第5話






「いーおり」


 4時間目終了のチャイムが鳴り響き、教師が教室を立ち去る前に後ろから抱きしめられる。いつものことのはずなのに、どきりと身体が硬くなる。頬をすり、と擦り合わせられる。自分の異変を飲み込むように、笑顔をつくって振り返る。すぐ目の前に、琥珀色の瞳がじっと僕を見つめていた。すると、にこりと頬を染めながら甘い笑みを浮かべて、彰は囁いた。


「寮でサンドイッチつくってもらったから、今日は中庭で食べよ」

「食堂はいいの?」


 身体を起した彰は、茶色い紙袋を掲げながら教えてくれた。しかし、彰は食堂の日替わりランチを吟味するのが好きだと以前言っていたことを思い出す。現に、この学園でもほぼ食堂でランチを共にしてきた。

 こうして、何かを持参することは非常に珍しい。

 小首をかしげて彰を見上げると、彰はにやりと笑って、人差し指を立てた。


「ふっふっふっ…なんと、依織の好きなエビアボカドサンドイッチをつくってもらいました!」

「え!」


 空腹に胃がきゅう、と主張する。エビもアボカドも僕の大好物だった。小さい頃からずっと一緒にいる彰は、僕の好みはすべて知っていた。


「しかも、依織の大好きなベーカリーの食パンでつくってもらいました!」

「…っ!」


 小麦粉の良い香りのする、大好きなパンズを思い出すと唾を飲み下す。

 僕の表情を見ると、彰は嬉しそうに目を細めた。そして、いくよ、と明るい声色で僕の腕を掴んで、中庭に向かって歩き出した。


 大きなカエデの木の下にあるベンチで二人で並んで食べる。

 彰はローストビーフとBLTサンドを四切れ食べて、さらにハンバーガーまで食べていた。僕は、彰から受け取った小さい四角のされたエボアボカドのサンドイッチとフルーツサンドを数切れもらった。お腹がいっぱいで食べきれなかった分は、彰が喜んで食べていた。パンくずを口の端につけて、大きな口をあけて頬張る姿は愛らしくて、つい笑ってしまった。それに応えるように、彰もなんでもないのに、くすくすと笑い始めてしまう。


(よかった…)


 いつもの、僕たちだった。

 学力も、身分も外見も、すべてそろった完璧なアルファらしいアルファの彰がおちゃめで、僕よりも年下に見える可愛らしい姿に身体がぽかぽかとするような温かな気持ちになる。

 いつもの、彰だった。


 だから、たらふく食べた彰が、心地よさそうに瞼を降ろして、ベンチに横たわり、僕の膝の上に頭を乗せてきても、湧き上がる多幸感のまま、頭を撫でて受け入れた。彰の柔らかく細い髪の毛に指先を通すと、ふふん、と鼻を鳴らして擦り寄ってくる。大型犬がなついてくるようで愛らしい。

 入学当初は、天気がいい日は、こうやってどこかのベンチで二人で昼食をとっていた。まだ、僕が、外部生としての好機の視線に耐えられなくて疲れているときに、彰は目敏く気づいて、アルファの寮母にねだって色々なお弁当をつくってもらっていた。それは、全部、長年連れ添った彰だからわかる、僕の昔からの大好物を中心としたものだった。

 初夏を告げる爽やかな風が、彰の前髪を揺らす。長い睫毛をくすぐり、彰も心地よさそうに鼻歌を歌っていた。

 穏やかで温かい、大切な人との時間に僕は、ここ数日の彰の姿は幻だったんだ、と心から思えた。

 友達、と言うには物足りなさを感じて、家族というにもそれ以上の何かを感じる彰に、今まで感じなかった恋人、という存在がついに見えてしまって、気が動転していたからだ。

 だから、彰から高圧的な、威圧的な何かを感じてしまった。


「ん~、夏の匂い…きもちいーね」


 かさかさと、梢が風に揺れて、光が彰の睫毛を透かす。


(応援しよう)


 彰に恋人ができたのであれば。

 それは、嬉しいこと、のはずだ。

 僕の胸がちくちくと痛むのだって、時が解決してくれるはずだ。

 彰には彰の人生がある。

 彰のことが大切だからこそ、それを僕が、阻むことは、僕が許せない。


 柔らかな日差しが長い睫毛の影をつくる。それを、そ、と触れ、撫でると、ゆったりと長い睫毛が持ち上がって、翡翠色にも見える、透けた瞳が僕を捕らえた。それから、甘く細められて、僕の引こうとした手首を握りしめられて、手首に唇が触れた。ぴく、と指先が固まったが、彰は機嫌良く、深呼吸をした。


「んー…、いい匂い…、依織、そろそろだね?」


 ぎらりと光った瞳は、アルファのものだった。どきりと心臓が跳ねる。

 手首を引きたいのに、彰は笑顔のままちらりと八重歯を見せて微笑んだ。


「副作用、つらいんでしょ?」


 彰の親指が僕の手首を撫でる。背筋をざわめきが走り、こめかみに汗がにじむ。

 小さくうなずくと、彰は手首にキスをした。


「俺、いつでも相手するよ?」


 それはできない。

 急いで首を横に振ると、彰は、眉を寄せて僕を睨んだかと思ったが、すぐに頬をふくらまして子供のように僕を見上げた。

 身体を起した彰は、捕まえた手首をそのままに身体を僕に寄せる。その手首を両手で大切に包んで、手のひらを指先でなぞり、指の間に彰の細くて長い指が差し込まれる。


「俺は、依織のアルファだから」


 ね、と笑顔で首をかしげた彰は無邪気な表情なのに、絡めるように握られた指の力がやけに強い気がした。

 乾いた口の中をなんとか唾を飲み下ろして、僕はうなずいて口角をあげた。



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