硝子の桜

毒気

龍神・信と顔合わせができると知ってから玲奈は巫女としての務めを果たす様になった。

傷ついたものや病床に伏した者を癒していったが、相変わらず高貴な身分の者だけに施され、身分が低い者には施されず見放し苦しめていた。

"どうしても治して欲しければ金を出せ。この異能は神聖なものだから卑しい者が受けていいものではない"それが付き人である玲奈の母親の口癖だった。どんな苦しみ手を伸ばしても平然と見下し手を払い除けた。

陽子の様に分け隔てなく異能を使うことはやはりない。

もし、あったとしても龍神の前で見せる時だけ。龍神に良い顔を見せて好かれようとしているだけだ。誰かを思いやるという気持ちなんてさらさらなかった。


(少しでも龍神様に良いところ見せなきゃ♪)


帝都や他の村に出かけていた両親や使用人達から聞いた龍神の噂と姿が描かれた絵を見てから彼に興味を持った。

夫となる和正よりも美しく凛々しい龍神の姿に玲奈の心は見事に奪われてしまった。

龍神の巫女で神社の宮司の息子の嫁であることを忘れて玲奈は龍神に会う準備をしていた。

家にはすでに沢山の着物があるが、わざわざ新しい物をまた買い寄せる。

もう沢山あるからと忠告すればどうなるか分かっているから誰も何も言わない。血の繋がった母親は咎めるどころか甘やかすばかりだ。

流石の和正も買い過ぎではないか?お金も無限ではないと玲奈に諭すも龍神に夢中になっている彼女の耳には届かない。

寧ろ、その憧れと欲が玲奈の心から和正の存在が薄れさせてゆく。それは和正本人も気付き始めていた。


「あの…玲奈…?」

「はぁ?何?私、今、準備で忙しいんだけど!!龍神様の前で恥かくわけにはいかないの!邪魔しないで!!」

「それは分かってるけど少しぐらい…」

「あーもー!!本当邪魔!!うるさい!!あっち行って!!!」


玲奈に触れようとする和正の手を彼女は乱暴に払い除ける。

玲奈の変貌ぶりに和正は怒りよりも恐怖を覚えていた。

きっと自分との間にできた子供が陽子に殺されたから自暴自棄になっているのだと考えていたが違っていた。実際は、和正よりも美しく偉大な力を持つ龍神に心を奪われ始めていたからだ。

初めの方はお腹を摩りながら「守ってあげられなくてごめんね」と涙を流し悲しんでいたが、今はお腹のこのことなんかまるっきり忘れている。悲しむそぶりを全く見せなくなった。

それに気付いた和正は言葉を失ってしまった。

玲奈に払い除けられた時に打たれた手が少し赤く染まっている。ヒリヒリする手から痛みを和らげる様に摩る。

あんなに可愛かった玲奈は今はどこにもいない。幼馴染で前の妻であった陽子を捨ててまで手に入れた花嫁は会ったこともない龍神に魅入られてしまった。

だが、和正は突きつけられた現実に向き合えなかった。玲奈がどこかでまだ自分を想ってくれていると信じているからだろう。見捨てるなんてできなかった。


「ご、ごめんよ。ほら、もう少しで婚姻の儀だろ?いろいろ話を進めたくて…」


玲奈は面倒くさそうに舌打ちをする。


「今はそれどころじゃないの!そんなに私に恥かかせたいわけ?!!」

「ち、違うよ。そうじゃなくて」

「じゃあ黙ってて!!!それ以上私の邪魔をするなら婚約破棄するから!!」

「え…」


玲奈からの口から出た"婚約破棄する"という言葉。和正は思わず動きを止めてしまう。


「こ、こん、やくはき…?」

「そうよ。だって貴方、私の邪魔はするし、まだ宮司を継ぐ気配もないし、お姉様からお腹の子を守り切ってくれなかった!!そんな人と結婚なんていやよ!!」

「だ、だって…あれは防ぎようが…」

「酷い!!!またそうやって言い訳する!!死んだあの子が可哀想だわ…!!うぅ…っ」


不甲斐ない和正を責めながら玲奈は手で顔を覆い泣いてみせる。その姿を見て和正は謝りながら抱きしめた。

和正はそんな玲奈の振る舞いに限界が来ていた。思わず本音が出てきてしまう。


「陽子ならそんな事言わないのに…」


和正のその一言に玲奈は目を見開いた。そして、彼の頰に強烈な一撃を喰らわした。

和正は腫れた頰に手を添えながら我に返り玲奈の方に目を向けた。彼の目に映った彼女は凍てつくように冷めた目をしていた。もう用済みだから消えて欲しいと目で訴えているように見える。


