第三話

「ちょっと!アンタたちはいつまで準備してるの?!もう朝ごはんの準備できてるわよ!」

 唐突に訪れた女の声とテントが開かれた布の音。咄嗟にジラソーレは眼前のダフネの手を振り払って、距離を取る―――取ろうとした。

「っ」

 狭いテント内で後ずさってしまったため、背後にあるベッドの側面に膝裏が当たってしまい体勢を崩してしまう。ぼすん、鈍い音を立ててベッドにジラソーレは倒れ込んだ。

「あら、相変わらずおっちょこちょいね」

 テントに侵入した女性―――空中大道芸師・サクラは腰まで伸びた青みがかった黒髪を揺らしながら、ベッドに倒れたジラソーレへと近づく。

「大丈夫?」

 彼女の問いかけに、ジラソーレは頷いた。

 後ろ手をつきながら倒れ込んだ上半身を起こすと、傷だらけの指先が伸びてジラソーレの栗色を撫でる。ジラソーレの蜂蜜色の視線を伸ばされた手を辿り、ダフネを見上げた。

「サクラが大声を上げるからびっくりしたんだよ」

「あら、そう?それは申し訳ないわ、ごめんなさいね。ジラソーレも他人の準備ばかり手伝ってないで自分の支度をしなさいな」

 こくり、と首肯する。サクラの強気で勝ち気な言葉の勢いには押されるしかない。そのジラソーレの心情を察してか、ダフネは苦笑を浮かべながら「サクラは先にご飯食べてな」と零した。

「はいはい、わかりました―――ったく、相変わらずお互いにべったりなんだから」

 舞台用ではない普段用の薄いメイクを施された美しい顔が少し歪むも、彼女は相槌を打ってジラソーレのテントから出ていく。再度、鈍い布の音が響いた。

 本当はダフネと食事がしたかったのだろう―――彼女の行動を思い返すたび、ジラソーレはやきもきとした気持ちになる。

 空中演目を担当しているサクラは容姿端麗かつ家柄が良いということもあり、度々舞台に上がっては助手を務める。人気なのはダフネとの演目で、魔法でダフネがトラになり、その上に彼女が乗っては客席を巡回するというものだ。

 自ら動物に変身できる魔法を使える人間は珍しいらしく、その魔法を見たい客が半分、美しい彼女に札束を捻じ込みたい客が半分のようだ。

「ほら、ジラソーレも準備しな」

 勲章だらけの手がジラソーレの頭を優しく撫でる。まるで弟を見ているかのような優しい温度の優越感と、決して恋愛対象としては見られていない期待外れの疎外感に、心の中がぐちゃぐちゃになって苦しくなる。

 ぱしん、とジラソーレは彼の手を払って、ベッドから立ち上がった。

「はは」

 ジラソーレが冷たくあしらっても、ダフネはまるで反抗期の弟を見ているかのような快活な笑いを零すだけだった。嫌な気持ち。

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