


「師匠の台詞が臆面もなく、シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』からの引用か。しかも主人公の名前がシーザーとは出来過ぎだな」


 あきれつつも興味なさげに会話をするロックに対して、痺れを切らしたのか、一つ目が描かれた本がロックたちの会話に割って入ってくる。


「ロック、もう少し真剣に話を聴いてあげたらどうなの。そんなことだから、モテないのよ」


「ちょうど今からモテる男になろうとしてたところなのに……、やる気無くすようなこと言わないでくれよ」


 ロックの手にする本の表紙には、赤い瞳の一つ目とマイナス99の数字が描かれている。勇者シーザーは喋る本のことを不思議に思いつつも、今は黙って二人の話を聞くことにした。

 それに自分がいま二人に見定められていることもシーザーは理解していた。


「ロック、あなたには観えていないのかしら。彼、結構見所あるわ」


「あの勇者のどこが気に入ったんだ?」


「あら、妬いてるの?」


「妬かせようとしてるのはサロメの方だろ」


 そっぽを向いてあからさまに不機嫌そうになるロックを見て、サロメはクスクスと笑った。


「フフフ、私もまだまだ捨てたもんじゃないのかしら。でもあなたも本当は気づいているのではなくて? 彼は自分の命より、他人の命のためにこそ悩むことができる人よ」


 確かにそれはロックにもわかっていた。

 目の前の勇者は、火炎に巻かれて衣服はぼろぼろ、顔は黒く煤にまみれ、おまけに身体は致命傷寸前の刀傷だらけだった。火傷の痕がほとんど無いのは何らかの能力のおかげだろう。しかし英雄に似合わぬその泥臭い姿は、戦いの凄惨さを物語っていた。

 この目の前の男は、自らの身を挺して戦うことができる勇敢な勇者に間違いないはずなのに。なのに、自らを臆病者と名乗るのだ。


 ロックは大きく溜息を吐くと、仕方ないとばかりにシーザーに聞いた。


「お前さんたちの物語を読んでいいか?」


「なぜそんな了承を取ろうとするんです?」


「お前さんには秘密がありそうだからさ。その姿からするに、お前さんはいびつな能力の使い手だ。炎を防ぐ力を持ちながら、服や左手は火に焼かれている。単なる設定ならいいが、炎を防ぐ力の持主が一部の火傷は負うなんて場合は、大抵隠しておきたいトラウマも持っていたりするからな。

 だとしたら、いくら物語の登場人物とはいえ、その秘密を俺が勝手に知ってしまったら悪いかと思ってね」


「随分と紳士的ですね。でもお気遣い無用です。読んでもらっても大丈夫です」


 その言葉を聞くと、シーザーはサロメに依頼する。


「サロメ、彼の物語を出してくれ」


「いつも通り、既に準備はできていてよ」


 ロックがサロメを開くと、そこから数十数百の光るページが風に飛ばされたように渦を巻いて飛び出し、彼らの周りを円形に取り囲んだ。

 まるで風でも操るようにロックが手を振るうと、ページたちはゆっくりくるくるとロックの周りを回り出し、余すところなくロックに物語を伝えるのだった。

 一通りシーザーの物語を読み終えたロックは、呆れた表情で開口一番、言い捨てた。


「いっちゃ悪いが俺の元に依頼に来た『物語の主人公』たちの中で、最もくだらない依頼内容だ。なぜこの内容で、ハッピーエンダーを呼び出せたのか不思議だよ」


「くだらないですって? 確かに僕らは物語の中の登場人物にすぎないかもしれませんが、仲間の命の選択を迫られていることが、くだらないことだと言うんですか?」


 シーザーの声は抑揚を押さえ努めて冷静を装っていたが、握り締めた拳はわなわなと震えていた。シーザーはロックへの不信感が沸々ふつふつと湧き上がり大きくなっていくのを感じていた。

 目の前のこのハッピーエンダーは、強引な『物語改変』を行った大罪人なのだ。所詮しょせん、人の気持ちなどわかる存在じゃないのではないのか――と。

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