第九話
サーカステント内で、ジラソーレは不意に名前を呼ばれたような気がして顔を上げた。しかしテント内はジラソーレとスリジエの二人しかおらず、見上げても高い天井が闇に溶け込んでいるだけだった。
首を傾げて、唇を尖らせる―――気のせいだっただろうか。
「どうしたの?」
ジラソーレの様子に気付いたのか、近くで踊りの練習をしていたスリジエが足を引きずるように近づいた。
ジラソーレは静かに首を横に振って、そして睨みつけるようにスリジエを視線で穿つ。特別に貸していた、ジラソーレお気に入りの小道具―――深紅のベールを地面に引きずっていた。
咎めるように指をさす。
「ああ、ごめんなさい。つい」
悪びれた雰囲気も見せずに、スリジエは上辺だけの謝罪の言葉を連ねた。彼はベールの端に縫い留められた木の棒に、長いそれを巻き付ける。
魔法石の点検と魔力補充を終えた後、せっかく外に出たのだからと、次回公演に向けて二人で練習する流れになった。ほとんど踊ったことがないというスリジエに、基礎的な部分を見せて、教える。要領が良いのか、言葉を交わさずとも見せただけである程度習得してしまった。
不思議と褒めたいという気持ちは湧かない―――次回公演まで間に合わないとジラソーレは考えていたから、どこか予想が外れた気持ち悪さで腹の奥がざわざわとする。
不機嫌そうに眉根を寄せたジラソーレに、スリジエは美しい顔で笑いかけた。
「何か?」
何も、と聞こえない声で呟いて、首を横に振った。
「そっかぁ。ねえ、もう一回踊るからちゃんと見ててね」
こくり、と頷き、踊りの邪魔にならないように舞台の端へと移動して地面に座る。胸元で両膝を抱えて、蜂蜜色の視線をスリジエに投げかけた。
彼は照明をたっぷり吸いこんだエメラルドの瞳をさらにいっそうきらきらと輝かせて、素足で地面を蹴る―――だんっ、と広い空間で音が反響した。
小道具のベールを広げて、身体で、手で、大きく円を描く。自然と視線が彼の動きに吸い込まれて、ゆらゆらと揺れる赤いベールが蝶のように、きらきらと鱗粉を漂わせながら舞った。
スリジエはまるで太陽だ―――その輝きで、見た者の視線を離さない。
ジラソーレの踊りよりも力強く、明るく―――純粋無垢、天真爛漫だ。
湧き上がる不快感が、煮られたように腹の奥でぐつぐつと音をたてている。ジラソーレにはこの感情の名前が分からなかった。ただ眩いばかりの太陽が、ひどく億劫で、まるで伝説上の生き物の、太陽に焼かれて処刑される吸血鬼にでもなったよう。
はらり、とスリジエの頬から汗の雫が弾け飛んだ。そして―――踊りが終焉を迎えた。高さのあるサーカステント内で、彼の息遣いだけが、泡沫のように漂う。
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