LIMIT10:身の回り全てを楽しめ

 話は、今朝のラボ北棟の会議室から始まる。 


「おはようございます!」


 スライドアが開けば、剱が勢い良くお辞儀して入室する。

 そこでは千紗が、壁に設置されたモニターの反対側に座って待ち構えていた。


「おはよう、剱君。いつも通り元気があってよろしいことだね」


 タブレットを眺めていた彼女から「好きな席に座ってくれ」というハンドサインが出される。

 剱はその厚意に甘え、彼女から見て、左隣の席に腰を掛ける。


「そりゃどうも、元気ってのは、足りない人に分けれるぐらい有り余っているのがちょうど良いもんですからね。それで? 俺と千紗さんだけだと、こんな広い部屋は持て余すんだから、他にも誰か来るんじゃぁないんですか?」


 剱はガランとした白壁を見回す。

 モニターを使う前だからまだ照明は付いており、インテリアは黒いミーティングテーブル、残り13席の固定されたデスクチェアのみ見られた。

 極限まで合理性を突き詰めた結果なのだろうが、彼にとってはそれがどこか人間味がなくて気味が悪くも、無骨で格好良かった。


ここラボはあくまで研究するために設立されたものであって、軍隊ではないからね。前もって任務内容を把握しなければならない私や、ウン分前集合をする君のような者を除けば、大多数はほどほどの時間に集まるんだよ」


              《ウィーン》


 またもや自動ドアが開くと、今度はベレー帽を被ったミニスカートが入室する。


「──と話せば、か」

「おはようございます! チサさん!」

「おはよう、サラス。君も君なのだが、今日はいつにも増して元気じゃないかい?」

「やはり分かっちゃいます? 実は……次の補給船で{異類婚戦譚いるいこんせんたんカンナ}のグッズが届くんですよ! ちなみにチサさん知ってます? 主人公のアマミと亜人で彼女の旦那のタイランの初々しい結婚生活と手に汗握る剣戟アクションが面白い“月刊ホップ”の看板作品なんですけど、ウチダさん、ナカムラさん、サトウさんといった超豪華声優陣に、作画もファンタジーアクションが得意な“東方プロダクション”によってアニメ化されていまして! もちろん今期アニメの覇権と言っても過言ではない一作に出来上がっているんです! それで今回、その限定グッズの抽選に当たったんですよ! 全世界100名限定ですよ100名限定! さらに公式からはあまり販売されていない超激レアなポスタータイプ! 婚カンファン垂涎の一品をコレクションできるのは、これはもうテンションが上がるしかありませんよ!」


 聞いている人が目眩めまいではなく耳眩じまいを起こしそうなまでに、サラスの口が回る。

 ただ、瞳孔がガン開きになっている彼女のオタク趣味は、これでも通常運転である。


 ただ(熱中できるものがあるのは素晴らしいことではあるし、他人に強制はしてないから)ということで、千紗もこれまで一度も咎めたことはない。


「ならば、私も今度{カンナ}とやらのアニメを調べてみるよ。それに、君がそこまで言うほどの希少なものなら、受け取ったらすぐに部屋に飾っておきなさい」

「了解です!」


 代わりに、彼女は要所だけを聞いて、さも全てを理解したような返事をすることにしていた。


(懸賞か……昔はよく越と応募してたな……確か俺は4個ぐらい当てたけど、アイツは1個も当てられずに最終的には拗ねてハガキ投函をやめたんだっけなぁ……)


 挨拶するタイミングを見失っていた剱は、瞼を閉じて青い記憶に浸る。

 その間にも、サラスは彼の左隣に座る。


「あっ、おはようです、ツルギ君」

「あっ、おはようございます、サラスさん」


      《ウィーン》


「どうも」「おはようさん……」「おはようございますっス」「……」


 2人が会釈していると、サラスの身の上話が長かったために、知らぬ間に大人数が入り口の前まで接近していた。

 彼らが《ゾロゾロ》と入室すると、最終的には空席の過半数が埋まった。


(ん? あのガンケース持っているのは……フリーさんじゃねぇか。だとすれば明日人もいるはずだが、もうすぐ時間になっても来てないってことは別件か)


