第6話 すれ違い②
それを聞き、ソフィアは小さく噴き出す。夫が不服そうに唇を真一文字に結ぶのが見えたが、その唇もすぐに緩み、口角があがった。
「でもまあ、メーナには感謝している。この一件がなければ、俺は君の気持ちをずっと誤解し続けていただろうから」
オーバルは抱きしめていた腕を解くと膝をつき、ソフィアの手を取った。
紫色の真剣な眼差しが向けられる。
「ソフィア、こんな俺のもとに嫁いできてくれて、本当にありがとう。そして――」
ソフィアの手の甲に温かな唇が触れ、名残惜しそうにゆっくりと離れていく。
手を見つめていた彼の瞳が、ソフィアの視線を、心をとらえる。
「俺も愛している、ソフィア」
それを聞いた瞬間、ソフィアの視界がぼやけた。
鼻の奥だってツンっと痛い。
泣いているのだとすぐに気づいた。なのに心は温かくて、ずっと心の奥底に沈んでいた重い塊が消えていくようで――
「ソフィア?」
オーバルが立ち上がり、心配そうにソフィアの顔を覗き込む。大丈夫だと首を横に振ると、心に突き動かされるようにソフィアの口が動いた。
「ずっと、ずっと今のままで大丈夫だと思っていました。あなたに愛されなくてもいい、たとえ片思いであっても、傍にいられるだけで幸せなのだと。でも、違った。お互いを心の底から想い合える関係が、こんなに嬉しいなんて……思いもしなくて……」
ソフィアの言葉が途切れた。
オーバルが抱きしめたからだ。
抱きしめられて息が詰まりそうになる。だがそれは、強く抱きしめられた息苦しさではなく、心から溢れそうになる想いを言葉に出来ない苦しさだ。
幸せ過ぎて――
「催眠術にかかったフリをしてあなたを欺こうとしたこと、本当に申し訳ありませんでした」
夫の広い背中に腕を回して抱きしめ返すと、ソフィアは改めて謝罪した。しかし耳元で聞こえてた返答は予想外なものだった。
「それは……許せないな」
返答する低い声に、ソフィアの心が一瞬にして冷たくなった。慌てて顔を上げると、視界に映ったオーバルの表情はどこか冷たい。
ソフィアの手から体温が失われていく。
(せっかく想いが通じ合ったのに、オーバル様を騙したせいで幻滅された、の?)
激しい後悔と恐怖で身が竦む。
ソフィアは自分の胸の前で両手を組むと、頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでした! ど、どうすれば、許していただけるでしょうか? どうか、私に挽回の機会をお与えください!」
「なら一つ、手伝って貰おうか」
「お手伝いですか⁉ 私にできることなら何なりと!」
ソフィアはパッと顔を明るくした。が、ついさっきまで冷たい表情だった夫の口角が意地悪く上がったのを見て、嫌な予感がした。
オーバルの顔が、ずいっと近づく。
「残っている俺の願望を叶える手伝いだ」
突然抱き上げられ、ソフィアは短い悲鳴をあげた。その強引さは、靴がないからとソフィアの了承を得ずに突然抱き上げた時を思い出させた。
オーバルも同じことを思い出したのだろうか。含み笑いをしながら、ソフィアの体を持ち上げ直す。
「初めて抱き上げた時よりも、重くなったな」
「な、何をおっしゃっているんですか!」
密かに気にしていた体重のことを触れられ、ソフィアの顔が真っ赤になった。
「それはあなたが食事の量を増やすから……私、これでも体は丈夫な方なのですよ? だから無理矢理太らせる必要は……」
「人間、些細な病気で死ぬこともあるからな。それに……この細さじゃまだ心配だが」
「心配って、なにを――」
言葉の続きは、重なった唇によって奪われてしまう。
それだけではない。
唇の隙間から入ってきたものに、声なき悲鳴をあげるソフィア。
それは夫婦の軽いスキンシップなキスではなく、もっともっと深く、重く、互いの存在を確かめ合うような――
唇が重なったまま、ソフィアの体がベッドに下ろされた。オーバルの体に押されるような形でベッドの上に横たわると、ようやく彼の唇が離れた。
だが、相手の顔はすぐ傍にある。息がかかりそうな距離で、薄く目を開いたソフィアを見下ろしている。
今までみたことのない、意地悪そうな笑みを浮かべながら。
(も、もしかして……オーバル様のおっしゃる【残っている願望】って……)
自分の思いつきに、ブワッと顔に熱があがった。
「あ、あのっ、今は、そのっ、子どもが出来やすい時期ではないのですが……」
上擦った声で尋ねた言葉は、半分は心の準備ができていないために出た抵抗、もう半分は、心の底から求める行動なのかという確認。
だがそんなソフィアの気持ちを嘲笑うかのように、オーバルの節くれだった指がソフィアの首筋をなぞりながら逆に問う。
「そんなこと、今関係あるのか?」
ソフィアから答えを聞き出す前に、深く口付けられた。
体に触れられるたびに、頭の芯が熱くなり、思考が奪われていく。
自分であって自分でないような声を唇から洩らす中、
「また俺を愛してくれてありがとう」
と囁くオーバルの声を微かに聞いた気がしたが、疑問に思う間も無く、底の見えない幸せと甘い快楽に深く沈められて何も考えられなくなった。
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