神遺城の帰還
古宮九時
第1話 大陸会議
木々生い茂る緑の庭は自然のままのようでいて、丁寧に人の手が入れ尽くされていた。
広場に繋がる小路を歩いていた少年は、もう何度目のことか来た道を振り返る。その先は小路が緩やかに弧を描いていて見えない。来た道も、行く先もそうだ。
この庭園はいくつかの広場をその数倍の小路が繋ぐ作りとなっており、広場同士が見通せないよう小路の両脇には常緑樹の林が作られ、小路自体もどれも真っ直ぐにはなっていなかった。
少年は何度か振り返りながら小路を進む。
「――迷子なの?」
不意に誰もいない場所から女の声がかけられる。彼は足を止めてそちらを見た。
誰もいないと思ったのは気のせいで、林の中に一人の女が立っている。人が踏み入るところではないだろうに、そんなところにいる女を彼は不可解に思った。
「迷子ではない、です。付き添いで来ていて、時間を潰しています」
少年は慎重に言葉を選ぶ。今、この庭園にいるのは全員が彼の目上だ。
彼自身は幼い王女の遊び相手としてここへ来たのだが、ここで開かれているのは大陸会議だ。他に来ているのはいずれも各国の王か首長にあたるものたちだろう。
彼女はそのうちの一人なのか否か。
見たところ大人だ。だがどんな顔をしているかは分からない。胸までを覆うヴェールをすっぽりと頭から被っているのだ。巫女か、高貴な女性かのどちらかだろう。
女は音をさせずに小路に出てくると、彼に手を差し伸べる。
「なら行きましょう。もう会議が始まるわ」
「いや、僕はただの付き添いで……」
「じゃあこっそり見ましょう」
「ええ……?」
異を呈したかったが、女は彼の手を取って歩き始めてしまう。確信を持った足取りに、少年は渋々ついていった。
緑の匂いのする風が前髪を揺らす。ここはあまりにも自然豊かで、その全てが人工的だ。現に小路の両脇に茂る草は、決して一線を越えて小路にはみ出してこない。風に揺られる範囲まで計算されている。或いは風さえも統制されているのかもしれない。
二人は緑の道を行く。
「ほら、こっちよ」
「え、ちょっ」
そう言って女が踏みこんでいくのは小路を外れた林の中だ。止めたくとも手はしっかりと握られているし、振りほどくのも乱暴をするようで躊躇われる。こうなったら一緒に怒られるしかないだろう。そう諦めながら、少年は女の足下に見入る。
彼女の踏み出す先、生い茂る草がひとりでに避けていく。だから彼女は足音をさせずに歩いていけるのだ。その後を続く彼は、戻ってくる草を踏むことになっているが、女はそれに気づいていないようだ。
「あそこよ」
女は不意に足を止め、木々の向こうを指差す。彼は思わず息をのむ。
広い円形の庭に、白い石テーブルが同じように円形に置かれていた。そこには各国を代表する者たちが座しており、だが空気は和やかだ。笑顔の者も多く、子供たちが彼らの席の後ろを駆けていく。少年はその中に、自分のよく知る幼い姫が女王に抱き上げられているのを見つけてほっとした。笑っていて機嫌も悪くなさそうだ。
距離があるから彼らの話までは聞こえない。ただ穏やかな空気はよく分かる。会議というよりお茶会のようだ。女が囁く。
「ここは、神の庭なの」
柔らかで温かな、夢の中のような空気。
それはここが神の庭であるせいなのかと、少年は納得する。
「神々はもういないけれど、彼らが残したものを人は受け継いでいる。それをどう守るか話し合っている、というところかしら」
女はこれ以上進む気はないらしい。涼やかな声が続ける。
「《神遺領域》って知っている?」
「……知らない」
「神々が残した生き物を保管する場所。その総称。今の世界にはそういうものがいくつか存在しているの。人はそれらと折り合って生きている。普通にしていれば関わらずにいられるけど、関わらないでいるためにも約束事を作って守らないと」
初めて聞く話だ。ここに連れてこられた時も「大陸神殿に行く」とだけ言われてきた。そこはどこの国にも属さぬ、知を継いでいくだけの場所だ。船と馬を乗り継いで一月近くもかかり、最後に不思議な浮舟に乗った。この旅路の長さのゆえに王女の遊び相手として彼も一緒に来た。
だがそれ以上に不思議な場所が世界にはあるというのか。
想像もできぬ茫洋とした話に、彼は返事をしなかった。見えない貌が彼を振り返る。
「あなたはどう思う?」
「え?」
「あなたは、どうすれば神の庭を永く守れると思う?」
見知らぬ子供との他愛もない雑談だろう。彼は少し考えて、考えても分からなかったので素直にそのままを答える。
「仲良くすればいいんじゃ」
「仲良く?」
女の声は、本当に意外そうなものだった。彼にとっては平凡なことをまるで初めて聞いたかのように反芻する。
大人にそのような反応をされたことに、彼は見当違いの発言をしたかと少し照れくさく思ったが、間違ったことは言っていないと思う。というか、他に思いつかない。皆で約束事を守らなければならないなら、それが一番いいのではないか。今、あの広場で王たちがそうしているように、親しくして互いを大事にすればいい。
「僕も、殿下にそうしてる。まずは仲良くないとって」
「殿下?」
「あの子。僕の乳兄妹なんだ」
まだ二歳の王女を示すと、女はじっと王女を見つめる。
「僕はあの子のために生きる」
彼女を守って、彼女の一生が幸福であるように。
自分はそのために彼女よりも早く生まれたのだ。
女はじっと彼女を見ている。何も言わない。先程彼が答えが見つからず沈黙していたように。
その沈黙がふと不安になって、彼は尋ねる。
「あなたは誰?」
女はその言葉に振り返る。見えない貌がじっと彼を見つめた。
どこからともなく甘い風が吹く。
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