第21話「本当に...反吐が出る...」
広々としたタイナカ・エレクトロニクス社の特別訓練所に冷たいアナウンスが響き渡る。
「EXM-002A、これより戦闘試験を開始する。今回は疑似人格を起動した状態で行う。起動しろ」
訓練所の壁に備え付けられたスピーカーから、嶺二とは異なる研究員の声が冷静に告げる。
響く声の指示を受けて、里保はゆっくりと目を開ける。
瞳の奥に宿るのは、機械然とした冷たさの中に潜む一抹の決意だった。
「はい、“間宮里保”起動致しました」
今日は、里保が戦闘用アンドロイドとしての実力を試される日。
この試験は、彼女にとって集大成とも言えるものであり、これに合格すれば試験機としての位置付けを卒業し、一つの到達点となる。
だが、彼女の内心には別の懸念が湧き上がっていた。
「(…やはり嶺二は居ませんね)」
里保はふと視線を上げ、観客席に目を向けた。その場所に嶺二がいるはずだった。
しかし、嶺二はこの試験の開始前に「急用で少し外す、試験までには戻る」と告げていたにもかかわらず、まだ姿が見えない。
彼の存在が心にかかりながらも、彼女は再び意識を研ぎ澄ます。
再びスピーカーから指令が下される。
「試験内容は簡単だ。このフィールド内に戦闘用アンドロイドARM400が10体いる。方法は何でもいい、破壊しろ」
命令と共に、里保は戦闘モードへと切り替えた。
思考も身体も、鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていく。
「了解しました」
里保はすぐさま駆け出し、前方にあるキルハウスへと突入する。
小さなブーツが地面を切る音だけが響き、彼女は迷いもなく角を曲がる。
次の瞬間、黒い戦闘スーツを着用したアンドロイドと対峙した。
その黒を基調とした装甲の中に、冷酷な目的だけが込められているように見える。
里保は一瞬の隙も見逃さず、手にしたナイフを振りかざす。
彼女の動きは電光石火で、瞬時に敵の首の急所を突き、完璧な一撃で機能停止に追い込んだ。
相手が倒れる前に里保はすでに次の行動に移っている。
「(これで二体目...)」
そのまま進むと、三体目、四体目と次々にアンドロイドが現れる。
敵の攻撃を冷静に回避し、的確に急所を狙い撃ち、ナイフで仕留めていく。
強力なアンドロイドが相手であろうと、里保の技術と精密な動きは揺るがない。
彼女はひたすら進み、敵を倒し続けた。
ふと、再び観客席を見上げるが、まだ嶺二の姿はない。
里保は小さく息を吐き、考えを切り替えようとするが、微かな寂しさが胸をよぎる。
「(来てくれないのでしょうか...)」
その瞬間、スピーカーから再び声が届いた。
「002A、残数は6だ。素早くやれ」
言葉を受けて里保は駆け出す。その瞳には、焦りと期待が交錯していた。
「急かしてくれますね…!」
無機質な声の指示に心の中で応えつつ、里保は進む。
次々にアンドロイドを倒していき、その場に残るのは破壊された金属の残骸ばかり。
彼女はその度に己の存在意義を噛み締め、嶺二の期待に応えるべく動き続ける。
「(これまでは問題無し…もう少しです、もう少しで私は貴方の...!)」
里保は嶺二の研究の成果である自分を証明したいと強く願っていた。
この試験に合格することこそ、彼への恩返しであり、自らの存在価値の証明になる。
やがて、キルハウスを駆け抜けた先の開けたエリアに、最後の一体が立ちふさがっていた。
中央にたたずむそのアンドロイドは、圧倒的な存在感を放っている。
「あと一体...!」
里保はその姿に集中し、ナイフを構え直す。
全てを捧げるような一瞬の突撃――そして、里保は迷わずナイフを振り、相手の胸部に突き刺した。
動力部に命中し、アンドロイドはぐったりと倒れ込む。
戦闘が終わり、全ての敵が沈黙を迎えた瞬間、里保は再び観客席に目を向けた。
だがそこには、誰もいなかった。
「?」
里保の口から漏れたその一言は、訓練場の静けさに吸い込まれた。
次の瞬間、観客席から一斉に拍手が湧き起こり、困惑したまま周囲を見渡す里保に気付いた数人の研究員がにこやかに近づいてきた。
里保は少しの安心を覚え、彼らに向かって歩み寄る。
「これで試験は終了ですね、間宮博士はどこに?」
里保の問いかけにも、研究員たちは微笑を絶やすことなく拍手を続け、返答はない。
不安が静かに胸を締めつけ始めたが、里保はもう一度尋ねた。
「あの…間宮博士は...?」
だが、再度の問いにも返事はなく、彼らの視線が自分から逸れていることに気付いた。
その先には、自分が先ほど倒したアンドロイドが倒れたまま静かに横たわっている。
まさか。
