理性の天秤
ラテオ
第1話焦土作戦
大陸中央に位置するエルディア帝国。この国は肥沃な土地が多く点在し豊かである反面、遊牧民や周辺諸国による侵略が絶えず、兵力不足に陥っていた。その帝国北方にて国境警備にあたる大隊があった。
「いつ見ても変わり映えしない。我々がここを警備することに意味があるのか疑問になってきますよ」
城壁の上で男は辟易した様子で言う。それもそのはず、ここは大陸北方に位置する友好国との国境沿いであり、争いとは無縁の場所であったからだ。
「そう言うな。友好国と言えども、我が国の国土を狙う隣国であることに変わりはないさ」
友好国と言えば聞こえはいいが、所詮は一時的な利害関係の上に成り立っているに過ぎない。
「しかし、セリシア様は退屈しないのですか?ここに配属されて以来、軍人には似つかわしくない平穏を享受していますが」
「確かに軍人には似つかわしくない平穏だが、我々がここで目を光らせていなければ隣国の侵略を許してしまうことになる。我々は抑止力として必要だ。私は軍人だが平穏が心地いいと感じるぞ。アリウス貴様が退屈しているというのならば、最前線への転属を斡旋してやろう」
「勘弁してくださいよ、最前線での死傷率はセリシア様もご存知でしょう」
「頑丈な貴様なら大丈夫だろう?それに退屈はしないと思うぞ、何せ毎日勇猛な遊牧民と争えるのだからな」
束の間の平穏を享受する二人は帝国軍の大隊長とその副官である。しかしこの平穏はすぐに崩れ去ることとなる。
そんな二人の前に息を荒げた伝令が現れる。
「密偵による報告です!!! 隣国のベレン王国に動きがあり、都市ノーザンより軍団がこちらに進軍を開始した模様です」
「承知した、ご苦労。軍議を開くぞ。アリウス、兵士達を招集しろ」
先程までののんびりとした空気が消え、彼女は軍人としての冷静さを取り戻す。
彼女は会議室に向かいながら思考を巡らせるのであった。
王国軍の規模は複数の大隊を編成した軍団、兵力差は歴然であり、この砦では半日と持たず陥落する。つまり撤退は決定事項。後方には強固な要塞が存在し友軍が駐留しているため、籠城戦は成立するだろう。
兵士達が集められると、彼女は方針を示す。
「後方の要塞まで進路沿いに存在する街を経由し撤退する。伝令、直ちに中央への戦況報告と援軍要請に走れ。残りの伝令は近辺の農村へ行き避難勧告を行いつつ、火を放ってこい」
「お言葉ですが、自国の農村を焼くなど鬼畜の所業としか思えません」
部下の男が口を挟む。彼は農村出身であり自らの家や作物を燃やされるという意味を痛いほど理解しており口に出してしまった。
「ここで農村を焼かなければ、敵軍は略奪に勤しみ、士気は向上し彼らを増長させ被害が増すのだぞ。軍人としての義務を優先しろ」
彼女の目には決意が宿り、言葉には揺るぎない意志が感じられた。
「・・・承知しました」
彼を頷かせることに成功したが、この部隊には少なからず農民出身の兵士がいる、彼らは彼女への不信感を露わにした。この世には理屈で割り切ることができない者も存在する。
「撤退準備が完了次第、この砦に火を放ち、井戸に毒を投げ込んでおけ」
井戸を無力化すれば、この砦での王国軍による籠城戦は成り立たなくなる。
「異論はないな?では行動開始だ」
兵士達は慌しく動き始めていった。
彼らは撤退準備を済ませ、火の粉が上がった砦を後にする。後方からは建物が崩れ去る轟音と共に熱波が吹き抜ける。彼らは焦燥感を感じつつも街へ進軍を開始した。
街の入り口で佇んでいた少年が声を上げる。隊列を成した兵士達が慌しくやって来るではないか。
「なんで兵隊さんがこんなところに?」
先頭には銀髪の若い女性兵士が存在していた。その女性がこちらへ近づいて来て、声をかけてくる。
「やあ少年。この街の代表者に用があるのだけれど、どの辺りに住んでいるか知っているかな?」
「この先にある立派な建物にいると思うよ。なんで兵士さんがこんな所に?」
少年は至極当然の疑問を口にする。この街は治安も良く外敵の被害も少ない平和な街であるため、隊列を組む兵士達など初めて目にしたからである。
「街の外に危ないモノが出てね、だから君は早くお家へ帰りなさいな」
彼は少し怖くなり家へと一目散に向かっていった。彼が家に着き母親にこのことを話すと、彼女は何かを察したのか、血相を変え、震えた声で語りかける。
「貴方は一旦ここでじっとしていなさい」
少年は母親の緊迫具合を感じ取り、大人しくする。母親は慌ただしく何かの準備を始めていた。しばらくすると外から喧騒が聞こえ始め、その中には先程話していた女性兵士と村長の声が含まれていた。
