鳥にウンコされて思い出した話
先日、奉務先の神社にて朝の境内清掃をしていたところ、頭の上に妙な感触があり嫌な予感がしました。
触ってみると、嫌な予感の通り鳩のフンでございました。
その後、社務所の潔斎所にて身を清めました。
現代の水道やガスなど生活インフラは非常に便利であり、このような際は風呂で洗い流し漂白剤を入れて衣服を洗濯機にかければ終いでしょう。
しかしながら、厭魅呪術の類渦巻く平安の時代においてはこの鳥のフンも命に関わることもあります。そのような話をご紹介致します。
『宇治拾遺物語』第二巻二六「晴明蔵人少将封ずる事」
むかし、晴明、陣に参りたりけるに、前花やかに追はせて、殿上人の参りけるを見れば、蔵人の少将とて、まだわかく花やかなる人の、容體(みめ)、まことに清げにて、車よりおりて、内に参りたりける程に、この少将のうへに、鳥の飛てとほりけるが、糞(ゑど)をしかけけるを、晴明、きと見て、「あはれ、世にもあひ、年などもわかくて、容體(みめ)もよき人にこそあんめれ、式にうてにけるにか、この烏はしき神にこそ有けれ」と思ふに、然べくて、此少将の生くべき報やありけん、いとおしう、晴明が覚て、少将のそばへ歩みよりて、「御前へ参らせ給か、さかしく申すやうなれども、なにか参らせたまふ。殿は、今夜えすぐさせ給はじと見奉るぞ。然べくて、をのれには見えさせ給へるなり。いざさせ給へ、物試みん。」
とて、ひとつ車の乗りければ、少将わななきて、「あさましき事哉。さらば、たすけ給へ」とて、ひとつ車に乗て、少将の里へ出でぬ。申の時の事にてありければ、かく、出でなどしつる程に、日も暮れぬ。
晴明、少将をつと抱きて、身がためをし、又何事か、つふつふと、夜一夜いも寝ず、声だえもせず、読きかせ、加持しけり。秋の夜の長に、よくよくしたりければ、暁がたに、戸をはたはたとたたきけるに、「あれ人出して、きかせ給へ」とて、聞かせければ、この少将のあい聟にて、蔵人の五位のありけるも、同じ家に、あなたこなたに据ゑかりけるが、此少将をば、よき聟とてかしづき、今ひとりをば、殊の外に思落したりければ、ねたがりて、陰陽師をかたらひてしきをふせたりける也。さてその少将は死なんとしけるを晴明が見付て、夜一夜祈たりければ、そのふせける陰陽師の許より、人の来て、高やかに「心の惑ひけるままに、由なく、まもり強かりける人の御為に、仰を背かじとて式をふせて、既にしき神かへりて、をのれ、只今式にうてて、死に侍りぬ。すまじかりけることをして」といひけるを、晴明、「これ聞かせ給へ。夜部、見付参らせざらましかば、かやうにこそ候はまし」といひて、その使に人を添へて、遣りて聞ければ、「陰陽師はやがて死にけり」とぞいひける。
式ふせさせける聟をば、しうと、やがて追い捨てけるとぞ。晴明には泣く泣く喜びて、多くの事どもしてもあかずぞよろこびける。
たれとはおぼえず、大納言までなり給へるとぞ。
塚本哲三 編『宇治拾遺物語』有朋堂書店 昭和6年 60ー62頁 第二巻二六「晴明蔵人少将封ずる事」 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/1108723/1/9
より
この逸話を要約いたしますと、
安倍晴明が内裏に勤務中、蔵人少将(蔵人とは代理の雑務にあたる官人のことで個人名ではない。少将も位であるから個人名は不明)が内裏へ参入しようとしたところ、飛んでいたカラスに糞を落とされた。それを見た晴明は、「あの少将に糞を落としたカラスは陰陽師の式神であり、呪いをかけられた少将は近いうちに死ぬであろう。将来有望だし、余計なお世話かもしれないけど一応声掛けてみるか。」といった具合でその旨を少将に申し上げました。
すると少将は
「いやそんなん言われたら怖すぎるやろ。なんとかしてくれへん?」
と晴明に頼みその晩「身がため」と呼ばれる呪詛返しの方法を一晩中行いました。
すると明け方に屋敷へ人が尋ねてきます。
その尋ね人は「はじめまして。今日蔵人少将を呪った陰陽師の使いなんだけどさ、お前強すぎん?呪い返って来て本人死んだんだけど。あとさ、呪い頼んできたの蔵人少将の妻の姉妹の夫ね。舅に可愛がられてるのが気に食わなかったらしいよ。」
これを聞いた蔵人少将は舅に事の経緯を報告し、晴明に沢山謝礼したそうです。彼は後日大納言にまで昇進しました。
この話にある通り、平安時代においては鳥のフンが落ちただけでもこのような騒ぎになり死人が出ることもありました。
現代ではなぜこういった話が生まれないのか、不思議ではありませんか。この当時の話が全くのでっち話で面白おかしく嘘を書いているかと思う方もいるかもしれませんが、そうではございません。
私の私見ですが、現代で呪術を扱うのは非常にコスパが悪いのです。
呪いの技術が失われ、扱える人間の質も落ちた。更には修行の場も開発などにより悉く消えてしまいました。
そんな限られた環境で何十年も修行をしてやっと力が身についたとしましょう。
「呪い屋さんはじめました。」とか言っても誰も相手にしてくれないわけです。
それに、呪わなくてもSNSでアンチコメント数十件書き込めば呪いに匹敵する嫌がらせできますからね。こんなものはものの十数分で可能なわけでございます。
何十年も修行を要する「呪い」などという技術は加速し続ける時代に取り残された過去の遺物にすぎません。
それに対し、「祈り」は現代においても廃れるものではございません。
現に、呪いの文化は消えても神社や仏閣は残っているのが事実です。
この美しい文化を体現し、次世代に継承していくことこそが、日本人としての役目であり、先人から託された責任でもあると感じております。
令和6年10月23日
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