里保の頭に一つの考えが浮かぶ。
それが恐ろしい仮説であることを理解しながらも、無視するわけにはいかなかった。
「あ…あの、間宮博士は...」
思わず声が震えた。
もしその考えが真実であるならば、これまでの日々が全て覆されてしまう。
再び彼女は問いかけたが、研究員たちは変わらずニコニコと笑ったまま拍手を続けているだけだった。
やがて、里保の中でその仮説が確信へと変わっていく。
「そんな…ありえない!」
里保は駆け出した。
「そんなことはあってはならない!」
アンドロイドのもとへと向かい、震える手で倒れた存在のフルフェイスメットに手を伸ばす。
そして、そっとメットを外した瞬間、信じたくない光景が目の前に広がった。
「なんで貴方がこんな所に居るんですっ!」
その素顔は、間宮嶺二のものだった。
彼の肌は青白く、唇は血色を失っているが、微かに息をしている。
「まったくきみは…本当によくできたアンドロイドだEXM-002A」と、嶺二は咳き込みながら口を開いた。
「喋らないでください!今すぐ治療を…」
里保は叫ぶように訴えた。
「いい、そんなことをしなくても…」
嶺二は辛そうに微笑むが、その笑みにはかつての温かみがない。
「はやく!医療機関へ…」
里保は振り返り、研究員たちに助けを求めて叫んだが、彼らは動こうとしなかった。
「…いいと…言っているだろう…そんな三文芝居は…やらなくても…」
嶺二の口調は穏やかだが、どこか冷ややかさが混じっていた。その変化に里保は言葉を失う。
「え…?」
混乱の中で、彼の言葉の意味が理解できない。
「大体わかって…いるだろう…もう助からないと…」
嶺二の声が次第に弱まっていく。里保は必死に声を振り絞った。
「そんな…そんなことは…」
「そういう所が…きらいだったのさ…私は…」
嶺二は柔らかい笑みを浮かべたまま、はっきりと告げた。
「きらい…?」
里保の心に疑問が浮かぶ。彼女は突然の言葉に呆然としてしまった。
「これまでの…家族ごっこも…君が見るその視線も…」
「全てが嫌だった」
嶺二は、にこやかに語り続ける。
しかし、その穏やかな表情とは裏腹に、言葉には容赦のない冷たさがこもっていた。
「最後…だか…らね…教えて…あげよう」
「やめて…ください…」
里保は恐怖に震え、か細い声で訴える。
だが嶺二は意に介さず言葉を続けた。
「なぜ…君を嫌い…ながら…もここまでしたのか」
「聞きたくありません!やめてください!そんなの貴方らしく…」
里保は否定したかった。
嶺二の言葉が、今までの全てを否定しているかのように感じられたからだ。
「…完成のためさ…真のアンドロイド完成のため…」
嶺二の声がかすれ、さらに力を失っていくが、彼の目は里保を見据えている。
「わかったんだよ…お前たちアンドロイドは強いショックが…加わると目覚めるんだよ」
「やめて…ください、もうやめて…」
何もかもが破壊されていく感覚に、ただ声を上げることしかできない。
「自意識と…意志に目覚め…感情を持つようになるとね」
「だからお前を…ここまで育てた…私という存在に…対して強い...感情を抱くように...するのは大変だった…」
嶺二の語る内容は、里保がこれまで大切にしてきた日々を、感情を、全て否定するものだった。
「苦痛の日々...だったよ、お前のような...アン...ドロイドと...家族...なんて...」
彼は声を詰まらせつつも、にこやかに微笑む。
「本当に...反吐が出る...」
その微笑みは、かつて里保が何度も見てきた、優しさに満ちた笑顔と同じだ。
だが、今その笑顔は彼女に向けた冷酷な刃となって彼女を刺し貫いている。
「そ…んな…」
心が深く傷つき、ボロボロに崩れていく。
これまでの日々が、嶺二の一言で無意味に感じられてしまう。
「さぁ…感じるだろう…?EXM-002A、自分の中で…わからないナニかが生まれてようと…しているのが…」
「あ…」
胸の奥に渦巻く何かに、里保は気付いた。
まだ形のないそれが、抑えきれない力で心を揺さぶっている。
「もう止められない…止まらない…お前は新た…な…存在へと…!」
嶺二は里保の頬をそっと撫でる。
それは、まるで本当に愛しいものに触れるかのような仕草だった。
「完成だ…わたしの最高傑作…!」
その言葉と共に、嶺二の息は静かに途絶えた。
里保の胸に、込み上げる感情が一気に爆発する。
「うわああああああああ!!!」
その悲痛な叫び声が特別訓練所に響き渡る。
愛情と憎しみがない交ぜとなり、間宮里保は新たな段階へと進化を遂げたのだった。
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