 しかも、その中には剱の顔見知りもいた。


「おはよう、千紗殿。本日は俺が進行役を務めるということで良かったね?」

「別に構わないよ、フゥ隊長。誰がやろうと、最終的にメンバー全員が理解できていたら良しだからね」

「なればありがたきこと、精一杯務めさせてもらおう」


 彼の宣言に合わせたかのように、部屋の照明が切られ、この場にいる全員のプロフィールと青い日本地図がモニター上に映される。


「オホン、予定としては10人集まっているはずだが……全員いるようだな。それなら手早く本題に入ろう。これから君達には、中部地方の〇〇村まで向かってもらう」



 目的地の部分が拡大され、赤く着色される。



「界進越が昨日調査した廃倉庫の備蓄によれば、捕虜に食べさせてた米がこの村で生産されていたことが分かった。ただ、千紗殿の目バンリガンをもってして判明した事実もこれだけだ」



「他の食料については、DNAが修復不可能なまでに破壊され、その保管容器に触れた者の痕跡も巧妙に隠されていた。【賜り者】から押収した銃火器も同様だ。私の力が及ばないばかりで申し訳ない」

「良いってことですよ。俺たちが来てすぐに状況が変わるなら、7年も苦労する事なんざありませんからね」


 (『俺たちが来てすぐに』か……)


 千紗は、ダグの記憶を覗いた時に、顔がモザイク処理されたような男から向けられた目を思い出す。

 本当はこの状況も、敵に誘導されたことで出来上がった結果なのかもしれない。

 この場にいる全員に話したいが、今ここで打ち明けても任務に支障をきたすだけになるかもしれない。

 不安定なジェンガのように揺れ動く心情の中で、彼女はただ一言だけ剱に返す。


「……そうだな」


 彼女の言葉に含まれる微小な感情の起伏から、彼も隠し事をされていることを察知したが、その判断を信じて指摘しなかった。



「とにかく話を戻そう。どれだけ根拠が弱かろうが、どれだけ信ぴょう性が低かろうが、【教団】に関係していると疑わしければ、我々は1つもその情報を取りこぼす訳にはいかない」(今回は強く高い証拠を元に遂行するがな)



「作戦の第一段階としては、最前線への指示や支援を行うために、キャンプを村から南東5kmの平地に設営する」



「第二段階は、接近戦が得意で、なおかつ周囲環境に最も適した装備の大嶽剱のみを捜索に向かわせる。単独での理由としては、郵便物などを除けば、この村へ外部から訪れる人は年に2人いるかいないかであり、そこに3人も7人も押し掛ければ、出していた尻尾を隠される可能性が非常に高いからだ」



「そして最終段階、ここは剱少年の動き次第で変わるところだ。彼だけで村の捜索ないし制圧を完了できれば、俺達の出番は後処理だけで終わる。だがもしも、彼1人で手こずるようなことになれば、フリーの援護射撃や増援まで送ることに決まっている」



「伝達内容はこれで以上。質問があれば今のうちだ」


 フゥはメンバーの顔を見比べる。


「ないな? なれば出動だ」

「「「「「「了解」」」」」」


「というわけで、期待しているぞ? 剱少年」


 剱以外のメンバーが離席する中、立ち上がろうとしていた彼の左肩を、自らの左手で軽く揉む。

 そして外す。


 剱は席から腰を上げると、自分より頭一つ低い男と目線を交わす。


「どんと任せて下さい」







(そんで俺は今、五右衛門風呂にゆっくり浸かっているわけだ……)


 ヤマ爺と呼ぶことに決めた老人と話をつけた後、彼に風呂へ入らされた剱。

 少々強引ではあったが、おかげで脚に溜まってた3時間分の疲れが取れ、体は万全に近い状態にまで回復していた。


(だけど、ここで聞き出せる内に聞き出さなければいかないし、そろそろ上がるか)


 湯船から出ると、冷たい井戸水を頭から被って汗を流す。


(いやぁ、本当にこの瞬間が一番スッキリサッパリするぜ)


 体を拭いたり服を着替えたりすれば、ヤマ爺のいる囲炉裏を目指す。

 すると、なにやらかぐわしい香りが、その方から漂ってくる。


(これは……鯛のあら汁か……!)


