第2話 祝子(はふりこ)②

 日名鳥神社は、一見とても小さな神社だ。

木製の鳥居をくぐると今は狛犬に出迎えられ、そこから数歩進むと小さな拝殿に行き当たる。注連縄しめなわ紙垂しでも控えめな拝殿は本殿と短い廊下でつながって建っていて、そのまわりに簡素な造りの手水舎やいくつかの摂社の祠や神仏習合の名残の鐘楼がきゅっと配置されている。手の平で包めそうな神社だな、と漏刻博士ろうこくはかせがいつか言ったものだ。


 「漏刻博士」とは、このあたりで神々に関するよろず事を仕切っている古い妖の通り名だ。その長身を隠す程の巨大な二枚の翼を持つ妖で、この町の二宮近くに広大な館を構えている。元は高名な古神だろうとか、契約により罪を償っている悪鬼ではないかとか、神鳥ワタリガラスの化身なのでは等、その正体に関する仮説は多いが、昔、野良猫時代に漏刻博士に拾われ、生きながらえている祝子からすれば、勝手に乗ってきた奴も黙って一緒に運んでくれるありがたい船のような存在だった。その船が壊れていようが呪われていようが美しかろうが、祝子には一向気にならない。


 その漏刻博士がこの日名鳥神社を町に設置された八宮の中の五宮に指名した時、境内は森にのまれて荒廃状態だった。それを長い時間をかけてどうにか体裁を整えたのだが、本殿裏にある丘陵地は今もまだ森のままだ。回廊とその周囲だけは定期的に庭師を入れて手入れをしているが、油断するとすぐに獣が跋扈し怪鳥が鳴き木々の枝が絡まり昼間でも暗い深い森に戻ってしまう。それは回廊そのものが妖であるからでもあるのだが、鎮守の森とは程遠い有様だ。


 ともあれ日名鳥神社は、一見とても小さな神社である。

 そしてすぐ隣には地方最大級の敷地面積と年間参拝者数を誇る天鼓来迎寺てんこらいごうじが建っているのだった。

 天鼓来迎寺は年中何かしら行事を開催していて、近隣はもちろん遠方からも参拝客が絶えない、敷地面積を今も拡大し続けている人気の寺だった。

 無論神社仏閣はどこも年間行事に忙しいものだが、日名鳥神社なら宮司の連翹と祝子の二人で大抵の行事を遂行してしまうところを、天鼓来迎寺はすべて人気のイベントに仕立て上げて参拝客を多く集めるのだ。それに加え人形供養や安産祈願、薪能や音楽会にも境内を開放している。また不定期に宝物館の企画展等もあり、つまり常に活気があった。

 それが狛犬阿氏が先刻言ったように「うるさい」のかというと、祝子はそうは考えてはいなかった。


 まず、荒廃していた日名鳥神社が復興出来たのは、その当時から既に活気のあったお隣さんの勢力を借りたところもある。天鼓来迎寺への参拝客がすぐ隣の神社についで参りしてくれるお陰で、徐々に生きた神社として息を吹き返していったものだ。その人の流れは今も細々と続いていて、全くもって有難いものだと祝子は考えていた。

 さらに寺院との関係も良好で、習合分離の歴史を経て静かに隣り合っていた。祝子が寺との窓口になって長いが、歴代のご住職さんは毎月参拝にやって来るし、逆に連翹や祝子が隣の寺に行くこともある。問題があればその際に話し合う程度で日々の細かい交流はないが、概ね上手くいっていた。例えば「鐘」にしても、日々の「時の鐘」は古い鐘楼を持つ神社側が担い、寺が新築した鐘楼は除夜の鐘等の仏事用にするという取り決めがいつの間にか決まっていて、それは遵守されていた。また寺は近年も敷地を整備し増築を繰り返しているのだが、すぐ隣り合わせの神社の敷地については荒れ放題のままに放っておいてくれている。もっとも本殿裏の一帯は様々な伝説付きなので、触れるのを避けているだけかもしれないが、そうであるなら猶更その鷹揚な態度が有難い。他の些事も然り。

 なので、参拝客だけでなく寺の僧侶たちにまで「コバンザメ神社」と時折呼ばれているのが聞こえるくらいのことは、全く気にならない。

 例えば狛犬が愚痴ったように、天鼓来迎寺では喧噪や大音量の音楽が確かに年中響き渡っているのだが、実際すぐ隣とはいえこちらの邪魔にはならないのだ。

 日名鳥神社の境内は結界の中だからだ。結界に潜ってしまえば静かなものだった。狛犬たちはまだ神社に来て日が浅いので、隣からの音をまともに聞いてしまっているのだろう。


 今は朝で、流れて来る音も少なく、祝子は深呼吸一つで結界の繭にすんなり入ることが出来る。神社と寺を分ける竹垣を越えてやって来る朝の読経や参拝客の気配はすぐに遠い潮騒に変化した。

 金木犀の香りだけが変わらず結界の繭を通り抜けて来るのは、祝子の無意識の選択によるものか。


「ほら、静かだね」

 祝子のひとりごとは金木犀の香りよりも密やかだ。

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