第26話








 校舎を出ると、爽やかな日差しが見えてきた。

 ようやく雨を脱した外は、湿度を纏っているものの、不快度指数は心地よい風がさらってくれていた。

 ローファーに履き直し、早く透のもとへ行こうと足も軽い。竹藪に入って、もう迷うこともない道を歩く。かさかさ、と風で揺れる笹の音の中に、いつもはないものを感じた。不思議に思い、辺りを見回す。何か、人の声のようなものが遠くに聞こえる。

 この竹藪は入ったら迷路のようだと感じたことがあったから、迷っているのかもしれない。そうしたら、その人がかわいそうだと思って、その音を辿り、道を外れる。


「あっ」


 高い声が聞こえる。青く太い竹から顔を出すと、二人の生徒が見えた。様子がおかしくて、目を凝らす。大柄の青年はトレーニングウェアの姿で、おそらくサッカー選手のように見える。その影に、細い金の髪の毛をはらはらとはためかす小さな少年が見えた。

 乾いた音が辺りに細かく響いている。その度に、高い声が漏れ出でる。後ろからサッカーの青年が、細い腰を掴んで、打ちつけている。


「あっ、あんっ、それ、いいっ…あ、ああっ」

「あー、イキそう…こっち向いて…」


 少年の片足を抱きかかえると、ぐじゅり、と水音を立てて、二人の接合部分が見えた。


(あ…、え…こ、これって…)


 たくましい竹に手をついて、上半身をひねり妖艶に笑む少年は、もうもじゃもじゃではない転校生だった。転校生は下半身には何も身に着けておらず、美しい肢体を笹の中で露わにしている。はだけたシャツの下に男の手が差し込まれる。青い瞳を濡らし、ピンクの頬を真っ赤に染めた少年は、嬉しそうに微笑んでから目の前の青年の首に腕を回して、食べ合うようなキスをする。


「ん、んぅ、ぁ、んん…っ、きもち、…ぁん、あっ、きもちい…っ」


 くちゅくちゅ、と口元から音をさせて、息継ぎの合間に声を漏らす。雫をつけた長い睫毛を持ち上げて、うっとりと目の前の青年の瞳を見つめる。その表情や声、色香に狂うように、青年の腰使いはどんどん荒くなる。二人の獣のような息遣いが地面から浸食してくる。


「あんっ、それ、だめえっ、あ、あっ、子宮、にキス、してるっ、きもち、すぎる、あ、ああっ」

「は…、やば…っ」


 サッカーウエアのパンツが、どんどんずり下がっていく。引き締まった青年の臀部が見えてきて、速度は増していく。その度に、甲高く転校生は甘く鳴いて、白いソックスを履いた茶色のローファーがぶらぶらと揺れ、時たま、ぴん、と伸ばされる。


「ナカ、ナカに、出してぇっ、あん、んっ、僕に、マーキングしてっ、僕の、アルファに、なってっ、ん、ぁん、あっ」


 桜貝のように美しい指先が、黒いシャツの背中を辿って、筋肉の均整の取れた臀部を撫でて掴む。


「あっ、いく、イク、あっ、一緒に、イこっ、かやの、ナカに、びゅーっし、てえっ!」

「あ…イク、香耶、イクよ…っ」


 甲高い声が大げさな響き渡ると、二人の身体がびくんびくん、と震えた。しばらくすると、二人は頬を撫で合って、名前を囁き合ってキスをする。まるで恋人同士のように。


(どうして…、彰は…、なんで、ここで…、どうして…)


 頭の中は疑問でいっぱいなのと、初めて見た人の性行為に混乱していた。

 獣のように貪りあう二人の姿は、怖かった。


「そろそろ練習戻らないと…」

「えー…、もっと、シたいよ…、だめ?」

「バカ、とまんなくなるだろ…」

「あん…っ、我慢しなくて、いいよぉ…んぅ」

「だーめ。また明日な」

「んー…、絶対ね?」


 何やら衣類を整え始めた様子がわかって、僕は急いで抜けた腰に気合いをいれて、なんとか走り出した。






(彰と、転校生は…香耶という転校生は、好き合っているのではないの?)


 香耶が彰の前で見せる振る舞いと空気は、明らかに両思いの恋人同士のものだと思っていた。けれど、目の前で、香耶という美しい少年は天使の顔を淫魔のように変えて、艶やかにアルファと睦ぎ合っていた。それも濃密に。

 お互いの名前を呼んで、キスをして、もっとしたいと強請る。

 明らかに、突発的な発情があったという空気でもなかった。

 それは、愛し合う者同士、ではないとしたら、なんと言うのだろうか。

 いくら色事にうとい僕でも、彼らが愛し合っていることはわかる。だけれど、そうなると、彰との関係性が見えない。

 香耶の相手は、学園内でも人気のあるサッカー部の確かキャプテンを務めている生徒だ。僕でも見たことがある。爽やかな笑顔と甘いマスクで、多くのファンが学園内外問わずいる。プロ入りもカウントダウンの実力もある優秀なアルファで、いつも生徒同士が取り合っているという噂を耳にしたことがある。その彼と香耶が、どうして…。


「あれ、依織先輩?」


 プランターを抱えた透が現れて、思わず肩が跳ねて身構えてしまった。

 気づけば、のろのろとした足は慣れた道を歩いて、もともとの目的地だったこの場所に到着していたらしい。

 日当たりが良い場所にプランターを降ろした透は、軍手を脱いでシャツの裾で手をこすった。


「依織先輩、どうしたんですか?」


 くす、と笑った透は僕に近づいてきて、手を差し伸ばした。ふわ、と透の温かで、甘やかな香りが鼻腔をくすぐると、背筋がざわめく。固まって目を見開いたまま透を見上げていると、透は指先に笹の葉をつまんで笑いかけた。


「かくれんぼでもしてたんですか?」


 何の気もなし、透はいつものように無邪気に笑った。僕の耳の奥は地響きのような鼓動がうるさい。首の裏が、やけに熱くて、思わず手のひらで隠すように撫でた。


 発情期中に見た夢で、透との行為はしあわせそのものだったはずだ。

 けれど、もうその夢も、どこか薄れていた。


(僕も…、いつか、透と…)


 あんな姿になるのだろうか。

 下品だとわかっていながらも、脳の溶けた僕はそう考えずにはいられなかった。

 知らない二人の性行為は、怖かった。

 けれど、透が僕を、あんな風に求めてくれたら。

 僕も透を求められたら…。それは、なんだか、嬉しいことな気がする。


「依織、先輩…?」


 ふ、と零れた息は濡れた唇を撫でて、やけに熱を帯びていた。透は、眉をひそめながら、僕の顔をうかがっていた。その瞬間、いやらしい自分に気づいて、耳の先まで熱が高まる。


「ご、ごめん! なんでもない! なんでもないから!!」


 急いで後ろに飛びのけて透に背を向けて走り出して、植物園の中に隠れるように入った。

 その後も、妙に透の匂いに敏感になってしまって、半歩、距離をとるようにしていたら、透がずっと何かあったのではないかと気にかけてきて、素直に事件のことから自分の思っている下品でいやらしいことまで話すことはもちろんできないため、曖昧に逃げることばかりに気が捕れられ、げっそりした日になってしまった。





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