米川 死亡

冬子さんの悲鳴が聞こえてから、しばらくの時間が経っていた。

彼女の空間を引き裂くかのような鋭い悲鳴で目を醒ました私は、いつの間にか彼女のいる方角へ足を運んでいた。

一体、何があったのだ?

冬子さんがいるであろう場所へ向かっている途中、私はふと、こう考えていた。

可能性としては、二つ。一つは熊に遭遇した。この時間帯で熊が出るとは考えにくいが、浅間山で熊が出没する事例は下調べの段階で判明している。

二つ目は、何者かに襲われた。しかしながら、この考えは除外しても良いと考えている。こんな真夜中で人が襲われるなど、考えにくい。まして、こんな住宅街から離れた山で、「殺人鬼」が出没するなど、もってのほかである。考えすぎだ。

冬子さんのいる四合目のキャンプ広場まで急ぐ。

静寂な眠りを寸断された事へ対しての苛立ちがありつつも、心のどこかでは「何か」が心を渦巻いていた。それは、不安、狂気、もっといえば、果てしない悪意、「殺意」を感じるものだった。

森を抜け、川を越えて、キャンプ広場へ近づく。

その刹那。

私が最初に感じたのは、鋭い悪臭だった。

鼻の奥をアイスピックで刺激されるかのような腐敗臭。私の心に渦巻いていた一粒の不安の種が発芽した。

足を速める。そして、私の目に「何か」が映り込む。

不安の種は成長し、開花し、訪れていた狂気は確信へと変貌した。

たちまち私はなにか、喉の奥から逆流する物を感じ、口を押さえる。

私の目に映ったのは、彼女の「死体」だった。

ほとんど原形を留めていないが、間違いない。どこからどう見ても冬子、その人である。

「きゃぁぁぁあああ!」

私はたちまち悲鳴を上げてしまう。

その時だった。

私の目に、「何か」が映った。

それは白銀に輝き、私の目を捕らえている。

その刹那、

「パァン」

その白銀の光から弾けた銃声が、私の耳を強襲した。

どういった事態が発生しているのか想像できない。何が起こっている。

その途端、私の目を尋常ではない激痛が襲った。

「ぐぁあああああ」

何が起きた、私は自分の声と認識できないような声で喘いだ。

慌てて激痛の根源である目を触る。

「はぇ?」

無い。無い、無い、無い、無い、無い!

「わぁたしのぉ、め、め、めがぁああ」

その時、ようやく理解した。

ああ、自分は目を狙撃されたのだ。あの白銀の光から、私は狙撃された。

冗談でしょ?夢なら覚めて、幻影なら消えて!

「いやぁぁぁああああ」

どうする?蹲る私は考えを張り巡らせた。

反撃するか?いや、相手は武器を持っている。そう簡単に倒せるはずが無い。

それなら助けを呼ぶ?知覚に人のいる気配はしない。それとも、私の目の前に転がっている冬子さんの屍に助けを求めるか?

ならば、逃げるしか無い。項垂れている膝を奮い立たせ、私は白銀の光に背を向けて逃げ出す。それがまずかったのだろうか。

「パァン」

「ぎゃっ」

弾けた銃声が、私の背中を貫いた。

バサッと倒れてしまう。

その時だ。

私の耳に、何者かの足音が入ってくる。

この山に棲みついている殺人鬼の牙が、私に向けられたというのか?莫迦な。きっと、猟師だ。きっと、猟師が私をえ……ものと間違えて……そげ……き……した……はず…………だ……。


気がつけば、私は「小屋」にいた。

椅子に縛り付けられている。

そして、残念なことに私の手足は無くなっていた。関節部分から先が完全に消滅してしまっている。

「んっ」

声を張り出そうとした。しかし、それは喉の手前で引き戻された。

猿轡さるぐつわをされたのか。まともに喋ることもできない。

その時だった。

「…………それ以上……」

何者かの、野太い声が聞こえる。

「消えそうに…………」

何か、呟いている。何だ。一体何なのだ。

しかし、その声の主はなかなか姿を現せない。

一体誰なのだ、そいつが私の手足を切断した犯人なのか!?

私は悶えた。椅子がガタガタと動く。早く私を解放しろ、私が何をしたというのだ!

そして、ようやく「奴」は現れる。その時だった。

刹那だけ、冷たい刃が私の腹を直撃した。しかし、その一撃にはあまりにも大きく、致命傷には十分なり得た。

「うぁあああああぁああぁぁ」

猿轡を破るような声で叫んだ。私は椅子もろとも崩れ落ちる。腹がえぐれている。皮膚が、文字通り「割れて」いるのだ。割れた亀裂には鮮血に染まった液体が流れている。

「あぁ、あぁ、ちょ、ちょぉぉおおお、いゃああああああ」

出てきた、出てきた。「腸」が。私の腹から、「腸」が顔を見せている。

私の腹から、腸が垂れ下がっている。それは、あまりにも異様で、奇妙で、最悪だった。

そして、私は現れた「奴」の顔を見上げた。

「ぁ、あ、ぁあぁああ……」

「無様だ、声も出ないか?」

「奴」の手には、銀色に輝く「斧」が握られていた。その刃で、私の腸を剔ったのだ!

「やゃ、めぇ」

「ほう、こんなことをされる筋合いが分からないか」

分かるわけ無い。なぜ、普通に登山をしているだけでこんなことをされなければならない。

「じゃあ、俺の名前を教えてやる」

そんなことはどうでも良い。私の腕を返して、足を返して、腹を戻して、目を返して、その斧を手放して。

その時だった。

「俺は、佐原だ」

私は全てを理解した。この男が何者なのか、そして、私たちに何故こんなことをしているのかを。しかし、一つだけ腑に落ちないことがある。何故、私たちの居場所が分かったのだ?

いや、待て。確かあの時……。

「ぁ……あな……た、もぉしかひて」

私がそう言いかけた刹那。「奴」は斧を持ち上げた。

「ゃめ、て」

「さて、茶番は終わりだ」

その時、私の意識がプツリと遮断された。




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