エブリデイのブルース

「眷属の皆、佳い夜をお過ごしかな? ……おや、今宵は初見さんも多いようだね。お初にお目にかかる、夜の王VTuberドゥンケルハイトだ。名前が憶えにくい? なに、心配ない。すぐに忘れられなくなる。まあ、それはそれとして、親しみをこめてハイトと呼んでくれてもいいがね。……おい、ドゥン様はやめろ。初見さんが真似するだろう。……おっと、話をしたいのはやまやまなのだがね。今日の持ち時間は三十分だ。この官能的な夜に捧ぐものとして、まず一曲歌わせてもらおうか」

 着崩した燕尾服を身にまとった浅黒い肌の長身の男。後ろに撫でつけたグレーの髪と、銀のフレームの片眼鏡モノクルが気障っぽい。ハイブランドのビターチョコレートのような深みのあるテノールが3カウントに続いて紡ぎ出したのは……意外にもラップだった。


この血が冷めないうちに飲み干して

眩暈するほど気取って

取り留めない出会いに色付けて

この目が醒めないうちに憑り込んで

狭い空ごと突き抜けてfalling...

蜜の味二人ハマってく


 Creepy Nuts 「堕天」。

 気取った喋り方に見合ったというか、その歌唱技術は見事で、しかも自分の見せ方、声の使い方を熟知しているらしく、堂々として自信に満ちていた。

 ハイトは歌い終わってから喝采にひとしきり応えると、改めて自己紹介を始めた。千年の時を生きる夜の血族で、人間の作り出す様々なカルチャーをとても好ましく思っている。血を啜る代わりに「眷属」たちの抱える夜の憂鬱を食すことで魂の杯を満たす。元フレンチシェフで、調理師免許あり。日本料理やジャンクなアメリカンフードにも精通。世田谷区在住で主なは築地らしい。チャンネル登録者数1,580人。

 1,580人。僕はこの数字を、最初見間違いかと思った。これだと、普段の配信の常連は二十人に満たないんじゃないか。何というか、実力に対して過小評価されているように感じる。こういうと偉そうだが。

 そう思いながら今回の企画の参加者のチャンネルを確認してみると、これはさして珍しいことではないのだと分かる。企画「夏の夜の歌枠リレー」。参加者はすべて個人Vで、主催者からの声掛けに応じて集まったメンバーだ。チャンネル登録者数を見ると、アムの3,000人というのは五指に入っている。多くは1,500人前後のVで、逆に5,000人を超えるのは二名だけだ。鏖殺院ナジカ、22,000人。トルマリン・クラチカ、31,000人。クラチカが今回の主催者で、つまり企画は他の個人Vのフックアップを目的としたものなのだろう。

 YouTube外のメディアでも名前や顔を目にするような企業所属Vというのは、登録者数が数十万、場合によっては百万クラスがゴロゴロいる。その外側にこんな世界があったのだと、今までまるで知らなかった。

 僕はアムのチャンネル紹介文の冒頭に掲げられた言葉を思い出す。

「みつけてくれてありがとう」。

 今回の参加者の中でも、これに類する言葉を掲げているVが他に数人いた。

 これは個人Vが共有するひとつのスローガンらしかった。

 この世界では、見つけてもらえることが奇跡なのだ。



 時間は少し遡る。アムの出番は一番手だった。

 アムはいつも通り見に来ていたリスナー全員の名前を呼ぼうとしたが、今回は他のVのリスナーも入っているようで同接が六十人以上になっている。読もうとする端からコメントが流れていき、目を回していたところ、コメント欄から〈全員呼ばなくても大丈夫よw〉〈持ち時間少ないからとりあえず歌ったほうがええんちゃう〉と優しいツッコミが入り、「あ、そうですよねっ。歌、うたうんでした。すみません」と小さくなっていた。

 とはいえ歌は堂々としたものだ。


ふれてイエーいよう! 全ては大成功!

君が笑った 明日は晴れ

エブリデイのブルース 消えていかねえぞ

恋ならでは 超えてゆけ そして…終わらねえ!


 折よく今日は「ジャカジャカの日」だったらしい。GRAPEVINE「ふれていたい」から始まった弾き語りパフォーマンスは、初見全員をぶっ飛ばして虜にしたはずだ。どうだ、うちのアムは。星や月の連なった弾幕を打ちながら、僕は誇らしかった。

 初見がほとんどのコメント欄の中で、緑にハイライトされた名前が幾つかある。アムのメンバーシップユーザーだ。普段意識することもないだが、今日ばかりは人の多さで逆に連帯感が生まれる。

 配信でいつも見ているから、どの名前もよく憶えている。その中でも特に印象深く、キャラクター含めよく憶えている二人がいる。


 まず、「きずおじ」。

 『こづかい万歳』を思わせるタッチのおじさんのイラストがアイコンで、メンバーシップのバッジは継続六ヶ月以上のものが付いている。きずおじは、一言で言うなら最前オタクだ。アムのチャンネルの常連なら、彼のことは必ず憶えているだろう。何しろ彼のアムへの応援の熱量は凄い。その熱は弾幕の厚さで現わされる。僕も初め見たときは大いに面食らった。東方か怒首領蜂の新作でも出たかと思うほどの弾幕なのだ。歌枠での弾幕の半分ほどは彼の手によるもので、空気が読めていないといえば確かにそうなるが、それによって盛り上がりが醸成されている面も否めない。