「れい…」

「もういい。アンタなんかもういらない。あの女の方がいいんでしょ?分かったわ。すぐにお姉様の元に連れて行ってあげる」

「待って違うんだ…!!許してくれ…その、つい…」

「だから何?アンタが私に惚れて、お姉様を裏切ってくれたお陰で異能も巫女の名もお姉様の紅珊瑚の簪も手に入れた。だから、アンタは用済み。結婚なんかしなくてもいいの。後は龍神様の顔を見て決める」

「玲奈?何を言って…」

「察しなさいよ。良かったじゃない。最期に大好きなお姉様に会えるのよ?感謝してよね?それじゃ、私忙しいから」


呆然とする和正を置いて玲奈は部屋を出る。もう、龍神の巫女の面影のない欲に堕ちた顔だった。

邪魔なモノは排除する。それが自分の旦那でも架空の子供でも躊躇なく実行する。

玲奈はれっきとした蛇神を陥れた女の末裔。彼女の血は村の伝説を汚し龍神の巫女の一族を騙し、本来異能を持つべき少女から全てを奪った。

次は龍神でさえも奪おうとしている。

そして、玲奈が告げた"最期"という言葉。その意味は玲奈の野望を果たす為には必要な別れ。そして、和正を陽子の元へ連れてゆく手段。

それは彼女の母親も行っていた悍ましい行為だった。


「お母様。お願いがあるの。あの毒を、先代の巫女、お姉様の母親を殺した毒を手に入れて欲しいの」

「……もういいの?あの男のことは。お父様が悲しむわよ?」

「いらないわ。あんなちんけな神社の宮司候補より龍神様の方が何倍も良いわ。だからいらないの。お姉様にお返ししなきゃ」


刺客達が姉である陽子を殺した証である首を持ってこなかったから本当に死んだかどうかは正直なところ分かっていない。けれど、玲奈は陽子が死んでいると無理矢理思い込ませている。

和正がまだ陽子のことを忘れていないと知ると改めて死んでいて欲しいと願った。そして、早く愛していた筈の和正を彼女の元に連れて行きたいとさえ願った。


「あの人酷いのよ。私なんかよりも陽子お姉様の方が良いなんて言うのよ。裏切って捨てたくせにね。本当最悪よ」

「まぁ…可哀想に。大丈夫よ。お母様がなんとかしてあげる」

「お母様…!!」


母親の歪んだ愛に感激した玲奈は彼女の胸に飛び込んだ。母親は慰めを込め愛おしそうに娘の頭を撫でる。


「貴女の幸せは私の幸せ。玲奈の為ならなんでもするからね。だからもう悲しまないで」

「ありがとうお母様。大好きよ」


愛する娘の為なら人を殺すことなど容易いことだ。陽子の母である真魚を殺した時と同じ動機で再び人を殺めようとしている。

全ては愛する娘の幸せを守る為、自分達の欲を満たす為、今の生活を守る為に。

だが、一つだけいまだに叶えられていないモノがある。


(早く…あの蛇神の呪いから逃げ切ること……この子に万が一のことが起きたら私は…!!)

「お母様?どうしたの?」


愛しい娘の声に恐怖と焦りに駆られた母はハッと我に帰る。


「……なんでもないわ。毒のことはお母様に任せて。貴女は龍神様に会うのだからしっかりと準備をしておきなさい。貴女を娶ってくれるかもしれないからね」

「そうね♪分かったわ♪」

「龍神様に娶られた方が何倍も価値があるんだから」

「そうよね!!でも…もし、龍神様に花嫁がとういたとしたらどうしたら…」


不安がる玲奈に母親は優しく頭を撫でる。玲奈の不安な心が少し和らぐ。


「玲奈以外の花嫁なんてありえないわ。お母様がなんとかしてあげる」

「本当?」

「だから安心して顔合わせの儀に挑みなさい。毒もちゃんと手に入れるから」

「ありがとう。お母様。大好きよ」


龍神に愛され幸せに暮らし始めていた陽子の見えないところで悪しき企みが進行してゆく。陽子が玲奈達の元にいた頃よりも欲望は増幅していた。

玲奈は先祖達と同じ道を歩み、血に染まった幸せを掴もうとしている。

龍神との結婚を望む玲奈はまだ姉の陽子が彼の花嫁だということを知らない。知ってしまった時はきっと瑪瑙と同じ手段を選ぶだろう。

だが、龍神はずっと彼女らを見ていた。陽子をずっと見守っていた白鷺の姿で。

その事など知る由もない玲奈は母親に全てを任せ、再び自身の準備の続きに再び取り掛かるのだった。

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