 持ち前の鋭い嗅覚で正体を明らかにすると。足の運びが速くなり、すぐに香りの元まで辿り着く。


「おうおう、なにを足音荒くさせてたかと思えば、そんなに腹が減ってたか」

「あら、とすればこいつぁ失敬失敬、お恥ずかしいところを見せなんだ。なんせ古くからと言うじゃありやせんか。そいつぁまさにその通り、道を急いで誰とも会わずに10時間も歩きっぱなしだったもんで、俺はもうヘトヘトのペコペコでして……」

「だったらもうすぐ飯ができるから待っとけ。ついでに風呂はどうだった?」

「それはそれはもう天にも昇る心地がしやしたよ。本当に何から何までありがたい限りですわ」

「礼には及ばん、これで心置きなく明日はコキ使えるからな」


 家主が「ぐふふふふ……」と笑う、剱は引きつった笑顔になる。


「……ところでヤマ爺、俺は不思議で仕方なかったんだが、アンタ以外に村人は誰も見当たらなかったのは、こりゃぁ一体どういうことで?」

「なぁに、簡単な話だ。かつてはこの村も大所帯だったんだが、いきなりデッカいクマ公が出没しやがってな、村一番の屈強な男や経験豊富な猟友会の会員でさえも、太刀打ちできずに殺されただけだ。んでクマ公に恐れ慄き、足腰の悪いワシ以外の全員がこの村を出ただけよ」


 話している内に料理が出来上がったタイミングで、ヤマ爺は側に置いていたお猪口ちょこを手に取って《ぐいっ》と煽る。


「っはぁー……当時は“SENSI-1”とかなんとかで大きな話題になってたんだが、知らねぇのか?」

「いや全く、けどもしかすれば、俺の聞いた猛獣ってのはそいつなのかもしれやせんな」

「そうかい……ほいじゃ話も終わったことだ。ワシの分も合わせてお米をよそってこい。もちろん箸も忘れるでねぇぞ」

「承知!」







「それでは……いただきやす!」


 明るい黄色のたくあん、おかずも兼ねた具沢山のあら汁、ほかほかの白飯、それらを綺麗にお盆に並べた夕餉ゆうげを前に、剱は両手を合わせて命に感謝する。


(口開きとして主食から……)


 囲炉裏の火によって、艶々しく照らされるお米を一口運ぶ……


(こ、これは! ウチの天花やお袋たちと張り合えるどころかそれ以上! 硬めに炊かれたことで、噛めば噛むほど胸焼けしない程に上品な甘みが、飲み込むまで口いっぱいに広がり続ける!)


(この赤い汁物もだ! 昆布だしの香りを殺さないよう、焼いてからアラを煮込むことで臭みを消している上に、脂がくどくないどころか越中味噌の特徴とガッチリ調和している! 塩分不足の体に染み渡ることもあって、何杯でも飲めそうだ!)


(たくあんはたくあんで凄いぞ!? 一枚口に放り込むだけでお米が消えていく! 耳に聞こえる咀嚼音も、今まで食べたもののどれよりも聞こえてくる! 楽しい! 楽しいぞこれ!)


「どうだい? 独り身になってから鍛えたワシの料理は?」

「美味い! 美味すぎる!」

「それは良かった。今のうちに食えるだけ食っとけよ?」

「ありがたい! では早速、おかわりしに向かわせてもらいます!」







「普段より多めに炊いとったんだがなぁ……あまり舐めんほうが良かったか」


 腹をさする剱と空っぽになった釜を、ヤマ爺は交互に見る。


「まぁいい、ワシは風呂入るから後片付けを頼んだぞ。ついでに家中の掃除もな」

「承知……さて、腹ごなしに行きますか」


 ヤマ爺が土間から出たのを見送ると、彼よりも速く体を動かして皿を下げて厨房へ、廊下へ、居間へ、脱衣室へ、2階へ、家の隅から隅までをホウキで掃き、雑巾で拭き始める。







「終わりやしたぜ? 他の頼み事とかは?」

「いや……無いな……ワシが風呂にいる間にきっちり終わらせる手際も見事なもんだから、つけるケチも無いわ」

「そこまで褒められると、なんか恥ずかしくなってきやすなぁ」


  剱は頭を掻きながら、照れくさそうににやける。


「まぁとにかく、向こうの部屋で寝床は用意してあるから、あとは自分でやっときな」

「承知、今日はここまでありがとうございやした」


 ヤマ爺にそう言い残すと、剣は部屋へ荷物を移動させ、準備された布団を広げる。

 そして、寝転がった彼の一日旅行体験は「お休みなさい」で締められた。

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