説明会

三月

当日



 夜が終わるまでに、業者と関係者の手によって目に入る範囲はすべて攫われたようにまっさらになり、次の朝には空いたスペースにやせ細った椅子がすっかり並び、端の方には机がやや並んだ。交互に並ぶ長机と台のすべて、その上に紙束と紙袋にクリップボード、使い捨てクリップペンが積み上がった。あちこちに視線の誘導と動線の確保のための張り紙がされ、出入り口は誰も居ないのにすこし騒然と感じられた。無理もない、今日が説明会の日であるなら。


 種々様々な人間たちが坂を登って正門までやって来た。様々といっても、たとえば大久保公園に佇む同じように見える人々をよく見ると少しずつ違うというような——つまり、皆少しずつ違う制服と、少しずつ違う鞄と靴と、少しずつ違う両親を伴っていた。ひどく痩せっぽちで、けれどもりんりんとした緊張で身を震わせている子もいた。昨日できた水溜まりで靴が汚れるのを気にする子もいた。携帯の充電を気にする子もいた。もちろん、そうでない子もいた。彼らはほとんどお互いを知らなかったが、いずれ(おそらくは同級生として)互いに知り合う運命になりそうだった。それは空恐ろしいようで、それほど数奇でもなかった。


 『空は優しく泣くのを止め、太陽が顔を出してくれました』これは理事長挨拶の一節である。『本校に足を運んでいただいたこと、この説明会に来て下さったことが、どうかただのご縁では終わりませんように』

 理事長の経歴を一言でいうと、"政治的マシーン"だった。正確には政治的マシーンの一部だった。何故なら先代は引っ込み、今は次男が引き継いでいる為である。先代がどれほど優れた日本製機械だったかというのは、彼の来歴を見ればおのずから分かる。公職の任用実績だけで十数行ずらりと並ぶだろう。彼の息子である理事長におかれては、先代と比して取り柄であった若さと生気すら失われようとしているようだったが――まあそれはいい。熱っぽい営業トークを続ける理事長の後ろに控えていたのは各教科の担当者、応援要員としての教員、そして私ともう一人の生徒。たとえばこうも言えた、理事長:"私たち"と先生方。

 "私たち"にはもちろん私に加えて、さっぱりという表現が嫌味なほど板に付いた男子も含まれていた。先生方には理性的で上品で、物音もあまり立てず勝手に撮影を始めたりスリッパを取り出すのにもたもたして入り口で血栓のように詰まるようなコトはしない、立派な方々の案内という大仕事があり、私たちには"生徒代表"という新しい名前を付けられて、入試担当による内容説明が始まるのを心待ちにしている学園の金づる予備軍御一行の前で遅延行為を働くという、気の重い仕事が待っていた。


 さっぱりとした男子生徒の名前は、小路石シロイシといった。シロイシ君は『いい子』だという合意は、学園の大部分で行われていそうだった。目立った問題は起こさず、減算的には成績に欠缺はなく、部活の主将を務め、授業外・課外の活動にも参加し、主体的ではないが消極的ではなく――何よりも教員からの頼みに応えるという点で、評価されていた。

 私は彼のことを陰ながら尊敬していた。すごい奴だと思ったからだ。友達に気に入られ、ハブられもせず一緒に悪ふざけもするが、やたら真面目で色んなとこに顔を出して忙しそうにしているのに、目立ちたがりだとか自分に酔ってるだとかの烙印は押されない、不思議と憎まれない(憎みたいわけでもないが、そんな)様子だった。

 それか、みんな彼のことを薄っすら理解していなかったからかもしれない。彼には落ち度がなく、それをのが薄ら寒かった。この学園にくる学生には大抵目的があって、医者やら外交官やら大した夢があった。中学受験を乗り切って親やら講師から受け取った空想をそのまま原液で持ち込んだ彼らは、大抵二手に分かれる。倦怠や娯楽という誘惑に抗えないか、そのまま真面目一筋突っ走るか。他に道は無かった。T字路でハンドルを切らなければどうなるか――潰れてぺしゃんこ、だ。

 シロイシ君は、そうはならなかった。


『2年C組のシロイシコウダイです』と彼はそう話し始めた。

『僕は高校編入組ではないのですが、だからこそこの学園の特色は良く分かっているつもりです。5年前、僕もこの場所で説明を受けていました。皆さんはより不安な気持ちでしょうか。今までの棲み処を出て、新しい環境に急に飛び込むのは。それとも何人かは併願かもしれません――でも、僕の友達にはこんな人がいます。彼ははじめ併願でここを受けるつもりだったのが、オープン・スクールや説明を受けて、興味を引かれて専願に変えたそうです。そう、そんな人もいるんです』

 話は続いていた。確かにここも悪くないと、私も思う。悪くない、それだけだ。問題なのは、この世の中には、本当に悪い、碌でもないモノが沢山あるから、これでも及第点という評価に落ち着いてしまう所だった。


『――僕はBBE(特進クラス?)に入っているのですが、授業の中でも外でも、生徒と先生方との垣根なく学んでいける環境というのが、用意されていると思います。ついていけないなんてコトもありません。補習や特訓などを通じて、外からも内からも学んでいける制度があります。海外研修や研究コースもありますよね。僕は参加できていないので、恐縮ですが。しかしこの後にアリムラさんが紹介してくれると思いますし、皆さんが自分からやりたいことの出来る仕組みが整っています』

