祈りの果ての景色
小土 カエリ
第1話 目覚めるモノ
夢の中、レイは王城のバルコニーに立っていた。静かな夜の風が優しく彼の頬を撫で、遠くの地平線には無数の星々が輝いている。その横に立つのは、鮮やかなドレスを纏った一人の女性。彼女の存在はどこか温かく、安心感を与えるものであったが、その顔は光のベールに包まれ、はっきりとは見えない。だが、その声だけは心の奥深くに届いた。
「ねえ、レイ。あなたのおかげよ。ありがとう」
優しい声で、彼女は彼にそう語りかける。声には深い感謝が込められており、まるで何か大きな使命を成し遂げたかのような言い方だった。だが、当の本人にはその言葉の意味が掴めない。彼は何を成し遂げたというのだろうか?
「そうね。あなたが居れば、もう安心ね」
彼女の瞳がまるで未来を見据えるように、穏やかでありながらも確信に満ちたものだった。
「愛してるわ」
そう言って、彼女はそっとレイを抱きしめた。その瞬間、レイの胸に温かい感情が流れ込む。だが、その感情は次第に曖昧になり、彼女の顔も姿も、次第に霞んでいく。
「あの顔は、あの姿は、一体──」
言葉にできない疑問がレイの心をかすめるが、その問いかけは消え失せ、彼はふっと目を覚ました。
目を開くと、周りは見慣れない空間だった。高い天井と美しく装飾された石造りの壁が彼の視界に映り込む。そしてその周りには、多くの魔法使いが集まっていた。彼らは長いローブを身にまとい、まるで儀式の成功を祝うかのように興奮している。
「おお、やった!ついにやったぞ!」
年配の魔法使いが、歓喜の声を上げる。その顔には長年の苦労が報われたかのような満足感がにじみ出ていた。
魔法使いの歓声が響き渡る部屋は、どこか妙に冷たい空気を孕んでいた。彼らの歓喜とは裏腹に、その少年の中に広がるのは、ぽっかりとした空虚感だった。
「我らの悲願を見届けることができるとは…!」
別の魔法使いが涙を浮かべながら、胸に手を当てている。彼の言葉には、長い年月をかけた計画がついに成就したという思いが込められていた。
「王妃、おめでとうございます…!」
さらに別の魔法使いが、興奮した様子で誰かに向かって頭を下げる。その目線の先には、かつて夢の中で見たような姿をした女性が立っていた。だが、その女性の顔は、レイにははっきりと見えなかった。
夢の中の彼女と、ここにいる彼女が同一人物なのか、レイには確信が持てなかったのだ。ただ、どちらの彼女も、言葉にできないほど懐かしい存在に思えた。
彼らの言葉や行動が次々と耳に飛び込んでくるが、レイはその全てをただぼんやりと受け止めるしかなかった。何が起こっているのか、なぜ自分がここにいるのか、その全てが謎だった。自分は誰なのか?何者なのか?頭の中で浮かび上がる疑問に、答えを見つけることができないまま、彼はただ周囲を見渡していた。
その時、ふと自分の足元に目をやると、奇妙なことに気づいた。自分の影が、いつもと違う。影の中に何か、あるいは誰かが潜んでいるかのような感覚があったのだ。
「誰?」
レイが問いかけた瞬間、影が微かに揺らぎ、その中から赤い光が生まれた。それは目だった。鋭く、しかしどこか穏やかな光が彼を見据える。
「ゼンだ」
影の奥から、低く深い声が響く。その声に、レイはなぜか安堵すら覚えた。
「ゼン…よろしく」
彼はその名前を口にした瞬間、自分の中で何かが変わる感覚を覚えた。
「…ああ、よろしく」
ゼンが影からゆっくりと姿を現し、彼の声に応える。
そのやりとりが終わった後、レイは周囲の魔法使いたちによって慎重に立ち上がらされた。彼らの手はまるで壊れ物を扱うかのように優しく、そして敬意に満ちていた。彼が立ち上がると、彼らはそのまま彼をある方向へと導いた。
「さあ、謁見の間へ」
彼らの声は一様に興奮を隠しきれず、その目には何かを期待する光が宿っていた。まるで、レイがこれから何か偉業を成し遂げるのを信じて疑わないかのように。
豪奢な装飾が施された大きな扉が、彼の目の前でゆっくりと開かれていく。その向こうには荘厳な空間が広がり、まるでこの世の全ての権威と力が集結したかのような空気が漂っていた。レイは自然とその空間に引き寄せられ、やがてその中心へと足を踏み入れた。
レイはまだ少しぼんやりとした意識の中、周囲を見渡した。自分を囲むのは、10人以上の魔法使いだった。彼らは色とりどりの豪華なローブを纏い、緊張感の漂う空気の中で囁き合っていた。その目には期待と歓喜が交錯しており、全員が一心にレイの動きを見守っていた。
だが、レイの視線は自然と自分の足元へと引き寄せられた。そこには黒い影があり、影の中から、まるでそれが自分自身の一部であるかのように、しなやかに現れたのはゼンだった。ゼンの体は、影のように黒く、どこか液体のような不思議な質感を持っていた。その形状は流動的でありながらも、鋭く美しい龍の姿をとり、その赤い目が鋭く輝いていた。まるでレイを保護するように、彼のそばに寄り添っている。
レイ自身の姿も、周りの人と比べて見るからに異質だった。長い獣の耳を持ち、白銀の髪が目の辺りまで流れている。その顔立ちは美しく整っており、どこか儚げな印象を与える。しかし、着ている服──メイドたちに着せられた衣装は、初めてのはずなのに、なぜか妙に馴染んでいる感覚があった。黒を基調にした装いで、装飾は繊細で豪華だが、どこか戦闘に備えたようなデザインが施されていた。
レイたちがいた部屋の周囲は、広々としていたが、どこか不気味だった。壁一面に並ぶガラスタンクの中には、何か得体の知れないものが浮かんでいる。
タンクの液体は鈍い光を反射し、浮かぶものの輪郭をぼやけさせていた。人型のものもあれば、異形の影が蠢くものもある。彼は目を逸らしたくなる衝動を感じながらも、タンクの中に自分の面影を探していた。タンクの中の影が自分の顔を映し出しているような錯覚を覚えたのだ。
だが、それはすぐに溶けて消え去る。まるで、自分自身がそこに存在しないかのようだった。
タンクの中にあるそれらの存在が生き物なのかどうか、レイには判断できなかった。ただ、彼自身とゼンが入っていたタンクが他のものに比べて二回りほども大きかったことに気付いた。それが意味するところはわからなかったが、部屋全体に漂う異様な雰囲気が、彼の胸に不安を呼び起こしていた。
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