硝子

遂に顔合わせの儀が行われる日を迎えた。

玲奈に会うという不安からあまり眠れなかった。信様が私に必ず戻ってくると約束し口付けまでしてくれたのにやはり最後まで不安は拭いきれなかった。

和正の時のように玲奈の可愛さに惑わされて帰って来なかったらと怖くて眠れなかった。

大丈夫なのは分かっている。彼を心の底から信じている。

無事に私の元へ帰ってくると約束してくれたから大丈夫だと何度も何度も自分自身に言い聞かせた。

今日は玲奈に会いに行く。私は朝早く起きてつららちゃん達と一緒に出かける準備をする。

素敵な衣服に着替えた彼の綺麗な銀髪を私は櫛で梳かす。朝日に照らされる銀髪がいつも以上に輝いて見える。もしかしたら彼の髪を触れられるのがこれで最後かもしれないと思うと尚更綺麗に整えてあげなくてはと思ってしまう。


「陽子?」

「あ…あの…なんでもありません。ただ、信様の髪がとても素敵だったので遂に見惚れてしまって」

「きっと陽子が梳かしてくれたからだよ。とても心地よかった」

「ありがとうございます。そう言っていただけるととても嬉しいですわ」

「また頼んでいいかな?」


信様は優しい笑顔で頼んでくる。断る理由なんてない。


「っ、はい。是非やらせてください」

「ありがとう。俺も陽子の髪を梳かさせてほしい。陽子の髪は夜空の様に素敵だから」


玲奈に奪われる前の和正も同じようなことを言って私の髪を撫でていた。あの時間はとても幸せだった。今でも忘れられない。

今はその時間を和正とではなく、傷付いた私を助け心の底から愛してくれている神様と過ごしている。

神様の花嫁…、正確にはまだ婚約者になるなんて夢にも思わなかった。

ずっと彼が白鷺の姿で私を見守っていたから今の私がいるのだ。その幸せが壊されてしまわないか怖くて仕方がなかった。

神聖な存在である龍神様の髪に触れていい資格が私にあるのだろうか。無力な私が彼の傍にいていいのだろうか。


「俺は陽子が傍に居てくれなきゃやだよ」

「え…?」


まるで私の心が見えている様な言葉。私は思わず櫛を動かしていた手を止めてしまう。


「陽子以外の女を花嫁に迎えるつまりはさらさらない。君以外の女を愛すこともない。それに約束したじゃないか。必ず陽子の元に帰ってくるって。だから安心してほしい」


信様のその力強い言葉に私はもう何も言えなかった。言葉を失ったのは失望したからではない、寧ろ彼を信じる気持ちが強まったからだ。

私は彼の言葉に応える様に整えられた銀髪を黒い上品な紐で結んだ。

そして、最後に紺色の上着を着せ、全ての準備を終える。遂に玲奈の元向かう準備が整ってしまった。

私は緊張した面持ちで彼と共に外へ向かう。


「あ!!ご主人様やっと来た!!」


目の前には見かけない白髪の可愛らしい女の子が信様が来たと隣にいた男の子に話しかけていた。見覚えのない筈のその子の声に聞き覚えがあった。


「え!もしかしてつららちゃんなの?!」

「そうですよぉ!人間に化けた姿です!!」

(すごく可愛い。それじゃあ…隣にいる男の子は…)

「すまない紅葉。少し待たせてしまった」


予想通りあの紅葉くんだった。狸の時の可愛さとはまた違う、人間らしい可愛らしさを醸し出していた。


(つららちゃんも紅葉くんも可愛い…)