 それ以外の場面では、アムが油断してお腹を鳴らしたりくしゃみしたりしたときに必ずおり、その微妙にセクハラめいた言動も空気の読めなさを感じさせるものだ。

 そして「青薙あおなぎ」だ。

 青薙は、一見きずおじのように目立った存在ではない。チャット欄でもごく常識的──Vのオタクにしては常識的すぎると思うほど──な発言しかせず、その回数も目立って多いわけじゃない。

 青薙の特殊さは、アムへの献身の深さだ。アムはよく「わたしは活動してるわけではないのでっ、楽しく続けられたらいいかなって」などと言ったりするが、青薙はアムを伸ばすために積極的に行動する。それは具体的には、メンバーシップギフトという形で現れる。

 メンバーシップ、略してメンシは、月額の配信者応援プランだ。月ごとに設定された額を支払い、対価としてメンバーシップ限定動画やコメント用スタンプを利用できる。面白いのは、このメンバーシップはユーザーから他のユーザーに向けてプレゼントすることができるという点だ。青薙は、このメンバーシップギフトを配る。とにかく配る。新規の見込みやすい歌枠では、ある程度同接が増えると必ずと言っていいほど配る。といっても一人、二人といった小口ではあるので、異様というほどのものじゃない。いや、異様というほどのものじゃ。今日までは。

 今日の歌枠リレーで青薙は、二十人分のメンバーシップギフトを配った。こいつはホンモノだ。


 ……とは言ったが、僕のメンバーシップも青薙から配られたものなので、頭が上がらない。「メンバーシップギフトを受け取れるかもしれません」との表示に特に何も考えずタップしてから、これ、お金払ってもらってるってことだよな、と思い金額を調べた。調べてどうなるわけでもないが、だからと言って知らずにいられるほど厚顔無恥でもなかった。

 結果は拍子抜けだ。

 アムはメンバーシップの月額料を九十円に設定していた。参ったな。本当に「楽しく続けられたらいい」だけなのか。にしても、もうちょっと欲張ってもいいんじゃないか。一応、四九〇円、一,一九〇円というプランも作ってあるが、特典内容は変わらない。気持ちだけ、というやつだ。

 そういえばこれについては後日安心した部分もあって、アムはFANBOXという外部のクリエイター向けサイトに別のメンバーシップを用意していた。こちらは五百円から始まり一万円までと幅広いプランがある。

 メンバーシップギフトが切れる来月からは、自分で月額を支払って継続することになる。そこに五百円足す。どうせ大した額じゃない。


 と、それで気持ちよく払えるのなら話が早いのだけど、実はここで少し葛藤があった。何しろ僕は、こうして配信者を金銭支援するということ自体が初めてだったのだ。せっかくだから、このことについて少し考えてみる。

 そもそものところ、僕はサブスクというものすら一切利用しない。単純に懐に余裕が少ないのもあるが、追いきれない勢いで増えていくコンテンツに追い立てられる感覚が好きじゃなかった。メンバーシップもこれに似ている。定額のお金を毎月払うことで、アムとの関係の形が自分の中で変化してしまうのではないかという危惧があった。

 世代的にギリギリCDが大手を振っていた時代を経験しているせいか、僕には物理メディアを買い揃えることが生理的に自然だという感覚がある。

 それは、ある種の成果主義の感覚に繋がる。つまり、対価は具体的な成果物に対して払われるべき、という考え方だ。僕があるCDアルバムを購入するとき、僕はその完成品に対して金銭を支払っているのであって、制作過程に対して支払っているのではない。

 これに対してVの活動というのは、基本的に過程を見せるものだと思う。日々の活動に対して対価を支払うことが、メンバーシップや各種応援プランの意味だ。大げさな言い方に聞こえるかもしれないけど、アムの弾き語りの芸術的価値を僕はきわめて大きく評価している。でもそれは完成されたパッケージではないのだ。僕はやはり心のどこかで、「アムの作品」がいつか生まれることを望んでいる。

 ならば、僕がアムを支援する金額は、「アムの作品」が生まれるまでの物語に対して払っているお金だと考えるのはどうだろう。そう考えたとき「具体的な成果物に対して対価を払う」という僕の感覚は、実は冷徹なものなのかもしれない、と思った。

 アムの物語への対価。ふだんアムがどれだけ僕を楽しませてくれているかということを考えれば、安いくらいだった。



「あの……短い時間でしたが、今日はありがとうございましたっ。初見さんも、常連さんもっ。いつもより人が多くて、緊張してしまったんですけど、楽しんでもらえてたら嬉しいですっ。あと……えっと、告知なんですけどっ、実はわたし、来週、八月の二十日で一周年なんですっ。記念配信あるので、来ていただけたら嬉しいです。あと、何だっけ? そだ、えと、次の枠っ。とってもかっこいい料理人VTuberドゥンケルハイトさんの枠になりますっ。歌枠リレー楽しんでくださいっ。今日はありがとうございましたっ」

〈料理人VTuberってわけではないやろ〉

〈ドゥン様見てるー?〉

 その日は僕は一日休みで、新しい小説のプロットを仕上げるつもりだった。アムから刺激を受けて、なんて言ったらわざとらしいけど、アイディアが浮かんできたのだ。本執筆に取り掛かるときは何も聴いたりせず集中したいが、プロットはながら作業のほうが捗ったりする。せっかくだから歌枠リレーをかけっぱなしにしておくことにした。

 次のドゥンケルハイトの枠で何となくコメント欄を見ていたら、きずおじが器用に弾幕を打って熱い応援を繰り広げていた。青薙はアムの枠だけ見て離脱したようで、それ以降コメント欄で名前を見ることはなかった。




歌詞引用

Creepy Nuts「堕天」(2022)

GRAPEVINE「ふれていたい」(2000)

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