"元"邪悪な魔女は平穏に暮らしたい
忘八
邪悪だった魔女の平穏で平和な今 その1
薬師寺 涼子の朝は早い。
朝の5時よりも前。4時40分頃に目覚まし時計が鳴り響くよりも早く起床し、ジャージに着替えたらマラソン道路で早朝ランニング。そうして、往復で約23キロの距離を1時間と25分ほどで駆け抜ければ、ランニングの起点とも言えるスタート地点の直ぐ近くにある団地に囲われた小さな公園へと駆け足で入って腕立て伏せを始めとした筋トレに移行。
黙々と一定のペースで腕立て伏せを静かに真剣に続け、力を蓄え続ける彼女はトレーニングを辞めずに未だ続けている事に内心で自嘲していた。
この世界に帰る事が出来てから1年。
過去を捨てる事に成功して、平和で平穏な生活を過ごしているのに関わらず、私は未だ自分が弱くなる事を
薬師寺 涼子は異なる世界。即ち、異世界へと飛ばされるという普通の常人では考えられぬ些か特殊な体験を
其処で生きる為に悪行も含め、様々な事をして来た彼女は自分が過去の悪行の報いを受ける時が何れ来る。そうも思っていた。
しかし、ソレが理由じゃない。
否、違うわね。
私は私に報いを受けさせようとして来た者達を全て返り討ちにして皆殺しにした。
その時、報いを受けるべき者が圧倒的な力を有して運命の時を捻じ伏せ、叩き潰せるなら『何をしてもいい人間』になるというのを改めて思い知った。
俗に言う漫画とかに出て来る神様になった人間って奴だ。
だから、未だに私は弱くなりたくなくて、今でもトレーニングを積み重ね続けている。
行いの代償とも言える報いを受けるべき者が報いを受ける時、裁きを下さんとする者達や運命を圧倒的な力で捻じ伏せて叩き潰せば、借金を踏み倒す事に成功したかの如くチャラとなる。
それは長い連綿と続く地球の歴史に於いても常に証明され続けて来た、弱い者達は強い者達に食われ続ける弱肉強食という身も蓋も無い話だ。
そして、これこそが薬師寺 涼子が弱くなる事を受け入れられない理由の根幹と言えた。
彼女は全身を汗だくになりながら20分ほどで腕立て伏せと体幹トレーニングを始めとした筋力トレーニングを終わらせると、すぅぅぅと大きく息を吸う。
大きく息を吸って静かに長く息を吐き、再び大きく息を吸う。そんな深呼吸と息を整えた涼子はジッと静かに佇み始める。
静かに佇む涼子は両足の踵を僅かばかり浮かせると、再び深呼吸すると共に両手を合わせる。
それから直ぐに大きく動き始めた。
右脚を大きく踏み出す共に腰を右後ろに捻り、捻った腰を戻す様にして左に捻ったと同時に縦にした右拳を大きく前へと伸ばした涼子は踏み出した右脚と突き出した右拳を戻すと共に腰を左後ろに捻る。
それから直ぐに縦にした左拳で右拳の時と同じ様に歩法も含めて同じ動きをすると、息を整えながら次の動きに移る。
足を的確に動かし、時には膝を曲げてしゃがみながら腕を伸ばしては戻す。そんな全身を用いる拳法の型を時折静かに呼吸を整えながら、寸分違う事無く師から教わった通りに実施していく。
それは太極拳にも似ていた。
だが、涼子の拳法は異世界で東の果てにある山中に住まう老師から学んだモノ。
太極拳とは似ていても、太極拳ではない。
そんな型を滑らかに。流れる様にする涼子は型を10分続けた。
10分後に型を終わらせ、始めた時と同じ様に両手を前に合わせて深呼吸した涼子は駆け足で家路に着いた。
「ただいまー」
玄関でランニングシューズを脱いでいると、母親の声が響く。
「お帰り。さっさとシャワー浴びなさいよー。下着は用意しといたから」
「ありがとうお母さん」
母親に感謝の言葉を述べると、薬師寺 涼子はお風呂場へと赴いて汗だくのジャージ上下と下着を脱いでいく。
裸になって脱いだ物を洗濯機に放り込んでバスルームに入った彼女はバルブを捻り、湯を浴び始めた。
顔や首から下を濡らす汗をシャワーから気持ち良く降り注ぐ湯で洗い流す。
湯が注がれる度に薬師寺 涼子の白い肌に覆われる鍛えられていながらも靭やかな四肢を濡らし、張り出した適度な大きさの張りのある乳房からも流れ落ちていく。そうして、顔も含めた首から下の汗をシャワーで洗い流せば、今度は頭から湯を浴びる。
