第六話 東雲の君

「フラン様!」

「な、何?」


急に頭上から声が聞こえるものだから、震える手を押さえつけて見上げてみる。


「このドラゴンからがするのです!」


もうすでにトドメを指していた彼は、そういうなりはんなりと地面に着地する。


「……どういうこと?」

「なんとも言えませんが、なんとなくこのドラゴンの気から人間の気が感じられるのです。フラン様なら、もしかしたらわかるかもと思ったのですが。」


今の今まで陰陽師として活躍していた彼の言葉を信じないのも、不敬に当たるかもしれない。足を踏み進め、すでに息たえたドラゴンの鱗をそっと触る。


「……確かに、人間の魔力が入っているわ。」

「魔力、ですか。」


彼のように気配は感じられないものの、魔力だけなら探知することはできるが。


それにしても見たことがない。魔物自身が蓄積した魔力が探知できるのは一般的だが、人間の魔力が魔物に入っているのは、なんとも気持ち悪い心地がした。


「作為的なものなのでしょうか。」

「それはわからない。でも、普通の魔物じゃないのは確か。」


そうですかというものの、やはり考え込む久遠の姿を横目で見て、そっとドラゴンから身を引いた。


これ以上近づきたくなかった。もう、この男と関わるのはよしたほうがいいと、心のどこかで忠告する自分がいる。


魔力も知らないこの男は、気配だけで察知できたのだ。ドラゴンと戦ったのも、身動きを封じられたのも、トドメを指したのも、全部久遠のおかげ。


アメリア自身わかっていた。

自分がどれだけ足手纏いで、一人でいたほうがいい生き物なことくらい、自分でわかっていた。


「フラン様?どうしました、そんな暗い顔をして。」


不意に顔を上げた。暗闇でぼんやりとしか見えないはずなのに、なぜ表情の違いもわかってしまうのか。


彼の、尊敬できる部分を見つけるたびに、心臓が苦しくなるのは、なぜなのか。


「……ごめんなさい。私、すごく足手纏いね。」


取り繕って会話をする。ここは自分が存在してはいけない場所だと、心の中の自分が訴えかけてくる。


「そんなことありません。」

「そんなことある!」


思わず強く言葉が出た。目が泳ぐ。視線が下へと下がっていく。


一人になりたい。

もう関わりたくない。

放っておいて。


振り続ける雨に打たれ、身も心も冷え切っていた。

それなのに、微かに笑ったような声が聞こえた。


「フラン様が、身も心も誰より美しいのは知っております。」


ドラゴンに手を置きながら、振り返った彼はそう口にする。


驚くほど純粋な瞳を向けて、口を綻ばせて。その遥か彼方の海の向こうまでを知り尽くしているかのような、そのような眼差しが、アメリアのおとなしかった心臓を震わせる。


「……美しくなんてないわ。」


わけもなく横に垂れ下がった髪を手で触って誤魔化しても、彼の表情は変わらない。


「あなた様はそうおっしゃるでしょう。しかし、そうおっしゃるあなた様が、やはり美しいのです。」


狐のような、猫のような、きゅっと閉じた目としっかり上がった口角からは、何も読み解くことができない。


何も理解できないはずなのに、一体どうしてこんなにも胸が燻られるのだろうか。


「フラン様?」


ふと、暖かく灯っていた炎がゆらめく。


思わず、覗いた瞳の優しい光に、惑わされそうになる。

思わず、その光を追いかけそうになる。

思わず、口から一言、情けの言葉が出そうになる。


「見つけたわよ!!」


しかし、背後の殺伐とした声に、今までの炎は吹き消されて塵となる。


耳元で鳴り響く雨音。ぐちゃぐちゃとぬかるんだ土を踏み荒らす音。全てが、鮮明に耳にこびりつく。


「なっ!?どういうことです!?」


隣にいる彼もギョッとした顔を見せる。それもそうだ。四方八方杖を構えた魔女だらけ。驚かないほうがおかしい。

呆然とする彼の前にいた、中年の魔女は杖を突き出して吐き散らす。


「この疫病神!ドラゴンを誘き寄せて私たちを殺そうとするなんて!」

「また見当違いなことを!私たちは倒したのです、このドラゴンを!断じて誘き寄せてなんかいません!信じれないのならそこにいた男性に聞いてみてはいかがです?」


一歩前に踏み出した彼は、ぐるりと囲んだ大衆の奥に縮こまった男性に目をやる。


しかし、その男性は虫が悪そうに目線を外した。無駄だというように、魔女たちは嘲笑する。


「その悪魔がいるからこんなことになるのよ!」

「あの悪魔の家にドラゴンが住んでいたって話よ」

「きっと私たちが寝ている隙を狙ってドラゴンを放ったのよ」

「あれがいるとろくなことにならないわ!」


罵詈雑言は雨に交えて山のように降ってくる。向けている杖から火花が散り、氷の刃が放たれる。


いつものことだ。慣れていたし、何も感じない。


ただ、いつもと違うのは、前に久遠がいて、攻撃を受けていたこと。怒りの矛先が向いているのは自分だ。久遠は何も関係がないのだ。避ければいいのに。逃げればいいのに。ただただそのような思いと、微かな痛みが積み重なる。


「もういいから。庇わなくていいから。」


罵詈雑言の最中、呟いた二言に、彼は勢いよく振り返った。

なぜか、泣き出しそうな幼子の顔をして。


「なぜそのようなことを平気でおっしゃるのです?なぜ、そのように我慢なさるのです?」


あぁ、嫌になる。


自分の、触れてほしくないところに、この人は平気で触れてくる。

さっきまで平然だった口元が、少し歪むのだ。また、情けの言葉が漏れそうになる。


正反対にあたりは野次馬でひしめき合っていて。

これが正当な反応だ。自分でもわかっている。どれだけ自分が「この世にいてはいけないもの」なのかを。


あぁ、本当に、嫌になる。


平気だったのに。我慢なんてしてなかったのに。あの男の言葉で、揺れている。


本当に、嫌になる。


「この悪魔」


言われ慣れてた。


「化け物」

「呪いの子だ」


慣れてた、はず。


「消えてしまえ」


消えれば。


「消えてしまえ」


消えれば、迷惑にならない?


「消えてしまえ」


それなら


「消えてしまえ」


消えたほうが。



「消えなくていい!!!」



刹那、そんなまっすぐな声が貫いた。

顔を上げる。耳を塞いでいた手に、彼の手が重なっていた。


「フラン様は、魔法使いです。他の何でもありません。」


少し和らいだ瞳に、呆気に取られたような顔をした自分が写っている。そうして目を細めて、和やかに微笑んで、くるりとアメリアに背を向けた。


「忠告する。これ以上彼女に戯言を言うようなら、ただではおかない。」


言葉こそ慎重だが、何かが違った。


ピンと糸を一筋張ったような、張り詰めた空気を、彼は放っていた。そのためか、今まで罵詈雑言を浴びせていた魔女たちは口を閉ざしていた。


雨音が繊細に聞こえる。そんな静かな時間の中。


アメリアの近くにいた老婆が、少し前に進み出て微笑した。


「そうかい。それなら二人まとめて監獄に行きな。」

「何……?」


雨足が強くなっていく。月明かりさえもない。いつ夜明けが来るのかもわからない。暗闇の中で光るのは、老婆のしわで垂れた瞼の裏にある眼球だった。


「もうじきくるだろうさ。国の騎士団がね。」

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