第5話 気付き①

 その後、ソフィアは通常通り過ごした。

 オーバルが手を打って命令モードを解除した後、


「え、ええ、オーバル様? どうしてここに? 確か私、メーナと一緒にお茶をしていたはずなんですが」

「メーナは帰ったよ。俺は仕事が思ったよりも早く終わったから戻ってきたんだ」

「え? で、でもメーナが帰った記憶も、オーバル様がお戻りになられた記憶も、私にはないのですが……」

「メーナから、茶会の時に君がウトウトしていたと聞いた。きっと疲れが溜まっていたんだろう」


 という無理やり過ぎる茶番があったが、双方とも深くは掘り下げなかった。


 その後、侍女が呼んでいることをオーバルから知らされたソフィアは彼と別れ、侯爵夫人としていつもの通り仕事をこなした。


(もう少ししたら、催眠術が解ける十刻になるわ)


 寝る準備をするために自室に戻り、部屋に引きこもる前に見た大広間の時計を思いだし、思う。

 もう少しすれば、催眠術にかかったふりから晴れて解放される。


 嬉しさと安堵が心に満ちる反面、何故か心に引っかかるものを感じ、ため息をついた。胸元の服をギュッと掴み、椅子に座りながら視線を落とす。


(私……オーバル様の命令が終わってしまうのを、残念に思っている)


 ずっと片想いをしていた人物から、初めてソフィア自身を求められたのだ。

 嬉しくないわけがない。


 ただ想定外のことすぎて困惑と羞恥が上回ったこと、催眠術にかかったフリを保つのに必死だったため、余裕がなかっただけだ。


 もう少しで催眠術が解けること、一人で部屋にいる安心感から、心の底にあった本心がようやく表に出て来たのだろう。


 夫が初めて見せる照れ顔、甘い囁き、この体を抱きしめる温もり。

 思い出すとまた顔に熱があがってきたので、頬を両手で包み熱をとる。誰にも相談できないもどかしさが、ソフィアの両足をブラブラさせた。


(夜のことだって、別に我慢されなくて大丈夫なのに……)


 ソフィアの体は細いが、別に脆いわけではない。実家は使用人が少なかったため、細かいことから力仕事まで、自分たちでできることはしてきたのだ。

 それに大病どころかほとんど風邪すら引いたことのない健康体なので、食事量を増やして無理に太らせる必要もない。


 遠慮しなくても問題無い。むしろ――とそこまで考えると、ブンブンと首を横に振って、いかがわしい想像をかき消した。

 すぐ変な方向に思考がいってしまう自分に落胆しながら、膝を抱えてベッドに転がった。


(私から【好き】と伝えたら……)

 

 ずっとずっと心に秘めていた気持ちを、

 オーバルの負担になりたくなくて墓の下まで持っていこうと思っていた本心を、


 もし伝えたら、彼はどんな反応を見せるだろうか。


 夫が何を思って、ソフィアにあんな命令をしたのかは分からない。


(でも万が一……万が一私に好意があって、命令されたのなら……私の気持ちを伝えることで、何かが)


 ――変わるかもしれない。


(変わる?)


 自然と頭の中に思い浮かんだ言葉に、ソフィアは疑問を抱いた。


 今のままで良いと思っていた。

 夫からの愛がなくても、十分恵まれているのだと、現状に満足しなければバチが当たるのだと、言い聞かせ続けてきた。


 だが本当は、


(私……変わって欲しいの?)


 自身に問うた時、ノック音が響いた。


 *


「オーバル様、お待たせいたしました」

「悪い。もう休んでいる時間に呼び出して」

「いいえ」


 侍女を通じてオーバルから呼び出しされたソフィアは首を横に振ると、彼の自室に足を踏み入れた。


 指先まで血が巡っているのが感じ取れるほど、心臓が強く脈打っているのが分かる。


(昨日まではオーバル様と会っても、ここまでドキドキすることはなかったのに……)


 昼間に起こった出来事のせいだ。

 ずっとオーバルへの気持ちを隠しながら、侯爵夫人として役目を果たしてきたというのに、今後彼を前にして理性を保ち続けられるか心配だ。

 

 深い呼吸を繰り返しながら気持ちを落ち着けながら、自分に背を向ける夫に訊ねる。


「それで、どうかなさいましたか?」

「少し話があってな」


 彼がこんな時間にソフィアを呼び出すなど、非常に珍しい。

 何か緊急事態かと怪訝に思ったが、振り向いたオーバルの首にかかったメーナの懐中時計を見た瞬間、パンッと手を打つ音が鼓膜を震わせた。


 続くオーバルの声。


「ソフィア、ソファーに座れ」


 手を打つ音と命令。

 催眠術の時間だ。


(う、うそっ……反省なさっている様子だったから、もう大丈夫だと思っていたのに!)


 油断した自分の失態を悔やんでも、後の祭りだ。


 ソファーは二人掛けだがそこそこ広い。真ん中にはテーブルがあり、くつろげるスペースになっている。心の中で頭を抱えながら、ソフィアは言われるがままソファーの一番端に腰をかけた。


 続いてオーバルも隣に座ったのだが、彼はソフィアの方に体勢を崩すと横になった。膝の上から、重さと温もりが伝わってくる。


(こ、これは、膝枕では!?)


 誰がどう見ても膝枕だろ、という理性からのツッコミを無視しながら驚愕の声を心の中であげるソフィア。


 そんなソフィアの内心などつゆ知らず、オーバルの唇から満足そうな深い息が吐き出された。

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