朱の巫姫、黒の貴公子【二】
人が三人いると、二対一に分かれがちだという。琥珀には経験がなかった。何せ、近くにいるのは木楊ただひとりきりだったので。けれど、よく考えると紫嵐・木楊と三人で旅をしている間は、木楊が一歩引いていた。それは彼がひとりだけ身分違いであったこともあるだろうが、そもそも三人組というのがそういう構成になりがちなのだ。
四人ならば普通、二対二の引き分けになるのではないか。そんな琥珀の考えは甘かった。ふたりずつに分かれるのなら、一応は夫婦である自分と紫嵐、それから黒麗と朱倫となるのが自然だと思っていたが、そうではない。
どころか、二対二でもないのである。自分以外の三人は最初から顔見知りで、軽口を叩きあえる仲である。いつも仏頂面の紫嵐に、彼が笑うか否かを問題とせずに冗談を飛ばす黒麗。恐れることなくべたべたと紫嵐に触れる朱倫。三対一。燦里がいたとしても、彼女は朱倫にしか興味がないために、あちら側に行ってしまう。これで四対一。
もしもお前が一緒に来てくれていたのなら――……。
琥珀はそこまで書いて、ぐしゃぐしゃにして屑入に捨てた。無事に朱雀国へ着いたことを木楊に知らせるための手紙を書いていた。こんな情けない心情を吐露してはいけない。木楊は大学で、様々な知識を吸収している最中である。邪魔はできない。
改めて筆を執るが、元気でやっているか、と書いた後が続かない。朱雀国のあれこれを綴って聞かせるには、琥珀の語彙が足りないのもそうだし、朱倫について触れるとなると、不愉快な思いをしている、という余計なことを書きそうだった。
自分で書けると言い張ったが、やっぱり紫嵐に頼めばよかったか。
自分の文才のなさに溜息をついて、窓の外を見る。巡礼者が宿泊する宿は、貴人も泊まる場所だが、どの部屋も簡素なつくりをしている。黄王の前では、どんな人間も平等であるということなのだろう。
部屋の調度品は必要最低限の実用的なものしかないが、その分、大きな窓がつけてあり、貴山がよく見える。どんなに晴れた日でも、山頂を雲に覆われたままの山が。
「ん?」
宿の庭には木が植えてある。視界に入った枝には、何かが引っかかっていた。それから、わあん、という盛大な泣き声も。
琥珀は気分転換がてら、階段を下りて外に出る。泣いているのは、宿の末息子だった。そのすぐ上の姉は、「馬鹿、泣くな。あたしがなんとかする」と、自分も不安げになりながら、木の上を見つめている。
「どうしたんだ?」
琥珀が話しかけると、しつけの行き届いた姉は、びくっと反応して「お客様には、迷惑かけられません」と、介入を固辞した。しかし弟はといえば、自分よりもずっと大きな――同世代の平均的な男に比べると小柄だが――男の脚に、ひっしとしがみついた。
「お兄ちゃん、凧」
「凧ぉ?」
樹上に引っかかっているのは、よく見れば確かに凧だ。庭で遊んでいて、風に飛ばされてしまったのだろう。
「大丈夫です! わ、私が取りにいくので!」
姉は言い張ったが、朱雀族の翼は見掛け倒し。本性をあらわしたときは別だが、人型のままでは自分の体重を持ち上げることすらできず、飛行能力はない。だから木登りをしなければいけないのだが、彼女の腕は年齢に見合って細く、手のひらも柔かそうだった。
琥珀は男児の頭をガシガシと撫でると、「兄ちゃんに任せときな。俺は白虎族だし、昔から木登りが得意だったんだ」と請け負って、久々の運動に肩をぐるぐると回した。
木登りが得意なのは嘘でも誇張でもなんでもなく事実で、琥珀はするするとのぼっていく。下から先ほどまで泣きべそをかいていた子どもが、「すごいや!」と、歓声を上げた。
凧は枝の先の方に引っかかっている。手を伸ばす前に、琥珀は子どもたちに手を振った。弟はぶんぶんと両手を大きく、姉は控えめに、けれど楽しそうに振っている。
朱雀国に来てから初めて頼られて嬉しい琥珀は、凧を回収した。あとは降りるだけだ。行きは楽勝だが、帰りは用心しなければならない。下りの方が難しいうえに、凧を抱えているのだから。ここまで来て壊しました、となったら面目が立たない。
どこに手足をかけて下りるべきかを思案していた琥珀の視界の端に、人影が映る。大人の、男女二人組だ。遠目から見ても目立つのは、彼らの背が平均よりも高いだけじゃなく、美貌が際立っているからだった。
地面に下りるのも忘れた。紫嵐の表情は角度が悪くて見えないが、朱倫は笑っている。琥珀の視力は並外れていい。
ふと、紫嵐が屈んで女の顔を覗き込んだ。朱倫の顔も見えなくなる。接吻をしているように見えて、琥珀は自分がいる場所がどこだか忘れて、身を乗り出した。
ぎりぎりのところで保たれていた均衡は、すぐに崩れる。琥珀が「あっ」と叫ぶ間もなく、地面へと真っ逆さま。
咄嗟に凧を庇ったせいでまともに頭をうちつけた琥珀は、薄れていく意識の中で、子どもの泣き叫ぶ声を聞いた。遅れて「琥珀!」と叫ぶ声も、耳には入ったが、それが誰の声なのか認識する前に、暗転した。
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