道標の先

 二人が死んでからしばらくして学生が三人続けて亡くなった。

 それぞれ事故、自殺と処理されたがどれもが首から上が潰れるか切断された状態だった。

 彼らは生前国頭神社を訪れていた。偶然とは思えなかった。これだけ相次いで首のない死体が積み上がるなんてあまりにも不自然だ。


 祠の何か。

 最後のあがき。

 延命処置。


 敬三の処置がうまくいっているのであれば、これだけの事象はおそらく起きていない。とすればーー。


 ーー失敗……。


 処置が施されていない。いやいや、そもそも失敗なのだろうか。敬三の話が自動再生のように何度も頭の中で繰り返される。


“俺達が出来るのは、最後のあがきに過ぎない。延命処置だ”

“だから俺達がおかしくなった時は、そういう事なんだよ”

“その通りだ。それでも俺は今まで守ってきた。残された伝言はーー”

”俺達の様子がおかしくなった時ーー”


 俺達。

 俺”達”とは誰を指している。


“まるでじゃなくてそのものだよ。あれが壊された時、俺達が代わりをしなければならない”

 

 生贄の話をしていた時、言いながら敬三は自分の心臓を叩いた。

 生贄になるのは自分自身、そんなジェスチャーに思えた。

 だがそれなら、”俺達”という表現がどうにもしっくりこない。

 と思えば先代の教えを守ってきた事に関しては、”俺達”ではなく”俺”と言っている。

 

 敬三は和幸君に殺された。めった刺しにされた上に首を切断されて。

 全て推測だ。だが今更になって僅かな表現や言い回しに強烈な違和感を覚えた。


“和幸君にこの事は?”

“言っても無駄だ。外の世界に馴染む事も出来んのだからそれ以前の問題だ”

“そうか、長いな”

“もうそこには期待していないよ”


 もう”そこには”期待していない。

 引きこもりをやめさせる事は無理。だがそれ以外の役目を負わせる事は出来る。


 例えば、敬三自身ではなく和幸君を器にする事。


 別に器としての役割を果たさず終わるのならそれでもかまわない。もとよりどちらでも一緒なのだから。祠に何もなく敬三が亡くなった場合、自動的に次の管理者は和幸君になる。であれば、器の役割をわざわざ敬三自身に向ける必要はない。

 祠の中身も分からず、壊された時に何が起こるかも分からない。未曾有の恐怖に自身を捧げる事など、敬三にとっては無意味で無駄な事だったのだろう。

 

 だから何もせず自分達の生活を蝕み続ける息子へ道標を向けた。

 祠への恐怖、息子への憎悪。そんなものが綯交ぜになっていたのかもしれない。


 そして祠が本当に破壊されてしまった。


 器は敬三に用意された道標の上を走り和幸君の中に宿った。

 結果として自身を守る意味も含め逸らしたはずの道標が自分に辿り着いてしまった。

 祠のモノに操られた和幸君に敬三は殺されてしまう。

 そして和幸君は、おそらく祠のモノに殺されたのだろう。


 杜撰な管理。

 そもそも対応策全てがあまりに不完全過ぎた。

 正しい引き継ぎがなされなかった事で、とんでもない尻ぬぐいが巡ってきてしまったのだ。

 祠のモノがこんな程度で止められるはずがなかったのだ。


 ーーやはり、終わりなんだ。

 

 確信をもって言える。学生達の死がまさにそれだ。

 一旦は道標通り和幸君の器に収まったそれは、器自体を破壊して外に出た。

 だからこそ三人も死んだのだ。


 他の皆は知らないだろう。分かっていないだろう。

 

 だが間違いない。

 私達は、終わったのだ。

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