背中まで伸びる烏の濡羽色とも言える漆黒の髪を入念に濡らすと、リンスインシャンプーを手に取って洗い始めた。
時間を掛けて長い髪を入念かつ丁寧に泡だらけにすれば湯で洗い流し、次にボディータオルにボディーソープを付けて全身を洗う。
少しして全身を泡だらけにすれば、シャワーで洗い流して最後に肌に優しい洗顔フォームで顔を洗い、バスルームを後にした。
バスタオルで長い漆黒の髪を拭いた後に全身の雫を拭い落とした薬師寺 涼子はパンツとブラジャー。それにシャツといった下着を纏うと、ドライヤーで髪を乾かしていく。
数分後。
髪を乾かし終えた彼女は洗濯機に濡れたバスタオルを放り込むと、洗面台の鏡を見ながら愛用の化粧水で肌の保湿ケアをしていく。
それが終われば、涼子はリビングへ赴いた。
「朝御飯出来てるから早く食べなさい」
快活な母親の言葉と共にダイニングテーブルの前に座った薬師寺 涼子は向かいに座り、スマートフォンを手にしながらチーズとハムが載ったトーストを頬張る白のワイシャツを纏った父親に朝の挨拶をする。
「お父さんおはよう」
挨拶すると、父親は顔を上げて娘の方を見て挨拶を返す。
「おはよう涼子。今日も早朝トレーニングか？」
「何か続けてたら楽しくなっちゃってさ。今も続いてる」
そう答えた涼子はフォークを手に取り、胡麻ドレッシングの掛かったサラダを食べ始めた。
「普段三日坊主のお前が1年も続けるとはなぁ……珍しい事もあるもんだ」
「私だって驚いてるわ」
食べる手を一旦止めてそう返した涼子に父親は言う。
「なら、何かスポーツ系の部活にでも入ったらどうだ？ 陸上部とか？ 内申点にも良いだろ？」
押し付けがましく聞こえるかもしれない。
だが、娘の進路に良い方となる道を提示するのが子を持つ親というものだ。
そんな父親に涼子は言う。
「そう言うのあんまり好きじゃないし、2年になった今頃入るのも針の筵感パないじゃん」
「確かにそれを言われたら何も言えないな。まぁ、良いさ。涼子は成績良いから、帰宅部でも問題無い筈だしな」
他愛のない遣り取りをした涼子はサラダを再び食べ、朝食を食べ終えた父親はスマートフォンでニュースを眺めながらコーヒーを飲む。
そんな2人を他所に母親は通学する娘と働く夫の為に昼食の弁当を用意し、2人の前に置いた。
「はい、お昼のお弁当。夕飯はどうするのかしら？」
お昼ごはんの弁当を出すと共に夕飯はどうするのか？ 問えば、2人は答える。
「悪いけど今日は食べてくるよ」
夫である父親が申し訳無さそうに答えると、涼子は要ると答える。
「私は食べるよ。今日バイトだから帰りが遅くなるけど」
「バイト終わった後は寄り道するんじゃないわよ」
母親から言われた涼子は「終わるの8時過ぎだから寄れる所なんて無いよ」 と返せば空になったサラダの皿を母親に渡してから、ハムとチーズが載った2枚のトーストやケチャップをかけたベーコンエッグを食べ始める。
15分ぐらいで朝食を食べ終えた涼子は母親が用意してくれたお昼の弁当を手に2階の自室へ向かうと、通学の支度をする。
黒の靴下を履いた涼子は右腕に彫刻が施された真紅の宝石が嵌め込まれた銀の腕輪を嵌め、首には黒革のチョーカーを嵌める。
腕輪とチョーカーは己の持つ魔力と己の身に施した身体強化を封印する為の謂わば、枷と言えた。
其れ等が無ければ、異世界で幾多から恐れられて来た魔女のままとなる。それ故に涼子は己の持つ力を封印する為、二度と力を使う事が無い事への祈りも込めて封印を施したのである。
腕輪とチョーカー。2つの装飾品に似せた枷で自らの魔力を封印し終えれば、白のワイシャツを纏ってボタンを留め、その後に制服のスカートを履いた涼子は制服のブレザーに袖を通してボタンを留めた。
魔女たる己の封印も含めた着替えが済めば、ポケットにハンカチとポケットティッシュ。それに財布と生徒手帳、スマートフォンと無線式のイヤホンを収めた。
そして、勉強道具一式が収まるリュックサックを背負い、体操服と学校指定のジャージが収まるサブバッグを持って部屋を後にするのであった。
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