彼女は村長と面会し、状況を説明していた。
「隣国の王国が軍団を率いてこちらに侵攻をして来ており、後方に位置する要塞への撤退が必要です。申し訳ありませんが、敵軍がこの街を利用する可能性が高いため、街に火を付ける必要があります」
彼女は平然とした様子で語る。
「ここに火を付けられては私達がが帰る故郷がなくなってしまいます。どうかそれだけはご容赦願えませんかな」
村長が悲痛な眼差しで彼女を見るが、冷酷な返答が待っていた。
「許容できません。帝国の兵士達のことをお考えください。ここを燃やさなければ敵軍がそれだけ深く帝国に侵入することになり犠牲が増えるのです」
彼は初めから交渉の余地などなかったのだと諦念を抱く。
「ぞうぞ、街を焼き払ってくだされ」
「ご理解いただき、感謝する」
彼女は彼を説得すると、部下に命令する。
「私は広場にて指揮を取る。工作班は放火の準備をしろ」
彼女は街の広場へ赴き指揮を取る。すると彼女に罵声が浴びせられた。
「なぜ我々の街を守らない?国を守ることがお前の仕事だろ!!!」
一人が言い出すと瞬く間にそれに続く者たちが現れる。
「村長から聞いたぞ、俺たちが避難した後この街を燃やすんだって?お前に良心はないのか?」
彼女は憎悪を向けられるが、容認する。怨まれて当然であるからだ。国土防衛のためとはいえ、本来守るべきである民の生活を目的のために蔑ろにするなど彼女の良心が黙っていない。其れ故、彼女の天秤は揺れ動いていた。たとえそれが合理的選択にしか傾かない天秤だとしても。彼女は感情を理性で律することができるが、罪悪感まで取り除くことは不可能であった。
広場での喧騒は収まり、街中に残るはセリシアと火付を担当する兵士のみとなる。
「速やかに着火させ、撤退するぞ」
彼女が命令すると部下が近辺の建物へ松明を投げ込む。炎は瞬時に燃え広がり、飛び火していくのだった。
「母さん、街が燃えているよ…兵隊さんは僕たちを守ってくれるんじゃなかったの?」
先程の少年は燃え盛る生まれ故郷を見てぽつりと溢す。
「仕方ないことよ。今は我慢なさい」
すると、近くにいた男性が憤怒を露わに叫んだ。
「仕方がない?あの鬼畜女は俺達の故郷を燃やしやがったんだぞ、俺は絶対許さねえ!!!」
「あの兵隊さんがこの街を燃やしたの?」
少年はそのことを知り驚愕した。自分達をこんな目に合わせているのは先程の女性兵士だったのだ。彼が思い描く兵士像が崩れ去り、彼女に対する負の感情が芽生え始めていく。
「彼女は兵士としての義務を全うしているだけよ、分かってあげなさい」
彼の母親は従軍経験があり、軍人の立場を理解していた。それ故に我が子を諭すが、彼の耳に届くことはなかった。
セリシアが焦土と化しつつある街から現れる。燃え広がった炎に照らされた彼女は邪悪そのものであった。
彼女が部隊へ戻ろうととすると、何かがぶつかったような音がした。
「ぅ」
彼女は頭に違和感を覚え、手を伸ばすと血が流れ出ていた。おそらく誰かに石を投げつけられたのだろう。己はそれだけの行いをしたのだ。その上、彼らを咎めたところで利などないため、それを甘んじて受け入れる。先導者によってタガが外れた住民達がこぞって彼女に石を投げ始める。人間とは感情的な生き物なのだ。彼女が石を投げる住民の方をふと見ると、先程の少年と目が合ってしまい、憎悪のこもった瞳で石を投げてくる。それを見て彼女は自嘲気味に笑う。
それを遠くから眺めていた彼女の副官が声を荒げる。
「今すぐ止めさせろ!!!」
なぜ彼女が現状を受け入れているのか見当はつく。彼女は合理主義であり、国益にならぬことはしない。つまり石を投げさせ住民達のガス抜きを行っているのだろう。理由は理解できる。だが彼女は軍人の責任を果たしただけであり、石を投げられる道理などない。何より彼女が先程見せた、自嘲気味な笑顔が頭から離れず、彼はやるせない気持ちになっていた。
彼女が副官の命令で近づいて来る兵士を手で制止させると、そのまま彼の方へ歩を進めた。
「アリウス、要塞までの指揮は頼んだぞ。私は暫し民衆の目に付かない位置に移動するさ」
彼女からは覇気が失われ、どこか儚い様子であった。
「承知しました。差し出がましいかもしれませんが、もう少しご自愛ください」
「気持ちだけ受け取っておく」
彼らは避難民を連れ要塞へと動き出していくのであった。
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