「いえ、こちらも久しぶりにこの姿になったので少し手こずりました」

「ほーんと久しぶりだったよね〜。あーあ、この姿、陽子様の結婚式の時に披露したかったのに〜」

「我儘言うな。飽く迄で偽巫女に威厳を見せる事と、ご主人様を守る為に人間に化けたことを忘れるなよ」

「分かってるけどぉ〜気が進まないよぉ〜」


いつものつららちゃんと紅葉くんらしさが人間の姿になっても出ている。私は二人の可愛らしいやりとりを見て思わず笑ってしまう。少し気が紛れた。

すると、信様が私の両手をそっと握ってきた。とても暖かく安心してしまう感触。私はそっと彼の顔を見つめた。


「信様…」

「帰ってきたら陽子を悲しませてしまった詫びをさせてくれないか?」

「詫び…ですか?そんなのいいですわ。私は貴方が帰ってきてくれるだけで十分ですから」

「いや、是非させてくれ。もう悲しませないと約束したのに、俺はそれも守ることができなかった。だから…」


信様が懐から何かを取り出し、私の手にそっと置いた。それは、桜色の角が取れ綺麗な宝石な様な小さなすり硝子。形がとても桜の花弁に似ていてとても素敵だった。


「海の宝石というお守りだ。ちゃんとまじないもかけておいた。どんなに離れていても必ず会える様に、そして、すぐに陽子の危機に駆けつけられるように」

「ありがとうございます…!!すごく素敵です…!!」


とても素敵な桜色の硝子を大事そうに握る。

私は海というものを見たことがなかった。こんな素敵なモノがあるなんてどんな所だろうか。本や話でしか知らない海と言うものにに私は思いを寄せる。

信様は私の頰にそっと触れる。


「陽子に見せたいものが沢山あるんだ。帰ってきたら行こう。二人だけで」

「約束ですよ?」

「ああ。約束する。家の事頼んだよ」


信様は名残惜しそうに私の頰から手を離し、優しく私の右手に触れ、手の甲にそっと口付けをした。私はその行為にカッと顔を赤らめ熱くなった。


「は、はい…!!」

「それじゃ、行ってくる」


私と一緒に屋敷に残る妖の子達も「お任せください!!」「陽子様と屋敷は必ず守り抜きます!!」と言った。

恥ずかしさで内心慌てている私はしどろもどろになりながら信様を見送る。

つららちゃんは顔を隠しながらきゃーっと小さく黄色い声を出し、紅葉くんは「陽子様を困らせないでください」と信様をぼやいていた。


「い、いってらっしゃいませ…!!」

「いってきます。陽子様」

「いってきまーーす!!」

「あ、えっと、い、いってらっしゃい!!」


顔の赤らみと熱さが消えないまま三人の背中を見守る。

突然、吹いた強い風が吹いた。


「きゃ」


その風は信様が起こしたモノだろう。風が吹いたと同時に三人は消えてしまった。遂に玲奈の元に向かって行ったのだ。

私はさっきもらったおまじないがかかった硝子の桜をぎゅっと握りしめながら澄んだ空を見上げる。

私は天に向かって願う。


(どうか…信様が和正の様に玲奈に惑わされず、無事に私の元に…屋敷の皆の元に帰ってきますように…)


そしてもう一つ願いを天に呟いた。


(この幸せがいつまでも続きますように…)


手の中の硝子の桜が太陽に照らされてキラキラと美しく輝いている。天に願いが届いた証なのだと願いながら私は屋敷の中に戻ってゆくのだった。

















愛する妻に見送られた信は玲奈が住む村に降り立つ。信はつららと紅葉にあるモノを見せる為だ。

其処は目的地の玲奈がある屋敷から離れた場所にある墓場。

村の様子は陽子が居た頃よりも酷いものになっていることを象徴した場所となっていた。その光景を見た紅葉とつららは思わず絶句する。


「ご主人様…これは…」

「本来、癒しの異能の施しを受けるべき者が死んでいった証と言っておこう。あの女共、位の高い者、金がある者にしか施していないと言った方が正しいか…」


紅葉達が村に降り立ち最初に見たのは墓の数だ。

陽子がまだ龍神の巫女だった頃は数個しかなかったものが、玲奈が巫女になり施しを受ける条件が追加されてから途端に増えていった。その中に玲奈達に逆らい処刑された者の墓もあるのだろう。


「こんなの酷い…酷すぎるわ…!!」

「流石、蛇神・瑪瑙を殺した女の末裔。自分達の欲のためなら、下民は犠牲にしていいと考えている」

「ご主人様。まさか、この現実を俺とつららに見せる為に此処に降り立ったのですか?」

「御名答。二人に俺が白鷺の姿で見た事実を知ってもらいたかった。偽の巫女に惑わされない様に」


紅葉は「なるほど」と納得したように呟く。つららは見たことのない玲奈に対して怒りを露わにした。


「こんな事を平気でする奴らだ。俺の大事な陽子から全てを奪った外道。そして、瑪瑙を復讐に駆り立てた末裔は俺に興味を示した」

「どうして?だって今まで顔を合わせるなんてなかったじゃない」

「俺の噂を聞いたからだろうな。婚約者がいるにも関わらず考える事は村の為ではなく自分の為に」


信のその言葉に紅葉達は何かを察する。


「俺は陽子を裏切った元旦那のようにはならない。そうなったら容赦なく俺を殺せ」

「そんな!!嫌です!!!」

「……っ、それが龍神様の願いならば聞き入れましょう」

「ちょっと紅葉!!!」

「陽子様のことを想ってのことだ。俺達はそれに従うしかないんだよ。つらら」


それ程までに陽子を愛しているのだと察した紅葉は何も言わず信の願いを聞き入れた。本心は否定したかった。だが、信の決意が痛い程伝わりこれ以上何も言えなかった。

つららが言いたい事も分かる。けれど、和正の様に裏切ってしまったことを考えたら死を選ぶだろう。

信は、玲奈達が居る屋敷がある方に目を向ける。


(もう少しで準備が整う。瑪瑙の恨みのかけらを解き放つ準備がな)


何も知らず、龍神に憧れを抱いた玲奈がまだかまだかと待っているであろう。

早く済ませて陽子の元に帰ろうと考えながら屋敷に向かうのであった。

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