 "アリムラさん"とは、私のことだった。カリフォルニアで私がしたことといえば、パサパサのチキンサンドを食べながら硬水のシャワーでパサパサの髪で、これまたパサパサのノート帳に愚痴とレポートを交互に書きなぐった記憶しかない。余計なことを言ってくれたものだ――とそう考えていると、ふとある事に気が付いた。

 壇上で話す彼が、少し震えているのである。


 傍からは、それは演説熱や病的なものでなく、ただの緊張の産物だとみえた。きっとそうだろうと思った。体育館は今や緊張のスープ釜だった。新任の多い担当者は揃って硬くなり、床が見えないほどに椅子を埋める聞き手たちも、期待と緊張の区別がついていなそうな顔で前を向いていた。緊張の糸が切れて、うっすら船を漕いでいる人もわずかにいた。理事長も、自分が緊張しているように見えるかどうかという技術的問題を前にして、緊張していた。これもみんな朝が早い所為せいだ、と私は思った。今日は土曜日だ。子供と大人、いい子といい大人は寝ていなくてはいけない。そしてよく食べなければいけない。パンに白飯に、牛乳にグレープフルーツ・ジュース。

 私は緊張していなかった。よくは眠れていないが、駅前にあるマクドナルドでしっかり食べて来たからである。そうしていなければ、きっと立っていられなかった。ここには誰もまともに立っていなかった。立つか座ったまま気絶して、しかし親やら大人やら、もしくは子供の見えない義務とやらのせいで、何とか立ち直っていた。

 痛々しい。


 シロイシ君は締めに入り、少し感傷的なコメントを加えて、最後はあっさりした挨拶で封をした。拍手がやんやんと起こり、その音で二人ほど飛び起きた。

 私は裏手からいそいそ出て、シロイシ君と入れ替わるように演台の前に立ち、マイクを整え、少し笑った。なぜなら、数少ない友人たちも、笑った方が可愛く見えるというからである。笑うのが可愛いのか、かわいい子がよく笑うのか。だが本当に分からなかったのは今から何を話そうか、ということだった。

 というのも、考えてきていた内容がたった今、これまでの数千字の現状確認に置き換わって大脳の奥底に消えていったのであった。脳を開いて取り出してみる訳にはいかなかった。何とか思い出そうとして演台を軽く叩いて――もちろん思い出せないが、どうしようもないので話し始めた。


「――ご紹介に与りました、2年A組のアリムラミキです。吹奏楽部に三年、いえ、自分の宣伝をしに来たのでもないのですけど、ともかく、皆さんおはようございます。この忙しい時期に実際に足を運んでいただいて、本当にうれしく思っています。ここに居られる大勢……一部の方は中学三年生ということで、皆さん緊張しておられると思います。ですが考えてみて下さい。貴方も緊張していたら、隣の誰かも、その隣も、在学生だって皆緊張しているんです。だからまあ、大丈夫です。きっと。

 個人的に、ここの魅力というのは、多極的である事だと思います。色んなところから、同年代が集まってくる。これは考えると、とてもおかしいことです。それも皆賢いんです、N高校やらK高校を目指してたような人たちが集まるんです。すると、おかしなことが沢山起きます。賢い人が、しかも選ばれた賢い人たちが集まって、もっと賢いことをするんです――そんなのって、どうします?

 "進学校"というのは、そんな学校を指すのだそうです。賢い人を選んで、もっと賢くなるんです。もっと色んなことをやるんです。もっと賢くなる方法は簡単です。ご存知だとも思います。それは、入試に受かるコトだけなんです。

 きっと先生方も、この後沢山説明をされると思います。そういう人材が欲しいんです。選ばれたなら、何だってできます。日本細菌学会で前説をやれるし、大学との共同研究も出来れば、海外留学も出来る。カリフォルニアで硬水のシャワーに、シアトルで軟水のシャワー、カンボジアで生暖かいシャワーも浴びられます。

 何せ、もう四か月もありません。尻に火を点けましょう。バスに乗り遅れるのは、遅延証明書の発行手続きが面倒だからやめましょう。さっさとチケットを買いましょう。決して安くはありませんが、安いからって落ちる飛行機にみんな乗りたいと思いますか――来年、皆さんと会えることを楽しみにしています。以上です」


 数か月後、私は高校を辞めたが、このスピーチのせいでは決してなかった。確かに数分前の理事長の発言をほぼそのまま引用したことはなじられたが、それだけである。私が高校を辞める前、シロイシ君と少しだけ話をした。看護師になりたいから辞めると言うと、こう返してきた。「ちょっと、付き合ってくれない?」

 私たちはなぜかロッカーに入っていた将棋盤を取り出して、将棋崩しを一回だけ遊んだ――私が将棋のルールを知らなかったからだ。勝ったのは私だった。シロイシ君は見た目より不器用で、三巡目にはがしゃん、と駒を崩した。


 以上が、私が酔った時にたまにする自分語りの内容である。



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説明会 三月 @sanngatu

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