千田ウユキ
千田ウユキは、内田綾人にホテルのレストランへ招待されていた。
窓ガラスの奥に広がる、夜景。
「やぁ、お待たせしたね」
そう云うと、綾人はやってきた。
「すまないね、こういう店は慣れていない者なので」
お前が誘ったくせに、と笑いを堪えた。
「それでは、とりあえず……」
そういうと、綾人はグラスに継がれた赤ワインを持ち上げる。
「君の作家デビューに、乾杯!」
「乾杯」
そうやって、綾人とグラスを交わした。
「いやあ、まさか君が作家になるなんて、僕でも分からなかったよ。読ませていただいた、非常に面白かったよ」
「ありがとう」
久しぶりに会ったせいか、少し会話がぎこちない。
「どうだった?綾人なりに」
「フィクションとノンフィンクションのいいとこ取りがされていて、大変素晴らしかったと思う。ただ一つ、不満があるとすれば」
「ほう」
「僕がもう少し魅力的に描かれていても良かったのでは」
綾人は子供のように口をとがらせていた。
彼の幼い部分が見られて、なんだか頬が赤くなる気分がした。
「ねえ、綾人」
「うん」
「佐原健二は正しかったと思う?」
「いや」
「私、あの本を書いていて思っていたの。確かに、彼は残虐極まりない方法で、自分の娘を蹂躙した男女を殺害した。絶対に許される所業じゃない。本当に残酷だよ。でも、もし君だって自分の大切な人が殺されたりしたら、佐原健二のような方法で復讐するんじゃ無い?綾人だけじゃ無い、私だってそう。みんなも。全員、心の中に佐原健二のような心の闇が潜んでるじゃ無いかって」
「そっか……」
彼は相変わらず頭を掻いた。
「でも、その意見には確かに一理あるな。僕だって、君が春香みたいな目に遭ったら、佐原健二どころじゃ無いかもしれないね」
「慶次だって、もう少し年を取って親になって、自分より大切な命に会ったら、きっと健二と同じ道を選んでいたと思う」
「僕もそう思う」
私と、綾人の空気が二段階ほど、重くなった気がする。
「でも、僕はどんな理由があっても人に対して残酷にはならないよ。よく考えてみれば分かるさ。そういった殺意の渦はループし続ける。悪循環は止まらない。復讐なんて、一時の、自分の気持ちを静めるために起こす行動だ」
「それが判断できないほど病んでいたとしたら?」
「だとしても、人の命だけは奪ってはいけない」
「そんなこと、みんなわかりきってるのよ」
そこまで云って、私はうつむいた。
「結局、私は答えが出せなかった」
「この前、僕、慶次君に会ってきたんだ」
私は顔を上げる。
「慶次君はこう云っていた。父はきっと、春香が死んだ後も、彼らがのうのうと生きることができるという現実に我慢ができなかったんだろう。それは、自分より、春香や慶次のことを誰よりも愛していたから。愛が無い奴に人を殺すことなんてできない、暴走した愛が、彼らを殺したんだ、と」
「私にも、少しだけ分かるような気がする」
綾人はワインを一気に飲み干した。
「愛は、人を包むこともできるし、人を殺すことだってできる。人を動かす原動力は、いつだって愛だ。良くも、悪くも、ね」
「もう、分かんないや」
私は投げ出したように云った。
しばらく空気が重くなったので、思い切って話の話題を変えることにした。
「ところで、私のペンネームの由来分かった?」
「ローマ字だろ?CHIDA UYUKI」
「正解」
「本当に恥ずかしかったんだぞ?僕の名字と君の名前を合わせたローマ字のアナグラムなんて」
本当に恥ずかしかったようで、彼は真っ赤に顔を赤らめている。その様子が本当におかしくて、つい、吹き出してしまった。
「やめてくれよ」
「ふふふ」
「あ、あともう一つ不満点があった」
「えー何?」
綾人はボリボリ頭を掻いて云った。
「まるで君が男のように描かれていたところだ。もう少し女々しくて良かったんじゃ無いか?」
「そう?私ああいうの好きなんだけど」
綾人は、はぁ、とため息をついた。
「まあ、ともかく」
綾人はそう云うと、グラスを掲げた。
「改めて、君の作家デビューに、そして、君の願いが届くことを祈って―乾杯!」
そういって、私、長城祐希とグラスを交わした彼のワインは、殆ど残っていなかった。
―了
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